一般的に「信心」と聞けば、どんなイメージがあるでしょうか?
「信心」と「信仰」の違いもよく分からないので、
早速辞書で調べてみました。
「信心」しんじん
神や仏を信じる心。また、神や仏を信じて祈ること。
「信仰」しんこう
神や仏を信じ尊ぶこと。誠心を捧げて信ずること。
ある宗教を信じて、その教えをよりどころにすること。
何だか同じ意味のような気もしますが、
「信じる」+「祈る」という行為があることを、
一般的には「信心」と言われているようです。
そもそも「信心」が仏教語とは、知らなかった…
「ブランド信仰」という言葉を聞いたことがありますが、
そう言われれば、そこに「祈り」はないですね。
神や仏を信じて祈ること。
それが「信心」と言うのであれば、
神社やお寺にお参りして祈っている人は信心されており、
初詣をされる方、大晦日に除夜の鐘をつきに行く方は、
みんな信心されておられるのか? を考えてみますと、
やっぱり「信じている」「尊んでいる」
というところが、まずは大事なことだと思います。
人間でも、初めて会って、お話して、一緒に遊んで、仲良くなって、
ようやく「この人は信じられるな」と思って友達になり、
更に深く知ることで「尊敬できる人だ」と思えます。
そうであるなら、
ここの神社の神様はどんな神様かな?
このお寺の教えはどんな教えかな?
私を助けて下さるだろうか?
など、神様・仏様に興味を持ち、知りたいと思い、
まずは、こちらが繋がろうとしているかどうか?
が大事ではないか?と思います。
1回神社に参って、大金を賽銭して願ったのに
願いを叶えてくれない。神も仏もあるものか!
と言われている方がおられますが、
相手が人間の場合を考えてみると、すごい内容ですよね。
全く知らない人に大金を渡して「願いを叶えてくれ」と言って、
すぐに願いを叶えてくれず、それで怒っているわけですから…
人間だと、本当に信じている人にしかお金を払わないのに、
神様ならどこへでも払うというのは、何だかおかしな感じがします。
色んな人がおられるのと同じように、
神様・仏様もそれぞれだと思います。
イベント行事として、
「毎年行ってるから、今年も行こうか」と、
家族や友達と一緒にお参りして、
こちらの願いを一方的に祈って帰る。
ということは、
「信心」でも「信仰」でも全くなく、
意味のないことなのでしょうか?
私はそうは思わないです。(なんだか矛盾していますが…)
相手がどういう人かは分からなくても、
「助けてください!」と本気で頼まれれば、
「なんとかしたい」と思う心が人間にはありますよね。
「痴漢! 捕まえて!」
「ひったくり! 捕まえて!」
必死になって頼めば、どなたかが動いてくれたりします。
それと同じように、やはり神様も、一生懸命願う人間がいれば、
「助かってほしい」と思います。
わざわざ参らなくても良いところ、
自分を訪ねて来てくれれば、嬉しいものです。
どんな理由にしても
「寒い中、よう来てくれたな」
「ここまで電車賃とかお金もかかったやろうに…」
「忙しいのに、顔を見せに来てくれたんやな」
と思いますよね。
なので、「祈り方」「願い方」も大事だと思いますし、
願う側の「心」がどうなっているのか?が重要ですね。
そういう点において、
「信じる」+「祈る」というのは、結構納得です。
Nextページ 金光教の信心とは? について更にお話します。