金光教の「天地書附」の最後の文言ですね。
今日この日、今の今。毎日。という意味です。
教祖様は、
神様へ願うには長いお願いはいらない。
今月今日で頼んでいけ。
朝起きたら夜中のお礼をし、その日のお願いをせよ。
夜になったら、その日のお礼をし、夜のお願いをせよ。
今月今日で毎日達者であったら、それでよいであろう。
とおっしゃられました。
これから先、どうなっていくのだろう?
と、心配や不安を抱えて生きておられる方は多いと思います。
しかし、その心配や不安は背負っていても何の徳にもなりません。
教祖様は、
心配は神様に預けて、心配する心で信心をせよ
とおっしゃられました。
心配をすると、ずっと心に残って寝られなかったりします。
それほどに神様を忘れなさんなよ。ということです。
心配役は神様にお任せすれば良いです。
金光教に初めて出会われた方によく聞かれることですが、
その時は、いつもこのみ教えが浮かびます。
最初のみ教えと同じですね。
今月今日が信心です。
誰でもすぐにでも始められることだなぁと思います。
金光教の神様が好きになり、
本当に「金光教の信心をさせていだたこう!」という方に対しては、
家で神様をお祀りさせていただくことをお勧めします。
岡山県にある金光教本部周辺の神具店で購入できますし、
インターネットでも注文できますが、
大きさが色々あり、高価なものもあります。
購入が難しい方は、自分で天地書附を紙に書き、
本棚やテーブルの上にでもお祀りさせていただく形でも良いです。
自分が拝みやすい、祈りやすい、一心になれやすい
そういう場所を家の中で整えていかれたら良いと思います。
壁を拝もうと、神様は天地ですから、方角も問いません。
私の家の本家は、押し入れの中に神様を祀ってありました。
戦争の時代ですから、家は借家が多く、
多くの他人と同じ屋根の下で共同生活をすることが
あたりまえの時代であったと思います。
そういう中、助かりを求めて、手作りされた神棚は、
見た目はおせじにも綺麗とは言えないものだと思いますが、
神様は喜ばれていたと思います。
高級な神棚を買えば良いということではありません。
その方の、「神様をお祀りさせていただく」心が大事です。
体の調子が悪い方は、朝起きて神様にご挨拶し、お礼を申す時に、
神棚にお水をお供えさせていただいてから拝ませていただき、
祈りが終われば、そのお水を御神水と思って体の中にいただいて、
神様に中に入ってもらい、神様に治していただく感覚で、
全身に行き渡るようにお願いさせていただきます。
皮膚の調子が悪い時は、そのお水をつけさせていただきます。
そのように、神様と共に生活させていただくことが、
信心だと思います。
「信心の地を肥やす」そのように教えられています。
教祖様のみ教えに
というものがあります。
毎日お日様が昇り沈んでいきます。
それが天地の道理です。
それと同じように、毎日祈ります。
毎日命があると決まってはいません。
事故に遭うかもしれません。
病気になるかもしれません。
災害に遭うかもしれません。
自分は無事でも大切な人がひどい目に遭うかもしれません。
「どうぞお守りください」と、毎日祈らせていただきます。
いつも話が長くなってしまい、すみません…
結局、
信心とは、やりたくてやっているものであって、
しなければいけないものではないので、
どうして信心をしているのか?ということをお話させていただきます。
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