例えば、どなたかが神様にお野菜をお供えをされたとします。
お供えされた野菜は、三宝というものに乗せ、教会の神前にお供えされます。
その後、そのお野菜はどこへ行くのか?
教会家族が有り難くいただく時はもちろんありますし、
信奉者の皆様に、神様のお下(さが)りとして、いただいてもらうこともあります。
食べられない方がおられる時は、その方にいただいてもらうこともあります。
ただ、そのお下りで命を繋いでいただいたからには、
神様のお役に使うていただくということが、当たり前のことだと思います。
お金のお供えの場合はどうなのか?
御本部や親教会にお礼のお供えをさせていただくこともありましょうし、
このお道の信心を伝えるための布教費や
祭典をお仕えするための儀式費、
青少年や信徒をお育てするための育成費、
教会建物の維持管理費など、
全て人間が助かるためと思うて使わせていただきます。
世の中には贅沢三昧している宗教家もおられるようですが、
そういう方は、宗教家とは申しません。
その施設にお参りする必要もなかろうと思います。
宗教の自由がございますから、
しっかりと自分の目で見て、教えを聴いて、
お参りされる場所を選ばれたらよろしいかと思います。
文句ばかり言っていても、何も変わらないと思います。
神様にお供えした後でも、
「あれは私がお供えしたものだ」と言われる方がおられますが、
それも「お供え」とは言いません。
お供えをされた時点で、神様のものですから、
本来は、後にどうなっているかは神様任せのところがあります。
何を目的に、どういう思いでされているのか?
これがお供えということに尽きます。
家の神棚に何をお供えしたら良いのか?
葬儀・告別式が終われば、
家に戻って、新霊床(しんれいしょう)に霊様をお祀りしますが、
そこで何をお供えしたら良いのか?
金光教の決まりってあるのでしょうか?
ということに興味がある方は、
Nextページ 金光教のお供え⑤ 神饌物(しんせんもの) をご覧下さい。