ジョン・コルトレーン
(John William Coltrane / September 23, 1926 – July 17, 1967 )
エリントンとの関係から考えてみると、
コルトレーンについては語るべきことが2つある。
1つは『Duke Ellington & John Coltrane』という共演アルバムについて。
コルトレーンは、エリントンとコンボで共演し、
一枚の美しいアルバムを録音している。
モダン・ジャズファンで、「エリントンはちょっと苦手で…」なんて人も、
コルトレーンに惹かれてそのアルバムは持ってるよ、という人は多いはず。
これは音楽的に美しい作品で、
エリントン・ミュージックとしても聴くところの多い作品である。
もう1つはホッジスの影響について。
コルトレーンは、その音楽的キャリアの最初期ではアルト・サックスを吹いていた。
マイルス・バンドに加入する前には、
短期間ではあるがホッジス・バンドにいたこともある。
また、単純にエリントン・ナンバーを演奏した回数なら、
コルトレーンはマイルスよりも多くの記録がある。
これについても同時に述べておこう。
【1】
Duke Ellington & John Coltrane (1962, 9/26)
Duke Ellington & John Coltrane
まず、ジャケットの美しさにヤラれる。
コルトレーンに惹かれて聴いた人は、
この一枚(または、これと『Money Jungle』)を聴いて
エリントンを初めて聴いた人もいるかもしれない。
どうだろう。
こんなピアノ、初めての体験ではないだろうか?
少しでも面白い、と感じられたのなら、
ぜひ他のエリントンも聴いてほしい。
実際に、このアルバムを入口としてエリントンを聴き始めた人を、
管理人は何人も知っている。
録音は62年の9月26日。
信じられないことに、この日に録音した曲はすべて1回しか演奏されず、
録音した音源はすべて採用された。
従って、収録されているのはすべてファースト・テイクだ(曲順は異なる)。
60年代前半、エリントンの関心は他者にあった。
『Money Jungle』が1週間前の9月17日であり、
Newport Festivalで「Monk's Dream」を演奏してモンクの真似をしてみせたのは9月13日。
その他者との関わりがもっとも成功を収めたのが『Money Jungle』。
ただ、エリントンに関心があったのはあくまで「他者」であって、
「他者の音楽」にはなかったのではないか。
この時期、たしかに異種格闘技は多く、エリントンの「本気度」もそれぞれ異なるが、
相手によってエリントンのスタイルの変化はほとんど見られない。
その意味で、この『Duke Ellington & John Coltrane』は美しいアルバムではあるが、
根本的なところで、創造的な邂逅は存在しなかったように聴こえるのだ。
その原因は、エリントンとコルトレーンが同じ方向を向いていないせいだ。
コルトレーンはいつものコルトレーンで、
エリントンはコルトレーンに道を譲る、というか、やりたいようにやらせている。
上品な表現をするならば「お互いの領域を尊重している」とでもいおうか。
礼儀正しく披露される芸事の発表会のよう。
「御大の胸を借り、無心にフレーズをつづるコルトレーンが凛々しい。とはいえ意地悪な見方をすればこのふたりは互いに歩み寄りすぎて手近なところで調和してしまったと思えないこともない。いつものコルトレーンの奔流フレーズと、いつものエリントンの過激ピアノがぶつかりあうことこそ真の調和ではなかったかとひねくれ者の僕は思ってしまうのだが」とは、音楽評論家、原田和典氏の言葉。
管理人も同感である。
思うに、この「尊重」は、両者が相手に対して感じた違和感にあるのではないか。
コルトレーンもエリントンも、
ともにハーモニーに尋常ならざるこだわりを抱き続けた人間だが、
それだけにその「嗜好の違い」は決定的だったのかもしれない。
音程のぶつかり具合、そして、楽器の違いにとどまらずプレイヤーの個性まで考慮して
「瞬間の響き」にこだわったエリントンには、
音の羅列によってある響きを表現させようとするコルトレーンの試みは粗雑に感じられたことだろう。
また、コルトレーンにしてみれば、
エリントンのピアノから発せられる和音の響きや残響は自身の響きを展開する素材であり、
内心、音列で埋め尽くしたくてうずうずしていたのではないか。
・・・「うずうず」してます。
逆にそう考えると、1回限りの会合として、お互いが相手を尊重して礼儀正しく展開されたからこそ、
このセッションは成功を収めたのかもしれない。
回を重ねるごとに、両者のフラストレーションは高まり、
悪い方向に緊張感も高まっただろうから。
テイクを重ねようとするコルトレーンを、
ファースト・テイクで十分、と諭したのはエリントン。
その意図は、この2人の音楽的な相性を早々と見抜き、
テイクを重ねてもいい結果とならないことを理解したのかもしれない。
この想像を裏付けるかのように この作品とは対象的に、
10日前にミンガス、ローチと録音した『Money Jungle』には別テイクも残されており、
さらに、収録曲の倍近くの未発表曲も録音されている。
インパルスとブルーノートの体質の違いや、
またはボブ・シールとアラン・ダグラスの性格の違いなど、様々な要因が考えられるが、
それを差し引いても、これは一考に値するのではないか。
…もっとアホな想像をしてみると、コルトレーンとの録音日、
9月26日、エリントンは急いでいたのかもしれない。
この日の晩、エリントン・オケは船上で演奏したことが記録されている。
移動やリハの時間を考え、エリントンは単にコルトレーンとの録音を早く切り上げて
Van Gelder Studioを後にしたかっただけなのかもしれない。*
(10日前、『Money Jungle』を録音した9月17日の夜にはエリントンの演奏記録がないこともこれを裏付けている…のだろうか?)
