蘆花 恋の代償

新Googleサイト移行のために自動変換されたファイルです.修正版をご覧ください(クリック).

前稿の蘆花(山本覚馬 妻の不祥事)で,「黒い眼と茶色の目」に書かれている「山下家」の一部を紹介した.しかし,本筋にふれないと,その位置づけがはっきりしない.

「黒い眼と茶色の目」は,敬二(蘆花)と寿代(久栄)の恋愛と失恋,退学,挫折の話である.

大正3年に30年前の明治19年頃の体験をもとに発表したものであるが,出版直前に.妻との間で一悶着があった.

その内容は,蘆花の死後,昭和14年に出版された岩波文庫のあとがきに夫人が書いている.

新潮社の全集第十巻(近代DL)

全集掲載の写真 同志社時代(20歳)

「黒い眼と茶色の目」について

其の1から其の8に分かれている(文末参照).黒い眼は新島襄を,茶色の目は山本覚馬の次女,久栄を指している.自伝的小説であるため,あらすじでは実名にした.

あらすじ

熊本バンドのメンバーの一人である徳冨健次郎(蘆 花)は,同志社の教育方針に抗議して授業ボイコットを主導した.そのため,退学して熊本に帰って実家で両親と暮らしていたが,兄嫁が来てからは兄との諍いが多くなった.見かねた父親は,伊予に居る従兄弟の横井時雄(牧師)に健次郎を託した.健次郎は12歳の頃,同志社英学校へ転校してきた時雄が秀才として校長の新島先生に信頼されていたのを見聞きしていた.

時雄が伊予から京都に移るのに合わせて,健次郎は同志社に再入学する.時雄の家には,みね(時雄の妻)の妹である久栄(山本覚馬の次女)がよく訪ねてきていた.健次郎は19最,久栄は16歳で同志社女学校に通っていた.最初の頃の印象として,「何という蓮葉な娘だろう」と書いている.健次郎は時雄の家を出て同志社の寮に移る.健次郎は度々久栄と会ううちに,恋仲になる.みね,28歳の時,男の児を出産後,急逝する.葬儀,叔母(時雄の母)さんの怪我,その看病などで二人は急速に接近し,結婚を意識するようになる.ところが,同志社予備校に入学してきた従弟の竹崎士平が邪魔をする.士平は久栄に好意を抱きアプローチするが,最終的には拒否される.健次郎はそのような邪魔を乗り切って久栄と婚約する.しかし,女子寮,寄宿舎を行き来する健次郎の久栄への手紙や二人の行状は知られていて,新島夫妻は二人の恋愛に否定的な態度をとる.士平は周囲が反対している理由(奔放な性格,スキャンダル等)を知り,婚約を解消するように忠告する.そのうえ,士平は健次郎に代わって婚約解消の旨を久栄に伝えてしまう.健次郎は怒り,結婚できないなら破約は自ら伝えると南禅寺で会う算段をする.ところが,二人が会っているところを時雄に見られ,ひどく叱られる.時雄,健次郎の兄, 猪一郎や姉初子,襄,八重等に反対され,別れを決断する.しかし,久栄への思いを断ち切ることはできず,時々久栄に会っていたが,或る日ついに別れることを決断し,手紙を書く.久栄は,学業のための一時中断なら兎に角,婚約解消は納得できず,驚きと悲痛な気持ちを手紙で伝える.健次郎は最後決別の手紙を送るが,何となく返信を期待する.久栄は,彼から貰った手紙などを返し,思い出を断ち切る.

健次郎は,悶々として,学業にも手がつかず,荒んだ生活のため,方々に借金がかさみ,学費も払えなくなってしまう.追い詰められた健次郎は京を離れる決断をする.京を去るとき,健次郎は久栄と会おうとするが,新島襄と八重が同席し,ふたりだけで話すことは許されず新島邸を去る.死骸のように瞑っている健次郎を載せて汽車は驀地(まっしぐら)に西を指して奔った.

(エピローグ)

健次郎は郷里に帰り,竹崎順子や海老名弾正の妻美屋(横井小楠の娘,時雄の妹)などに世話になる.

