「御教え」と書いたりします。
み教えと言えば、浄土真宗なのだろうか?
金光教でも、神様が教祖様の口を通しておっしゃられた言葉を
「み教え」と言います。
金光教の教祖様は、難儀な人間を助けるために、ずっと家にいました。
神様に一心に願って、神様に助けていただくために、家にいました。
元々は百姓をされていましたが、42歳の時に死にそうな病気にかかり、
その時、神様に助けていただいたところから、道が開かれていきました。
教祖様は子どもの頃から神参りが好きな、ちょっと変わった子でしたが、
大病をされた42歳頃から信仰の心が更に深まり、加速していきました。
教祖様の弟様も信仰をされていました。
時代は安政4年、1857年、弟様に神がかりがあり、
弟様の口を通して、神様が教祖様に頼み事をされました。
そんな神様のお姿を目のあたりにし、更に一心に祈念するようになりました。
弟様の家には、お参りされる方がありました。
弟様以外でも、神がかる方がおられ、信仰のある世であったと思います。
教祖様も、安政5年には、
手が勝手に上がったり下がったりするお知らせの「手みくじ」がいただけ、
自分の口から神様の言葉が出てくる「お知らせ」を受けるようにもなりました。
神様の「お知らせ」どおりに生きるようになった教祖様は、
次々と不思議なおかげをいただかれ、その噂は広まっていきました。
「私のことも神様に頼んでほしい」と言い、助けを求めて
教祖様の家に来られる方がボツボツと出てこられました。
百姓の傍ら、お参りの方があれば家に戻って、一緒に神様を拝みました。
家族の者は、「これでは仕事にならん」と、いらだちもしました。
安政6年には、
「家督を15歳の息子にゆずり、隠居するように」と神様に言われました。
46歳の大黒柱が、家業をやめ、家で神様を拝む生活をするのですから、
家族の者の気持ちを考えると、容易に想像がつきます。
また、周りの目もあります。
いくら神様の頼みと言えども、出来ないこともあるのではないでしょうか?
しかし、教祖様は一心に神様の仰せのままに生きられました。
「42歳の時に死んだと思い、神を助けてくれ」
と、神様は教祖様や御家族に頼まれました。
そこから明治16年、1883年、70歳までずっと家におられました。
お参りになられた方のお話を聴き、
一緒になって、神様に一心に願い、
神様からの「お知らせ」を人に伝えるようになりました。
その神様の言葉が「み教え」です。
人間が本当に助かるために、
神様が、一人ひとりに対して、教祖様を通してお話された言葉です。
その人に言われた言葉ですから、
世界万人に通じるものではありません。
人それぞれ助かり方は別ですから、
ある人には「煙草をやめなさい」と言い、
ある人には「煙草を吸いなさい」と言います。
また、
ある人には「お酒をやめなさい」と言い、
ある人には「お酒をいただきなさい」と言います。
自分の都合の良いように「み教え」をいただくということは、
本当の「み教え」をいただくことにはならないです。
しかしながら、お参りされた方と自分の境遇が似ていると、
教祖様が今の時代に来られ、
神様が私にお話くださっているような感覚になることもあります。
「御教えをいただく」ということは、
人間の本当の助かりを、真剣に求めるということだと思います。
教祖様が百姓をやめ、家督を息子にゆずったように
「そんなことしてどうなるんだ?」と思うようなことであったり、
「何考えてるんだ。バカじゃないの?」と思うことでも、
「神様の仰せのままに」と受ける覚悟が本当にあるのか?
「み教え」がどういうものなのか?よりも、
こちらの「いただき方」が大事ではないのかな?と思わされます。
「教祖様は、どういただいておられたのか?」
その思いを根底にしつつ、有り難く「み教え」をいただき、
助かっていかれる方が世界に増えていけば、私はとても嬉しいです。
み教えをいただくことで、金光教は
「あいよかけよ」で立ち行く関係を求めています。
ということを、次はお話したいと思います。