「腹が立った時の対処法」⑤
腹が立った時の対処法としまして、
まずは、目指すべき理想像を決める必要があると思い、
「腹の立つことを知らない人間になる」ということに決定し、
そんな自分になるためには何をすれば良いか?ということを考えてきました。
人間はなぜ腹を立てるのか? を自分なりに考えて、自分と周りの思いを知り、
自分の思い通りになれば、幸せになれるのか? を見つめ、
腹が立ってしまった時に何をするのか? を求めてきました。
また、
腹が立つとどうなってしまうのか? ということも考えさせていただきました。
で、長々と話をしてきて、結局
腹が立った時の対処法って何なの?ということなのですが、
「辛抱させていただく」ことだと思います。
しょうもな~~~~!!!!!!
自分で書いてて思ってしまいました。
「そんなもん知っとるわ」
「何もったいぶってんねん!」
「よくある答えやん」
「それが出来へんから悩んでるんやろ!」
皆様の心の声が、痛いほど突き刺さります…
申し訳ありません。<(_ _)>
でも、教祖様は「信心辛抱」と教えておられるのです…
私が偉そうに言ってるわけではありません… どうかお許しを…
金光教の信仰の先輩に
「知る」とは、「生き方が変わること」
どんなに知識があって、色んなことを知っていたとしても、
その人の生き方が何も変わっておらず、尊敬もできなければ、
良い生き方を知っているとは言えない。
と、教えていただき、
「知る」ということは、すごいことだなと思いました。
よくよく自分のことを考えてみますと、
腹が立った時に「辛抱させていただいているのかな?」と思わされます。
「辛抱」ではなく、「我慢」してるだけなのでは?
と、よく思います。
で、その「我慢」と「辛抱」の違いって何なの?ということですよね。
私は語源を調べるのが好きなので、まずは語源を見てみますと、
「我慢」
我慢とは、仏教語「七慢」の一つ。
「慢」は、思い上がりの心をいう。
我慢は、強い自己執着から起こす慢心のことを意味し、
「我(自分)に慢心を抱く」ことであるから、
「自惚れて、他を軽んじる」という意味でもある。
「辛抱」
辛抱とは、仏教語「心法」が語源の説があり、心のはたらきを意味する。
「心法」とは、「心を修める・練り鍛える方法」という。
「辛棒」とも書かれていたようです。
今はインターネットの時代で、色んな方が
「我慢」と「辛抱」の違いを説いておられますので、
わざわざ書く必要もないかもしれませんが、
私の中での単純な理解としては、
「我慢」は、今だけを耐えるその場しのぎ 「短期的」
「辛抱」は、願いを持ち続けて何度でも耐える「長期的」
というイメージであります。
自分は悪くない。自分は間違っていない。自分が正しい。
そういう思いを抱いたまま、耐える「我慢」は苦しい…
相手が悪いとは思うが、もしかしたら自分にも悪いところがあるかも…
相手と良き関係が築けますようにとか
自分が楽に生きられるようになりますようにとか、
願いを抱いて耐える「辛抱」は楽しくもある。
金光様は、
「信心辛抱」「先を楽しめ」と、よくおっしゃられました。
金光教の教典では、「辛抱」という言葉がよく出てくるように感じます。
「あ~元気でる~」
どこぞの知らないおっちゃんが言ってることではなく、
神様が、人間が本当に助かるために言われた言葉ですし、
実際に助かった人がおられるのであれば、
私も信じてみようかな… と、思ったりしました。
やっぱり「そこに願いがあるのか?」
を、大事にしています。
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