いずれにせよ、エリントンの判断によって名盤が誕生したのは事実だ。
* ちなみに、演奏はデザイナーのダンスパーティーで、
会場はニュージャージー州のホーボーケン着のSS Rotterdam号。
『Duke Ellington & John Coltrane』の録音スタジオである
ルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオは同じニュージャージー州のEnglewood Cliffsにある。
距離にして15kmといったところなので、そう遠い距離ではない。
** この『Duke Ellington & John Coltrane』にはBonus Trackについて追記があります(記事末)。
さて、この後日談として、コルトレーンにはこんな作品がある。
John Coltrane and Johnny Hartman (1963, 3/3, 3/6, impulse)
John Coltrane and Johnny Hartman
#4のLush Life が白眉。
上記のエリントンとの共演盤、『バラード』と並び、商業的には大成功を収めた
(現在も収め続けている、といってもいいだろう)。*
「Lush Life」はエリントン・オーケストラのレパートリーとはならなかったが、
'49年にナット・キング・コールに取り上げられて大ヒットとなった。
ヒットから10年後、あえてこの曲を取り上げたのは、
その前年のエリントンとのセッションがコルトレーンの頭の中にあったからだ。
……管理人はそう思っていたのだが、
これはどうもエリントン愛好家の思い込みだったみたい。
コルトレーンのキャリアを調べてみると、
実はエリントンと不思議な縁があることがわかる。
次はコルトレーンのキャリアを遡ってみることにする。
* なお、この3枚は、独自路線の音楽を発表し続けて厳しくなってきた世間の批判をかわすため、
そして大衆の歓心を買ってインパルスの財務に貢献するために、
あえてボブ・シールの意向に沿って録音/発表したもの、らしい。
【2】
コルトレーンは、その音楽的キャリアの初期において、
ジョニー・ホッジス・バンドに籍を置いていた。
間接的にではあるが「ホッジスの乱」に立ち会った、といえるだろう。
そして、サックス奏法においてホッジスのコルトレーンへの影響は、
もしかしたら、一般的に考えられているよりもずっと大きかったのかもしれない。
若きコルトレーンのスタイルがうかがえるエピソードをみてみよう。
コルトレーンは45年から1年間海軍に入隊し、その退役軍人基金を使って、
グラノフ音楽院でサックス奏法と音楽理論を本格的に学んだ。
以下は、その頃からのコルトレーンの親友、ベニー・ゴルソンによるエピソード。
ぼくは、まだ高校生だった。友達のハワード・カニンガムが「サックスを吹く奴が南部からやってきたらしいぜ」って言うんで、「テナーか?」って聞いたんだ。そしたら、「アルトだ。それもジョニー・ホッジスみたいに吹くんだぜ」なんて言うもんだから、「ホントか?!」って言ったよ。次の週になって、ハワードがそいつを連れてきた。名前は、ジョン・コルトレーンっていうんだそうだ。「なんて変わった名前なんだ!」って思ったよ。で、「Freight Car(貨車)、Boxcar(有蓋列車)、Coal Train(石炭車)ってあだ名をつけて、彼を呼ぶことにしたんだ。
当時ぼくは十六歳で、無知で高慢だったんだね。「何かやってみなよ」って言ったら、彼は「明るい表通り(「On The Sunny Side of The Street」)」を吹いた。まるでジョニー・ホッジスだ! そしたら、ぼくの母親が「だれなの? いまのは?」って二階から叫ぶから、「ん、ジョン・コルトレーンって新顔さ」って言ってやったよ。それから、ボクの家で練習するときはいつも、母は「ジョンが来てるのね」って言ってた。あまりにも上手いし、特徴のある音だったから、すぐにわかったんだね。彼は、「ハイ、ぼくです、ミセス・ゴルソン」って、丁寧に答えてたっけ。
あのときから、ぼくらはよくツルんでた。一緒にチャーリー・パーカーを聞きに行ったこともあるし、彼は堂々と自分の名前を語って売り込んでいた。そしたら、何年か後になって、一緒に共演したしね。」
(『コルトレーン ジャズの殉教者』藤岡靖洋、52-53頁)
コルトレーンの真面目さとともに、当時、ホッジスに心酔していた様子がうかがえる。
プロとして音楽活動を開始したコルトレーンは、
ガレスピー・ビッグバンドやR&Bバンドに在籍した後で
担当楽器をアルトからテナーに変更した
(このとき在籍したガレスピーのバンドでポール・ゴンザルヴェスと遭遇していた可能性もある)。
そして、なんと53年、私淑していたジョニー・ホッジス本人から誘いがかかり、
ホッジス・バンドへの加入が実現する。
ただ、幸か不幸か、このバンドでの活動は、
コルトレーンのアルコール、ドラッグの悪癖が原因で1年と続かなかった。
奇跡的に、このコルトレーン在籍時のホッジス・バンドの音源が残っている。
First Giant Steps (#9-#15, 1954, 6月)
コルトレーン初期録音集。
#14 In A Mellow Tone
Johnny Hodges(as), Harold 'Shorty' Baker(tp), Lawrence Brown(tb),
John Coltrane(ts), Call Cobbs(p), John Williams(b),
Joe Marshall(ds), unknown(vo)
ショーティ・ベイカー、ローレンス・ブラウン、そしてもちろんジョニー・ホッジス…。
コルトレーン以外のフロントが全員エリントニアン!
