よく神社やお寺で、
寄付札というものを目にしますが、
金光教ではないんですか?
と聞かれることがあります。
答えは
ないです。
そういうのしていません。
金○十万 ○○○○と名前が書いてあったり、
建築奉納 ○○○○と名前が書いてあったり、
あれは誰に何目的で掲示しているのでしょうか?
それは、真心からのお供えと言えるのでしょうか?
教祖様の元へお参りしたある方が、こういうお話を残してくださっています。
「今日は少々寄付をしようと思って参りました。
よそでは寄付札を立てたりしますが、
こちらでは、そういうことはなさらないのですか」とお伺いすると、
「寄付帳とか受付とかはありませんか」と申しあげると、
私は大金を持って来たので歓待されるかと思っていたが、
調子はずれの話で間が抜けたことであった。
そこで、そのお金を出して、「ご普請へ寄付いたしたい」と申しあげると、
ご祈念が終わってお結界に下がられ、
何も仰せられないでただお座りになっていた。
私は心の内で茶づけでも食べよと言われるのかと思っていたが、
何のこともなかった。
お礼を申して帰ろうとしたら、
このお話、どのように思われますか?
寄付やお供えというものは、
何か見返りを求めるものなのでしょうか?
寄付札を立てて、人が助かるのでしょうか?
金光教の場合、
お供えを受け取る者が、
我々金光教教師だからと言って、
我々がおいしいものを食べたり、
良い車に乗ったり、良い暮らしをするために
お供えを使うわけではありません。
そのお供えって、何に使ってるの?
ということに興味がある方は、
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