そのように思います。
日本において、「宗教」という言葉を聞くと、
何か悪いイメージを持った人が多いように思います。
「洗脳」「マインドコントロール」などの言葉と、
「宗教」が重なって思えたりしませんか?
しつこく勧誘された…
お金を請求された…
入会しないと助からない。と脅された…
「ちょっとお時間いいですか?」と、強引に話を聴かされる
などの経験が、そのような思いに繋がっているのではないでしょうか?
また、
他宗教を批判することから戦争が起こったり、
人と人とが不幸せになる原因をもたらしているようにも思えます。
そんな世界情勢が現実にあったりします。
そういう中、
私は無宗教です。
宗教なんて必要ない。
宗教なんて意味がない。
宗教なんて弱い者がすることだ。
そのように思われる方が増えているのではないか?
という風に感じております。
その一方で、
正月には、神社に初詣参拝し、
クリスマスには、ケーキを買ってパーティーをし、
大晦日には、お寺に除夜の鐘をつきに行く。
そのような不思議な行事が、日本では根強く続けられています。
また、お盆やお彼岸にはお墓参りをなされ、
死んだ者を祀る葬儀式をされる方が多くおられます。
そして、
普段は、「神も仏もない」と思われている人でも、
どうにもならない…
何とか助けてほしい…
藁をもつかむ思いだ…
という状況におちいった時、
すがるような思いで天を仰いだり、
知らず知らずのうちに手を合わせて祈ったり、拝んだり、
神社やお寺に参ってみたり、
目に見えぬ死んだ者に語りかけたり、
自分がそうしたいとか、そうしようとか、
そういうことではなくて、そうせずにはいられない…
というような、そんな思いにならされる時があるようにも思います。
そういった人間本来の生き方が、宗教で学べると思っています。
宗教とは何なんでしょうね。
必要ないと思っている人がいれば、
必要だと思っている人もおられるから、残っているのでしょう。
そもそも宗教のはじまりは何なのでしょうか?
それは、死者の儀式的な埋葬と言われています。
と言っても、私が調べたわけではなく、
そう言われているお偉いさんがおられる。
単なる噂なのかもしれません。
実際にその時代を生きた人でないと、本当のことは分かりません。
ただ、化石として、
死者と一緒に、装飾品などを埋葬されていたものが見つかった。
という事例があるようです。
大切な人が、死んだらどうなるのか?
残された私達はどうなるのか?
死んだなんて信じられない…
今の世と死後の世界を繋ぐ何かの手段として、
そのような行動をとったのではないか?と言われています。
死んだあの人が好きだった物を一緒に入れてあげよう。 とか、
死んだあの子が好きだった物をお供えしてあげよう。 とか、
それは、相手への思いであったり、
自分の気持ちをおさめようとする思いであったり、
今の状況を受け止めるために必要であったり、
そのような思いの中、現代でも、葬儀式が仕えられているのではないか?
という風に、自分自身は感じています。
そう考えますと、
宗教は「生」と「死」に深く関係しているように思います。
本当に生きられておられる方、
本当に死と向き合っておられる方、
そういう方に、宗教は必要なのではないか?と思うわけです。
人間は、なぜ生まれたのか?
人間は、何のために、誰が誕生させたのか?
人間は、なぜ生きていられるのか?
人間は、生きるために何が必要なのか?
人間は、なぜ生きたいのか?
人間は、死んだ後、どこへいくのか?
そんなこと、考えなくても生きていけます。
そんなこと、考えなくても幸せになれます。
そんなこと、考えなくても問題ありません。
そう言う人もおられるでしょう。
しかし、どうにもならない時が、
人生の中でやってくるかもしれません。
そんな時、
学校では教えてくれない、人間としての本当の生き方を
宗教は教えてくれるのではないかと思います。
今の自分の考え・思いとしては、
偉そうに何かを教えるとか、そういうことではなく、
本当の助かりのために、一緒に神様を求めさせていただきたい。
一緒に本当の生き方を求めさせていただきたい。
ドロドロとした、先が真っ暗で何も見えない状況でも、
一緒に神様をつかんで、一筋の光を見つけさせていただきたい。
それが、宗教家である私の使命であり、
それが宗教であると思っています。
お読みくださり、ありがとうございました。
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