「腹が立った時の対処法」②
腹が立った時の対処法と言えば、
「これ」をして「あれ」をして、そうすれば楽になる。
ということを求め勝ちになってしまいますが、
それは一時の対処法であって、
またそのうち腹が立つことが多いように感じます。
私の場合は、
「腹の立つ」ことを知らない人間になりたい。
が、目指すべき自分像であり、求める願いであります。
その願いの元になっている金光様の教えがございます。
津川治雄さんという方が伝えておられる教えです。
この教えを初めていただいた時、
「こんな世界があるんだなぁ…」と思い、世界が広がりました。
腹の立つことを知らないなんて、楽ですよね。
ものすごい魅力的です。
そんな自分になるには、どうすれば良いのか?
ということを考えますと、
以前お話させていただきました
人間はなぜ腹を立てるのか? を、まずは考えたくなりました。
そして、
「こういうことで腹を立てる人間が多いだろう…」と推測し、
そうであるなら、
「自分がされて嫌なことは、相手にはしないでおこう」
ということに取り組ませていただきたくなりました。
と言っても、そんな取り組みを忘れて、
めちゃくちゃやっちゃう時が多いです…
でも、取り組もうとすることは大事ですよね。
幼少の頃から、私は母様に
「人の振り見て我が振り直せ」とよく言われていました。
他人の行動を見て、良いところは見習い、
悪いところは改めよという意味のことわざでしょうかね。
友達に何かをされたとか、悪いことをしている人がいたとか、
そういう話をした時には、いつも出てくる言葉だったように思います。
金光教の教えにも
とありますので、
自分や周りをよく見て、
他人事と思わず、わが事として考え、求めていくことが、
わが身の助かりへの一番の近道であると感じています。
いつまで経っても「腹が立つ」ことがおさまりませんので、
自分自身に対して、
「あんたいつまで同じこと繰り返して腹を立ててるの?」
「腹を立てる人生のままでいいのかい?」
と、リトル本田ばりにちっさい私がいつも問うてきます。
腹が立つ時は、
自分は悪くない。
相手が悪い。
周りが悪い。
そう思っています。
では、
自分は何も変わらず、
相手だけ変われば良いのか?
それは卑怯な感じがしますね。
自分もちょっとは悪いところがあるのでは?とも思います。
更に、こんなことも考えます。
自分の思い通りに全てなったとしたら、腹の立つことはなくなるかもしれないけれど、
それで私は幸せになれるのか?と考えますと、果たしてどうだろう? と…。
例えば、
子どもがおやつを欲しがります。
親様がおやつを与えても、「もっともっと」とわめきます。
「ご飯が食べられなくなるよ」「おやつばっかり食べちゃ駄目」と言い、
親様はおやつを与えるのを止めたりしますよね。
子どもは、自分の思い通りにならなかったので、腹を立てます。
自分の思い通りにおやつを与えてもらえれば、腹は立てないでしょう。
でも、
おやつばかり食べるようになり、食事はいらないと言い、
太り、動くのが嫌になり、病気になり、虫歯になり、
それで幸せなのかな?と考えると、私は幸せとは思えないです。
学校を進学受験するにも、自分の希望校を決める必要がありますね。
願いを立てて、一生懸命勉強をしますが、
合格する人がいれば、不合格の人もいます。
自分の思い通りに合格しなければ、悔しく、負け組のような思いにもなり、
合格して喜んでいる人を見れば、腹が立ったりもします…
しかし、希望校に入れた人達が、必ずしも幸せになれるとは限りません。
良いと思って入った学校が、入ってみると全然違った…
勉強が難しすぎてついていけなくなり、不登校になる子がいれば、
人間関係に悩み、病気となり、中途退学する子もいるかもしれません。
逆に、不合格となって、自分の希望とは違う学校に入学した者が、
良き先生・友人との御縁をいただき、
先々の就職や結婚の御縁にも繋がる場合もあります。
そう考えますと、
願いを立てることは大事だと思いますが、その願いは誰が基準になっているのか?
と、考えるようになってきました。
私だけが得をして、私だけが良い思いをして、
私の願いだけを叶えていただこうと思っているのか?
先ほどのおやつの話でも、
子どもには子どもの思い、願いがありますが、
しかし、子どもの願いと同時に親様の願いもあります。
体調を崩さないように、元気に過ごせるように、笑顔で生きられるように。
子どもが知らないところで、かけられている願いがあろうかと思います。
それと同じように、
人間の親様である神様も、私のことをいつも思うて、私が助かるように、
時には、私の願いを叶えたくても叶えられないことがあるようにも思います。
このように、
私の願いがあるならば、同じように、他の人にも違った願いがあるかもしれない。
このことが「わかる」「分からせていただく」ということが、
とてもとても大切なことであると、感じさせていただいています。
幸せになるには? どうしたら良いでしょうね。
今思うことは、「幸せとは何かを考える」
それが大事ではないかと思います。
あ~長いですね。
分かりやすくお伝えしたいのに、それが出来ないことが申し訳ないです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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