この音源を知ったときは驚いた!
録音が悪いのが残念だが、当時のホッジスバンドのライブを知る上でも興味深い。
コルトレーンは、当時のホッジスバンドの看板曲、
#10の「Castle Rock」ほかで大々的にでフィーチャーされており、
大いに評価されていることがうかがえる。
#14はソロ回し用の曲として選ばれた感が強く、コルトレーンは伸び伸びとしたソロを展開。
このホッジス・バンド時代の音源としては、こんなのもある。
・Used to be Duke, Johnny Hodges and His Orchestra('54, 7/2, 8/5)
Used to be Duke, Johnny Hodges and His Orchestra('54, 7/2, 8/5)
上述のメンバーに加え、テナー、クラリネットにジミー・ハミルトン、
ドラムにエリントン・オケ卒業生のルイ・ベルソン。
So Dukish!
ただ、クレジットにはっきりとコルトレーンの名前があるものの、ソロの収録は無し。
テナーソロもジミー・ハミルトンの演奏である。
その意味でコルトレーン・ファンにはどうでもいい1枚かもしれないが、
エリントン・ファンにとっては「ホッジスの乱」最中の貴重なドキュメントである。
さて、上述の「In A Mellow Tone」の他にも、
コルトレーンは何曲かエリントン・ナンバーを演奏している。
* エリントン・ナンバーについて
ホッジス・バンド卒業後、コルトレーンはマイルス・バンドに所属するが、
その時期については このサイトのマイルスの項目 にあるので割愛。
コルトレーンが独自の道を追求するアトランティック、インパルス時代には
上に挙げたもの以外は見当たらないが、プレスティッジ時代には散見する。
・Wheelin & Dealin, The Prestige All Stars(57' 9/20)
Wheelin & Dealin, The Prestige All Stars(57' 9/20)
#1 Things Ain't What They Used to Be
コルトレーン、フランク・ウェス、ポール・クィニシェットによる、
3人のテナー・セッション作品。
「Things Ain't What They Used to Be」が選ばれたのもセッションの題材として。
さて、コルトレーンの演奏というと、
プレスティッジ時代のバラード演奏として光っているのは、
なんといっても『Cotrane』の「コートにすみれを(Violets for Your Furs)」だが、
エリントン・ナンバーでもこんな演奏を残している。
・Soul Junction, The Red Garland Quintet Featuring John Coltrane And Donald Byrd
('57, 11/15)
Soul Junction, The Red Garland Quintet Featuring John Coltrane And Donald Byrd
#4 でI Got It Bad (And That Ain't Good) を演奏。(ただし、クレジットは「I've Got It Bad」)。
この時期、コルトレーンはドナルド・バードとの演奏を何曲か残しているが、
いずれもセッションの要素が強い。
また、このときのドナルド・バードは60年代でフリー・ソウル化する前の「バッパー・バード」。
饒舌なバードにつられ、コルトレーンもよく喋る。
・High Pressure ('57, 12/13)
#2 のSolitude がエリントン・ナンバー。
メンバーは『Soul Junction』と同じ。
それにしてもこの「Solitude」、上の「I Got It Bad」とよく似ている演奏だ。
「セッション中心に録音して、1曲エリントンのバラードも混ぜておこう」的な、
プレスティッジというレーベルの無計画さ、テキトーさがうかがえる。
そして、なんといってもこれ。
・Lush Life, John Coltrane ('58, 1/10)
・Lush Life, John Coltrane ('58, 1/10)
#4 Lush Life は14分弱にも及ぶ名演。ジャケットもよい。
解釈、創造力など、同時期に録音した上記2曲のエリントン・ナンバーと、
明らかに力の入れ方が違う。
ジョニー・ハートマンとの名演奏は、5年前のこの演奏に端を発するのか。
余談だが、ジョニー・ハートマンはコルトレーンが50年代初頭のディジー・ガレスピーのバンドに在籍している頃からの知己。
