「人間の本当の生き方」だと思います。
しんじんとは、信の心ではない。
金光大神は、しんじんを神人と書く。
と、教祖様がみ教えくださいました。
金光教では「神人(かみひと)の道」という言葉があります。
人の道ではなく、自分だけのことでもなく、
神様と私が一緒になって生きる道であります。
金光教の信心は、
が特徴であると感じています。
まずは、金光教の神様って何なの?
という興味を持っていただければ、それだけで嬉しいです。
「何で信心してるの?」
と問われれば、
「幸せになりたいから」
と答えます。
では、
「幸せって何なの?」
と問われれば
「生きていることが、心の底から有り難いと思えること」
だと私は思います。
金光教の信心は、
「神様に生かされている自分」に気づくことです。
また、
「自分も周りの人も、みんな大切な神様の子であり、
神様の心を分けていただいている」
「神様の子は、神になれる」
ということに気づくことです。
教祖様は
信心はせんでもおかげはやってある。
と、み教えくださいました。
なので、
「受けている恩」 に気づくこと。
「恩を受けて恩知らず」 にならぬこと。
神様の深い愛に気づき、
安心の心を持って、神様と共に生きること。
そんな生き方を、世界の全ての人ができること。
そのことを求めているのが、
金光教の信心だと思っています。
金光教の拝み言葉・拝詞集(はいししゅう)の中に、
神前拝詞(しんぜんはいし)というものがあり、
毎日御神前でお唱えさせていただいています。
その中に、
総氏子身上安全世界真の平和のご神願
(そううじこみのうえあんぜんせかいしんのへいわのごしんがん)
というものがあります。
神様の願いが叶うことが、信心の目的なんでしょうね。
しかし、まずは何にせよ、自分が助かりたいですし、
自分の願いを叶えていただきたいですから、
素直に、自分のありのままの願いを神様にぶつけ、
助けていただくことが大事だと思います。
Nextページ 御取次って何なの?