金光教の教会に初めてお参りされる方は、
何を求めているのでしょうか?
私の家の信心のはじまりは、曾祖父様の女遊びが理由です。
仕事をしない曾祖父様に困り果てた曾祖母様が
知人に誘われて教会にお参りしました。
なので、「困ったことを解決したい」
という理由が多いと感じています。
病気全快であったり、夫婦関係であったり、
親子や兄弟の関係、会社でのもめごとにイライラ…
初めてお参りされる理由はそれぞれだと思います。
「神へは何でも願え」とのことですから、
「困った時の神頼み」とのごとく、
何でも願うことは良いことだと思います。
そして、願い事が叶えば、
「あぁ良かった良かった、これで安心」と言って、
また普通の生活に戻って行く。
これが「信心」というものであり、
「参ってきた人の願いを叶えること」が信心の目的でしょうか?
教祖様は、このようにお話されました。
信心の目的は、
「末の安心を得ること」なんですね。
そのために
「子孫に伝わる信心をすること」
そして、
「良い子供を得ることを、第一の目的とする」
で、大事なのは、
「家内中仲良くすること」
このことを求めていくことが「信心」だと思います。
金光教の信心をされている方でも、
めちゃくちゃ家族の仲が悪い方もおられます。
そういうのを見ると、正直、信心って何なの?
と思う自分がいます。
このみ教えを初めて聴かせていただいた時、
「確かにそうだ」と思う私がいれば、
結婚しないと駄目ってこと?
子供が授からないと駄目ってこと?
結婚したくても出来ず、子供が授かりたくても授からず、
そこで苦しんでおられる人が沢山おられますのに、
なんていうことを言うのですか?
と、思った私もいます。
色んなことを考えます。
考えることが大事だと思います。
ただ、み教えというものは、全ての人に当てはまるものではない。
ということが前提にありますので、
そのあたりのことは、
み教えとは?のページを読んで頂ければ有り難いです。
信心とは?という答えの中に、
なかなか万人に通じるものは無いように感じています。
そうであるからこそ、教祖様は、
お参りされた方との一対一のお話を大事にされました。
信心の本当の目的があるにしても、
まずは、自分が助かることが大前提だとも思います。
困っていることが解決するおかげをいただくことが最優先ですね。
教祖様も
と言われていますので、
第一の目的は「わが身の上のおかげ」を十分に受けることです。
「第一の目的多いやんけ!!」
というツッコミが聞こえてきそうですが…
ありのままの願いを、ありのままさせていただく。
そのことが大切だと思っています。
願っておかげを受けた後も「信心せよ」なんて、
そうやって信者を増やしていくつもりか?
「結局宗教者は悪どいの~」と思う私もいます。
信心信心と言うけれど、
教会の先生に、「お参りしてきなさいよ」と言われて
イラッとし、教会にお参りしないといけないのか?
と思っている御信者様もおられますので、
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というお話をさせていただきます。