久栄は同志社女子学校を卒業後,学校で働いていたが,1893年に父覚馬が亡く なった翌年,脳病(うつ病?)で亡くなる.

前に紹介したように,「山下家(山本家)」の中で.山本覚馬の妻の不祥事の経緯が書かれているが,久栄の人柄を理解するためには,そこに触れる必要があったのだろう.久栄も男性を惹きつける面があったのかもしれない.なお,久栄とみねについては,次のように述べている.

気軽に尻軽に刎(はね)廻る唇の薄い妹の壽代(久栄)さんに引易(か)えて,異腹(はらちがい)の姉のお稲(みね)さんは眼も大きく唇の厚い重くるしい感じの人であった(29頁).

岩波文庫のあとがき

蘆花の死後12年経った昭和14年に岩波文庫として出版された版(314ページ,PDF165ページ)には,夫人(徳富愛子)の「あとがき」が 付いている.最初の出版(大正3年)の際,手伝う中で「夫の本態が過去にある」ことを知り,現実の自分は一体何であったのかを夫に問い,迫り,議論したと書いてい る.夫は,一旦出版社に渡した原稿を取り戻し,「破ろうと焼こうとお前の勝手に任す」と言ったこと,最終的には結婚20年にして夫の純愛を痛切に感じ,そのまま刊行したとも書いてい る.

・・・・浮書を手伝ふうちに,私は彼の胸中に開けずの部屋が,かくも生々しく秘められて居たのかと,今更に驚かされた.これでは私が,彼の胸の扉を排して入り込む余地がない.結婚以来殆んど二十年の辛労,抑も亦何の意味ぞ.要するに,夫の本態は過去に在って,彼の現実は空蝉同然の存在に過ぎぬのではないか.それでは私の心が承知出来ない.そこで私は夫に迫った.現実をとるか.過去に生きるか,現実が真ならば,現在から見た過去であるべき筈,と.併し過去を肯定する夫としては,其處に幾年月が流れて居ようとも,其当時々々を其の儘生かす外はなかった.彼は曲げない,私も曲げななかった.かくて夜を日に次いで討論の極,彼はやうやく妻の正体を見ないわけにゆかなかった.そこで既に出版書庫に渡してあった原稿を取戻し,私の手に置いた.「破ろうと焼かうと,おまへの勝手に委かす」と云ふのである.

私は夫の純愛を此時ほど痛切に感じた事はなかった.全く夫の霊にぢかに触れた思ひであった.斯くて何の不安が私に残らうぞ.私は我身の前世と観じて此の書を抱きとった.而して其のまゝ直ちに刊行といふ運びとなったのが即ち此の「黒い眼と茶色の目」である.後略

あとがきを読んだ後,巻頭に著者が書いている下記の文章の意味が理解できた.

吾妻よ

二十一年前結婚の折おまへに贈らねばならなかったのを,わしが不徹底の含羞から今日まで出しおくれたのが此書だ.

わ しはおまへに此生でめぐり合ふ前に,おまへを尋ねてさんざ盲動をした.此もおまへと思ひ違へた空しい影にうろたへて流した血と涙と汗の痕だ.わし達は最早 此様なものも昔話になし得る幸福な身の上だ.形に添ふ可き影ならば,此書をおまへでなくて誰に贈らうぞ.此は當然おまへのものだ.

わしにとって「過去」の象徴であったなつかしい

父上が天に帰った年の秋十一月十八日

太古天の浮橋を罩めた様な雲霧混沌として天地を含む朝

伊香保千明仁泉亭の新三階に於て

著者

健次郎の偏執的性格によってもたらされた恋愛の葛藤,周囲の反対による失恋,後悔,久栄との別れを生涯引きずって生きたのは事実のようである.夫人は「あとがき」で次のように分析している.

彼は元来愛の人,快活が本質で,同志社では弁論部長に推されたほどであったが,一旦恋愛の絆に縛らるゝや「恋愛は神聖」と意識する一方,「恋愛は男子の恥辱」と見做さんとする儒教の血も跳梁して,この新旧二元が彼の胸底で相争った結果,到頭彼は中途退学,京都出奔といふ敗北に身を委ねてしまった.