ヴォーカリストとの共演にあたり、真っ先にジョニー・ハートマンの名が挙がったのは自然なことだった
(なお、前半3曲はピアノレス・トリオの演奏だったり、「I Hear A Rhapsody」も別の日の録音だったりと、
このアルバムはコンセプトが統一されてない。それを強引に「Lush Life」の演奏の力とジャケットでまとめるところが
強引といえば強引だが、戦略としては成功したといえるだろう)。
* ホッジスの影響
バラードの演奏において、過度に飾らずにテーマを真摯に奏でるのがコルトレーンスタイルだが、
そのスタイルの確立には、マイルスと同じくらいジョニー・ホッジスも影響を与えていると考えられる。
また、ピッチベンドの影響こそうかがえないものの、
ホッジスの楽器に対する自由なアプローチの方法や、楽器のコントロールを追求するという姿勢は、
コルトレーンのハーモニクス奏法などの発明を促したといえるだろう。
そしてなにより、自分の声に「男性的・豪放な声」でなく、
「中性的・硬質で艶やかな声」を選んだのは、
その音楽的キャリアをテナーではなくアルトから初めたこと、
そしてホッジスのバンドに所属していたことが理由として挙げられるのではないだろうか。
以上から、エリントンとコルトレーンの影響・交流関係をまとめてみる。
エリントンとコルトレーンは、両者ともジャズ史のビッグ・ネームであり、
『Duke Ellington & John Coltrane』という名盤があるためによく並んで語られることが多いが、
実際は影響といえるほどの影響はなく、「一時的、しかし美しい交流があった」程度として語るのが適当だろう。
コルトレーン研究本でも、この共演盤は1つのエピソード程度にしか触れられていない。
影響を受けたと言うのなら、エリントンよりもホッジスの方から多くの影響を受けたはず。
ホッジスにとって、ここでもエリントンの影に隠れてしまう結果となってしまうのは、不運としか言いようがない。
なお、コルトレーンの黄金カルテットのメンバー、マッコイとエルヴィンにもそれぞれ後日談がある。
マッコイはエリントンのトリビュート・アルバムを作成し、
そしてエルヴィンに至っては、一時的にではあるが、なんとエリントン・オケに在籍することになる
('61 12月-'62 1月。もっとも、これは短期間であることからもわかるように、音楽的な発展はなかった)。
・McCoy Tyner Plays Ellington (’64, 12/2,7-8, impulse)
・McCoy Tyner Plays Ellington (’64, 12/2,7-8, impulse)
この2人については、またいずれ。
【追記: 2017.1】
この『Duke Ellington & John Coltrane』には4曲が追加されたBonus Track盤があります。
…え! エリントンの記録を見る限り、そんなはずはないのだが…と思って確かめてみると、
なんとこれはPrestige時代の「Things Ain't What They Used to Be」「I Got It Bad」「Solitude」「Lush Life」の4曲。
amazonなどではそれがわかりにくくなってるのでご注意。
ただ、それを除けばプレスティッジ時代のコルトレーンによるエリントン曲はすべて網羅しているわけであり、
その意味ではマニア向けの好コンピレーションといえるかもしれない。
やはりこの作品はあの7曲で完結しているのが美しい。
【参考文献】
J.C.トーマス『コルトレーンの生涯』(2002, 初出1975)
コルトレーンについて調べる際の基本文献。
一般的にコルトレーンについて言われていることのほとんどはこの本に書いてある。
エリントンとの共演盤についても例外ではない(本書294-296頁)。
この本も新品では入手しにくくなっているみたいだ。
中山康樹でおなじみ、『○○を聴け!』のコルトレーン版。
本項目を作成するにあたり大いに参考にしたが、
『Used to be Duke』が抜けているのが痛い…!
藤岡氏のこの本、題名から予想される通り、実にストイックな姿勢で調査が行われており、
コルトレーンの人間性やエピソードなど、伝記的資料として有用な1冊。
著者のストイックな姿勢は、
ソプラノとテナーのキーが「E♭」とされている痛恨の誤植について、
Amazonのコメント欄に応える形で著者自ら訂正されていることからもうかがえる
(コメント主と同じく、わたしも正直萎えました。ただし、第2刷以降は訂正されているとのこと)。
こうなると、管理人が所有する第1刷も逆に味があるように思えてくる。
(2016.11)