「腹が立った時の対処法」⑦
腹が立った時、どんな気持ちになるでしょうか?
また、
どんなことを頭の中で考えるでしょうか?
二代金光様・金光四神様の御理解にこういうものがあります。
このみ教えを知った時から、なぜか、
自分が腹を立てた時に必ずこの教えが頭に浮かぶようになりました。
私は腹を立てると、何か相手に言い返したくなります。
私が腹を立てている時は、大体相手も私に腹を立てています。
腹を立てる者は動物であり、獣ですから、
こちらが何かを言い返したところで、
相手に聞く耳がないのですから、全く意味のないことだと思いました。
何かを言うのであれば、
相手の腹立ちがおさまり、
人間に戻ってから言わなければならないのです。
相手が獣と言うのであれば、
こちらも腹を立てていれば、同じ獣です。
私は、なるべく
「腹を立てる者は相手にしないようにしよう」
「自分も腹を立てないようにしよう」と思いました。
妖怪人間ベムばりに「早く人間になりたい!」と思うようになりました。
当たり前のことかもしれませんが、
みんなそうしたくても出来ないですよね。
自分もそうだと思います。
だからこそ、
「み教えをいただくことができる」ということは、
ありがたいことだと感じています。
同じ言葉を聴いても、何も思わない人がおられると思いますが、
どういうわけか、私の心にはスッと入ってきました。
自分の状況だったり、年齢だったり、タイミングだったり、
色んなことが関係しているのだと思います。
私が腹を立てた時、金光四神様の教えと共に、
「腹を立てなよ」と、二代様が言ってくださっているように感じるので、
その祈りに答えたい私がいます。
二代金光四神様の教えだけでなく、様々なみ教えが心に残っています。
私の頭の中に出てくる教祖様のみ教えは、
とのお言葉です。
「かわいい」とは、「可哀相」という意味です。
上から目線で、「あぁ可哀相な人やな」と見ているわけではなく、
辛抱出来ずに我を失っている人を見て、その人の助かりを願えるか?
というところが大事であると感じています。
み教えに
また、
とあります。
更に
と、一度ならず何度もお話があったようです。
私たちが信心辛抱する理由は何でしょうか?
誰かと言い争い、喧嘩になった時、
「自分は悪くない」との思いから、
相手が立ち上がれないほど叩きのめす人もおられます。
相手とどうなりたいのか?
相手とどういう関係になることを目指しているのか?
自分自身の求める世界はどういうものか?
その願いが辛抱する理由だと思います。
人と仲良くなりたい。
人が笑顔になってほしい。
人に死んでほしくない。
そんな願いがあるからこそ、
信心辛抱させていただこうと思うのだと思います。
それがどうでも良い人は、せっかく与えていただいた神様の心を失って
四つ足になっているわけですから、可哀相だと思います。
教祖様のおかげで、私はまだ人間でいられるのであれば、
人間である私が、信心辛抱させていただこう。
そう思えるかどうかの闘いが、ずっと続いているのだと感じます。
やっぱり私は、教祖様が求められた
総氏子身上世界真の平和(そううじこみのうえせかいしんのへいわ)
というものを求めたいと思います。
私の辛抱レベルは、教祖様と比べものになりません…
とのみ教えがございます。
あなたの手は痛くなかったですか?
ぬくい雨が降ってきた?
そんなこと思えるなんて、
正気ですか?
嫌味ですか?
頭狂ってるんですか?
そんなことを思ってしまいます…
変人になれ。変人にならぬと信心はできぬ。
変人というは、直(すぐ)いことぞ。
との教えもあるのですが、正にその通り、
本当に変人にならないと無理です…
真っ直ぐな神様のような「人を助けたい」という思い…
信心辛抱とは、そういうことなんですね。
どうして相手が悪いのに、私ばかり辛抱しないといけないのですか?
そんな声が聞こえてきそうです…
本当にそうですよね。
平和を求めていない人は好き勝手に生きて、
相手を傷つけても誰にも叱られずにぬくぬくと生きていられる。
神様の願われる世界を求めている私は、
相手に何を言われようと辛抱して、争いを起こさず、
誰からも助けてもらえない…
神様がいるのなら、まずは私を助けてほしいです。
そう思いますよね。
このありのままの思いを神様にぶつけること。
それが金光教の「祈り」だと思います。
「本心」ですよね。
神様に対しては頭を下げないといけないとか、そんなことではないんです。
「相手」に対して腹が立つとか、そういうこといっぱいありますけど、
「自分」が助かりたいんです。まずは「自分」です。
それで良いのだと思いますし、それが大事だと思います。
「自分」を助けてほしい。
心を和らげてほしい。
幸せにしてほしい。
憎しみを取り払ってほしい。
もう何でも「ありのまま」を願うとすっきりします。
毎日願えば、やはり神様がお働きくださいます。
その実感が、少しずつ湧いてきます。
相手に対する愚痴もため込まなくて良いです。
ただ、こういった話を聴いてくださるのが、金光教の先生だと思います。
教祖様は、
とみ教えくださっています。
人に言えば、その話を他の人に言われて広まったり、
「そんなつもりで言ったんじゃないのに…」と取り違いされたり、
悩み相談のつもりが、かえって悩みが増えてしまう場合もあります。
人に言わずに神様に言われたら良いです。
でも、「教会の先生も人でしょ?」そう言われたりもします。
先生にも言いたくなければ、
教会にお参りされ、御神前に向かって、直接神様に言えば良いと思います。
しかしながら、先生の「御取次」とは、奥が深いものだとも思います。
先生が必要なければ、教祖様も必要ないのと同じことになりますが、
私はそうは思えないです。
この話は長くなってしまいそうなので、一旦置いときまして、
とにかく、
「信心辛抱」は良いことだと思いますが、
「信心辛抱」しなければいけないと思い込み、
自分自身を苦しめているのであれば、それは間違いだと思っています。
総氏子身上世界真の平和であり、
その「総氏子」の中には、自分も含まれています。
自分を含めた世界の人々が本当に助かることが神様の願いです。
人の中で、一番自分が助けやすい人は、「自分」です。
他人の気持ちは分かりませんが、自分の気持ちは考えれば分かりますし、
それは嘘ではなく、本当のことですから、
まずは、自分を助けなくてはいけません。
なので、相手に腹を立て、私が嫌な思いになった時は、
今まで書かせていただいたことが、今では頭によぎるのですが、
最初はそんなことどうでも良いとさえ思います。
まずは、「自分を助けてください」その「一心」が大事だと思います。
そうなると、腹が立った時の対処法は、
「一心に願う」になりますね。
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