金光教の信心は、とても奥が深いと個人的に思っています。
「どこまでも求めていける信心だなぁ」
「これは死ぬまで安心して求めていけるなぁ」と、
20代の頃に思いました。
そんな宗教に出会え、有り難く思っています。
金光教は、
一人ひとりのいのち
一人ひとりの信心
一人ひとりの助かり
を、どこまでも大切にする。
というあり方を、信心の本質に持っています。
一人ひとり好きな食べ物が違うように、
一人ひとりの助かりが違うので、
一人ひとりの信心の受け取り方が違うようにも感じます。
相手に喜んでもらおうと思い、ケーキをプレゼントしても、
「私、生クリーム駄目なの… 失礼な人ね!」
なんて、逆に相手を怒らしてしまうこともあるほど、
一人ひとり何に喜ぶか? 何に怒るか? 違いますよね。
私の信心話も、一人の人間の信心と
思ってくだされば、ありがたいです。
自分にプラスになることだけ、受け取って頂けると嬉しいです。
「信心」という言葉で思い浮かんだ言葉を以下にならべました。
気になることがありましたら、
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