おかげは和賀心(わがこころ)にあり
と、金光教では教えられています。
和はやわらぐで、賀は祝賀の賀である
と教祖様はみ教えくださっています。
和賀心は、和らぎ喜ぶ心です。
金光教の信心は、教会に参って教会の先生に拝んでもらって、
神社のように神事によって、願い事が叶うようなものではないです。
との教えがあるように、
願い主の心の持ちようが大事であると教えられています。
教祖様のみ教えに
というものがあります。
どれほど一心に願ったとしても、
願った後は神様任せで、自分は何もしない。
ということであれば、その願い事は叶いにくいですよね。
100点をとれるように願って、
テスト勉強を全くしないようなものでしょう。
また、教会にお参りした時だけ一生懸命願って、
家に帰れば願いを忘れ、自分の好き勝手生き、
神様に心を向けることがなければ、
それもまた、願い事が叶うことはないでしょう。
有り難い時に「ありがたいなぁ」と思うことは普通だと思います。
有り難くない時に「ありがたいなぁ」と思えるかどうか?が、
信心だと思います。
そんなことを日々意識しています。
人に何か注意されれば、イライラします。
「そんなん分かってる」
「今やろうとしてたのに…」
「出来てないお前が言うな!」
「人に偉そうに言う前に、あんたの生き方改めろよ」
などなど、色々と思うことがあるのではないでしょうか?
そこで怒りを爆発させ、暴言を吐いたり、
暴力をふるったりすれば、関係は崩れます。
和らぎ喜ぶ心には、ほど遠い自分を感じます…
難儀は人間関係の悩みが大きいと感じます。
そういった人間関係についても書かせていただいています。
良かったらご覧下さい。
人間は、何をもって幸せと言えるのでしょうか?
立派な家に住み、おいしい物がいくらでも食べれて、
結婚して子どもが生まれ、家族がいて、
仕事も楽しくできている。そういうことでしょうか?
でも、そこに「喜び」や「有り難さ」がなければ、
つまらない人生だと思います。
空気を吸うこと一つとっても、
心から喜んでいる人がおられます。
水道から水が出ることに感動をしている人もいます。
信心する者は、喜びを求めたいと思います。
教祖様のみ教えに
信心は日々の改まりが第一じゃ。
毎日、元日の心で暮らし、日が暮れたら大晦日と思い、
夜が明けたら元日と思うて、日々うれしゅう暮らせば、
家内に不和はない。
金光様は喜びの道を開いてくだされたのじゃから、
それをご信心申す者が、
喜ばぬつらい顔をして日を過ごしてはならぬ。
天地の親神様をご信心するのじゃもの、
天地のような広い心にならねばならぬ。
生きている実感は、
自分が笑顔であるかどうか?が大きなことだと思います。
自分が笑顔であり、
世界の皆様が笑顔であれば、もっと嬉しいですよね。
その笑顔を求めることが信心だと思います。
なので、鏡を見て笑顔になるお稽古をしたり、
日常生活の中で「有り難い」ことを紙に書いてみたり、
「ありがとう」と声に出して言ってみることに取り組む。
などなど、自分が思いつく取り組みを実践されれば良いです。
基本的に、したくないことはしない方が良いでしょうし、
「これなら自分にできそうかな?」と思うことが良いでしょうね。
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