目に見えない神様を感じること。
それが、「神様との出会い」であると思います。
毎日見ているようで、見ていない。
聞いているようで、聞こえていない。
そんなことがありますよね?
学校への通学道、会社への通勤道、家への帰り道…
毎日歩いているところでも、
「あそこに綺麗な花が咲いてるよね?」
「あそこの大きな木で待ち合わせしよう」
「あそこのお店の料理がおいしいんだよね~」
と、言われた時に、
「え? あそこってどこ? わからない…」
ということが、ありませんか?
目には入っていても、意識して見ていなければ、
見ていても見えていない。
それは見ていないのと同じことだと思います。
また、
星を見るにしても、しっかりと見ていても、
星座の知識があるのとないのとで、
見え方が変わったり、楽しさが出てきたりすることもあります。
見ることだけではなく、聞くことについても、
同じことが言えるのではないでしょうか?
夏の暑い日に、セミがミンミン鳴いていると、
それが気になってしょうがない人と、そうでない人がいます。
鳥のさえずりや風鈴の音に気持ちをなごませる人がいれば、
「うるさいな~」と思う人もいます。
赤ちゃんの泣き声を聞いても、
「親なら泣きやませなさいよ!」と、ただ腹を立てている人がいれば、
「私もこうして育てていただいたんだ」と思う人がおられ、
「何か私に出来ることがないか…」と願われる人もおられるでしょう。
聞いているようで、聞こえていないこともありますし、
聞こえ方、見え方も、人それぞれであると思います。
それと同じように、ひょっとしたら、
神様の姿も、見ているようで見ていない。
神様の声も、聞こえているようで聞いていない。
という事実があるかもしれません…
では、話を戻しまして、
「神様と出会う」ということは、どういうことなのでしょうか?
それは、
今までお話したように、
見えなかったものが見える。
ふと何かに気づく。
新しい感覚になる。
驚きがあり、びっくりする。
「発見」 「気づき」 「目覚め」 「生まれ変わり」 など、
様々な表現の仕方はあるでしょうが、
それを、神様と出会った瞬間、
「神様との出会い」と、私は思っています。
またそれは、
「新しい世界との出会い」 でもあると思います。
子ども達には、
「どっひゃ~」と思った時が、神様と出会った時。
と話をしたりしますが、そんな感じだと思っています。
例えば、病気になった時に、
毎日あたりまえのようにしていた生活が出来なくなることがあります。
何も考えずに動いていた指が、全く動かなくなった…
普通に聞こえていた耳が、突然聞こえなくなった…
何でも自分で出来ると思っていたのに、何も出来なくなった…
今までのあたりまえが、あたりまえでないと気づいて、
初めて、今までの自分が、
いかに幸せな体であったかに気づくということがあります。
そのように、目には見えませんが、
神様のお働きは、受け通しに受けて生活しているのが人間です。
大きな病気にでもなると、
「なんでこんなことになったんだ…」と思ってしまいます。
そういう時でも、変わりなくお働きくださるものがあります。
自分が落ち込もうが、やけになろうが、誰かを恨もうが、
関係なく、私が生まれる前から何も文句を言わずに、
ずっと私のためにお働き続けてくださっています。
いのちのお働きがあると思います。
神様を見せてみろや!
ほんまにおるんか!
神様が何をしてくれるんや!
そう思われる方が、世の中には沢山おられるでしょう。
あなたが今、生きておられる。
それが神様がおられる証拠だと、私は思います。
自分で何でも出来るなら、
心臓さんを止めてみてください。
ナイフで刺せば、止められるかもしれません。
でも、「止めた心臓さんを動かしてください」
と言われても、人間の力では出来ないわけです。
嫌なこと、腹が立つこと、もう死にたくなるようなことがあっても、
胸に手をあててみますと、心臓さんは動いてくれています。
なんだか「頑張れ~」と、励ましてくれているようにも思えます。
私はこんな気持ちなのに、私の中の心臓さんは頑張っている。
私の中にいる私の一部なのに、
私とは違う何かが働いているようにも思えます。
目に見えない空気も、毎日無料で普通に吸っていますが、
生きていくのに、必要不可欠なものです。
それを、誰にもお礼もせずに、生きているのが人間です。
毎日昇って下さる太陽がなければ、
毎日が暗闇の世界であり、何も見えず、食物は育たず、
寒くて一時も生きていられません。
金光教の教祖様も
と、おっしゃっております通り、
どうも、私達は、目に見える働きにばかりに気がいって、
目に見えない神様の働きに、目を向けない生活をしてしまっているようです。
神様に出会う時、
それは、生きていることが心の底から有り難いと思う時。
世界中の人々が、神様と出会えた時、
もっともっと素晴らしい世界になると信じています。
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