「ご利益」という言葉が、パッと思い浮かびます。
日本人が一般的に考えている信仰ではないでしょうか?
自分の願いごとが、願い通りに成就すること。
それが「おかげ」であると考えている人は多いと思います。
家内安全 病気平癒
子孫繁盛 五穀豊穣
商売繁盛 学業成就
合格祈願 安産祈願
良縁祈願 厄除祈願
必勝祈願 などなど、
お参りして願うことで、願いが叶うことを求めておられます。
それが悪いことではなく、当たり前の願いであり、
とても大事なことだと思います。
どんな願いでも欲張って、どんどんお願いされたら良いと思います。
辞書で「おかげ」について調べてみますと、
1、神仏の助け。
2、ある物事がもたらすよい結果。他から受けた力添え・恩恵。
「皆様の声援のおかげで、金メダルをとることができました」
3、皮肉の気持ちをこめて、悪い影響についていうこともある。
「残業が多いのは上司のおかげだ」
「会社が倒産したおかげで明日から働かなくて済むわ」
良くも悪くも、「このことのおかげで、こうなった」ということでしょう。
教祖様は幼ない頃から体が弱かったので、信仰心の篤い父様に背負われ、
村の氏神様や近くの神社・お寺に参拝をしていました。
12歳で養子に行かれた後も、
畑仕事が休みの日には「神参りをさせてほしい」と養父母様に願うほど、
お参りが好きだったようです。
大人になってからも信心は続き、お参りをされていました。
42歳の時には、厄年で厄負けせぬように、
様々な神社仏閣にお参りされ、願われていました。
しかし、急死一生の病で倒れられ、親戚中が心配しました。
その時、義弟様に神がかりがあり、
「氏神はじめ神々は、みなここへ来とるぞ。
熱病では助からんで、のどけに神がまつりかえてやり。
心徳をもって神が助けてやる。」と言われ、助けられました。
このあたりの話から、現代では「気味が悪い」とか、
「そんなご冗談を」と言われる方が多いのですが、
神様が憑依して話をしだす人が多い時代だったようです。
教祖様自身、
神様からお話があったのは初めてのことだったので、
嬉しかったと思います。
一生懸命お参りして願っても、その願いが神様に届いているのか?
このお願いの意味があるのか? このお願いの仕方で良いのか?
と、私たちが考えるように、教祖様も思われていたことでしょう。
ちゃんと神様は受け取ってくださっており、
ここに集まり、いのちを助けてくださったのですから、
助けられたこと以上に、
神様の思いを知れたことが有り難かったかもしれません。
教祖様の願い通りに、何も起こらず無事過ごせたわけではありませんが、
本当は熱病で死んでいたところを、病気を変えてでも助けてくださった。
そういう事実がありますので、
例え願い通りの成就はしなくても、
神に願う人間が受けられるおかげというものがあるのだと思います。