人間関係の悩みは、「あいよかけよの関係」で助かることができる。
仕事・学校・プライベート・家庭などで、人間関係に悩んでおられませんか?
この世の全ての難儀の元は、人間関係ではないだろうか?と思ってしまうほど、
世界共通の大きな問題であると感じています。
金光教では、「あいよかけよ」の関係を求めています。
「あなたあっての私、私あってのあなた」という関係です。
この関係が失われているところに、様々な難儀が起こります。
「あいよかけよ」とは、金光教の教祖様がお生まれになられた
岡山県備中地方の方言だと言われていますが、詳しくは不明です。
例として聴いたことがあるお話としまして、
天秤棒を二人で担いで、重たい荷物を運ぶ時に、
「えっさ、ほいさ」と呼吸を合わせるために発する言葉が、
「あいよ、かけよ」であったと言われています。掛け声ですね。
また、
餅をつく時に「あいよ、かけよ」とかけ声をしていたという噂もあります。
このようにお互いの調子や心を合わせようと努力することが、
あいよかけよの関係であり、お互い様の関係かと思います。
二つあって、はじめて一つの役割が出てくる関係でしょうか。
人と人の関係だけにとどまらず、
人と物、人と植物、人と動物など、もの言わぬものに対してもそうですし、
更には、神様と人との関係も、あいよかけよの関係になるところに、
人間の本当の生き方、本当の助かりがあると教えられています。
金光教の教祖様は
と教えられました。
二本あって初めてご飯が食べられるような関係ですね。
昔は亭主関白の時代で、「おい」と言えば、「はい」と言い、
サッと手を出せばお茶が出てくるような、あうんの呼吸とでも言いましょうか、
心が通じ合えていれば、見ていて気持ちの良い関係でもあるのですが、
実際、妻様は腹の中で怒りが爆発しそうになっているのを我慢しているだけで、
「それぐらい自分でやれや。子どもか?」と、ずっと思っている人もおられ、
熟年離婚をされる夫婦も多いわけですよね。
やはりそこに「妻あっての夫、夫あっての妻」という関係があるかどうか?
が大事だと思います。
目に見える関係では、同じようなことをしている夫婦であっても、
目に見えぬ腹の中では、お互いが何を思っているか?ということですね。
私が人間関係に苦しくなる時は、
自分の命、相手の命がある。ということが、
当たり前だと思っていることが多いです。
私がどれほどしんどくても、寝ている時でも、
心臓さんは休まずにずっと動き続けてくださっていますし、
いつも空気は無料で吸い放題、太陽の光も浴び放題です。
そのことを心から喜んでいる人間は、世界に何人おられるでしょうか?
人間関係の問題となると、
相手にどう接したら良いのか? 分からない…
何と言えば良いのか? 何を言っても怒られる…
など、相手と自分の関係をどう変えていけば良いのか?ということにとらわれ、
しんどくなっていくことが多いですが、
金光教の四代目の金光様・鑑太郎(かがみたろう)様は、
と、よくお話くださったようです。
家があって、布団があって、パジャマがあって、
夜中に地震・火事・災害などからお守りいただき、
朝、目覚めるということがあって、今日の命をいただきます。
目が覚めなければ、今日という日はなく、悩むこともないでしょう。
悩むことができるということは、
目覚めのおかげをいただけたからなので、
有り難いことが、まず先にあって、そこからの話だという道理です。
なので、目が覚めて、すぐ
あぁ嫌だな。寒いな。布団から出たくないな。
学校行きたくないな。会社に行きたくないな。
あの人に会いたくないな。あれしたくないな。
ということではなく、
家のおかげで、お布団様のおかげで、着る服のおかげで、
夜中お守りいただけたおかげで、目覚めのおかげをいただき、
ありがとうございます。と、御礼申させていただいた上で、
身の上のこと、何事も実意に、良いようにお導きいただくよう、
良き御縁をいただけるよう、お願いさせていただくという流れが、
天地の道理であるということであり、
人間関係の悩みを解決していく上に、とても大事なことだと思わされます。
しかしながら、
家もなく、お布団もなく、着る服もなく、食べるものもない。
という人が、世界にはまだまだ沢山おられ、
日本にもおられると思います。
自分だけでなく、相手だけでもなく、
世界のみんなが助かっていく。
そういう人間関係を求めていきたいと願います。
ただ、そう思っていても、何だかイライラする時はないですか?
次回より、