金光教の神様は、「天地」である。
そうなりますと、
「天地」と「自然」ってどう違うの?
という話に、時々なります。
違いは、特にないです。(笑)
そのように、答える時が多いです。
結局、言葉じり的な話なので、
お話しさせていただく相手によって、答え方は変わるものですよね?
それでも、あえて違いを説明するのなら、
「自然」とは?
自然開発、自然破壊、自然保護、という言葉があるように、
何かしら人間の力によって、様々な手を加えることが可能なもの。
人間中心の世界観ですね。
「天地」とは?
そのものに、お心があり、いのちがある。
人間も含めての天地であり、
人間の力ではどうすることもできないお働きがそこにある。
見た目では自然と同じなのかもしれませんが、
その世界観に違いがあるのだと思います。
感覚的には、そこに「いのち」があるかないか?
という感じです。
が、それに対して異論がある方は多数おられると思います。
やっぱり、これは言葉じり的な問題なので、
それぞれ、一人ひとりが、納得いく言葉があるのだと思います。
「天地」と「自然」の違いに関して、
私が思ったり、感じている違いが少しでも伝われば…と思います。
でも、「自然災害」と言い、
人間の力ではどうにもできない地震や洪水、火山噴火、
日照りや極寒極暑など、様々な災害があるわけですよね。
こういった災害と言われ、人間にとって害を及ぼすようなことも、
「天地のおはたらき」であり、「天地の恵み」であるとは言いにくいですが、
みな天地の大切なおはたらきだとは思います。
そこに人間がいることで、悪く言われますが、
今までの地球の歴史から見ましても、
地震や洪水などは、どこでもいくらでも起きてきたことです。
天地の体調を整えると申しますか、天地にとって必要であるおはたらきです。
人間のいないところで、地震などが起きていても、誰も何も言いません。
知らぬふりです。興味もありません。
しかし、そこに人間が住んでいたら、
神様はなんてひどいことをするのだ…などと言われてしまいます。
神様はお気の毒だと思います。
大陸を見ましても、昔は繋がっていた大陸が、
どんどん形を変えていっているわけですから、
各地で大陸が沈んだり、浮上したりしてきたことで、
人間が歩いて大陸を渡り、移住し、生活してきたのだと思います。
「日本沈没」という映画がありましたが、
本当に、今後、日本が沈没することも、
全くない、そんなことは有り得ない。
とは言い切れないことだと思います。
地震など、人間が災害と言われていることが、神様にとってはどういうものなのか?
例えば、神様にとっては、
くしゃみや寝返りのようなものだとしたら、どうでしょうか?
大便小便など、我慢すると体に悪いものがありますよね。
くしゃみしたくて、わざとしてるわけではなく、
寝返りしたくて、わざとしているわけではありません。
人間が生きるためにトイレに駆け込むように、
天地が生きるために、体を整えるために、やむなくされているのかもしれません。
親様である天地金乃神様は、
天地の間で可愛い人間たちが生活しているのは知っておられます。
そこで、自分がくしゃみをしたり、寝返りをすることで、
かわいい我が子が傷ついていたとすれば、
神様は、もう居ても立っても居られないと思います。
何とかしてあげたい。
でも、何もできない。
もうちょっと被害が出ないところに住んでくれないかな?
そんな思いではないでしょうか?
本当は、せずに生きていけるのであれば、しなくて済むのかもしれませんが、
それをせずには生きていけない。
天地が死んでしまえば、その中にいる人間をはじめ、全てのいのちは全滅です。
そんな風に思うております。
天地の中で住まわせて頂いている。
そのような思いが人間からなくなった時、
目に見えて、何かが狂ってくるのだと思っています。
新海誠監督の映画「天気の子」をようやく見ました。
天と地と私達の繋がりを感じさせられるものでした。
私の中では、神主さんの
「天と地の間で振り落とされぬようしがみつき、
ただ借り住まいをさせていただいているのが人間」
という言葉が印象的でした。
読んで下さり、ありがとうございました。
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