携帯,スマホが使える高度情報化社会に生きる現代の読者は,ウジウジした恋の顛末記に引き込まれることはないかもしれないが,蘆花の人柄を理解するには必須の作品のひとつである.

追記 一人の男子を狂わす程の女子の顔を見てみたいと思い,インターネットで「山本久栄」で画像検索すると該当するものが存在する.異母姉みねの写真も残っている.

オンラインで読むために

本作品には目次がない.ダウンロードせずにパソコン画面上で読むために,主要項目のページを以下に記した..

近代デジタルライブラリーには,大正3年と昭和14年出版の本が登録されている.最初に読んだのは,大正3年12月17日発行の版である.512ページ(319文字/ページ,PDF264ページ)程度.以下に示したページ数は,原稿に印字されたページおよびPDF化されたページ(括弧内)である.ピンクは岩波文庫である

其一 京都 1)黒い眼 2)茶色の目 3)敬さんは? 4)木屋町 5)山下家 p43 (コマ番号25)6)通学生 ---------- 1) 1(7),5) 30(19)岩波文庫の頁

其ニ 協志社 1)追憶 p73(40) 2)三年生 3)兄 p94(51) ---------- 1) 48 (28)

其三 渦巻の中 1)温室 p112(60) 2)生と死と病 3)叔母さん 4)次平さん 5)暖炉の火 6)渦巻 7)銀色の光の夢 ---------- 1) 71(39)

其四 戀の海に 1)南禅寺 p216(112) 2)伏流 3)不良学生 4)墓場で p254(131) --------- 1) 132(70)

其五 東京 1)東京へ p271(139) 2)霊南坂の家 3)帝都と旧都 4)房州 5)浮雲 ---------- 1) 165(86)

其六 茶色の目に 1)京都へ p329(168) 2)河原町 3)破約 4)水の流れ- --------- 1) 198(103)

其七 清瀧 1)愛宕の麓へ p395(201 2)寂寥 3)よくない女です ---------- 1) 238(123)

其八 突貫 1)彼は東へ p441(224) 2)我が植えた剣の山 3)湿って輝く黒い眼と横向いた茶色の目 4)突貫 --------- 1) 265(136)

EPILOGUE (1)p503(256),(2),(3)寿代のその後の消息,死 (4)敬二(蘆花)の結婚 --------- (1) 302(155)

本書は青空文庫には収載されていない.

近代デジタルライブラリーでは,文庫本の場合,2頁がPDF1頁になっている.160ページ程度の文庫本なら,PDFを20ページづつ分割してダウンロードした後,一つのファイルに結合してパソコンで拡大して読むと楽である.

追記

健次郎の借金を返済したのは,伊予時代(今治教会)からの友人,曽我部四郎である.

インターネットで公開されている蘆花の作品

青空文庫

  1. 燕尾服着初めの記 (新字旧仮名、作品ID:48204)

  2. 花月の夜 (新字旧仮名、作品ID:46537)

  3. 草とり (新字旧仮名、作品ID:1707)

  4. 熊の足跡 (旧字旧仮名、作品ID:18326)

  5. 小説 不如帰 (新字新仮名、作品ID:1706)

  6. 馬上三日の記 エルサレムよりナザレへ(新字旧仮名、作品ID:46610)

  7. 水汲み (新字旧仮名、作品ID:2517)

  8. みみずのたはこと (新字新仮名、作品ID:1704) →徳冨 健次郎(著者)

  9. 謀叛論(草稿) (新字新仮名、作品ID:1708)

  10. 良夜 (新字旧仮名、作品ID:46536)

近代デジタルライブラリー

思出の記

黒い眼と茶色の目は新潮社蘆花全集第10巻にも収録されている.

蘆花全集は1〜20巻閲覧可能になっている.

第1巻 人物史伝篇 武雷土.格武電.グラツドスト-ン伝.歴史の片影

第2巻 短篇小説集 石美人.羅武烈号.花あらそひ.老武者.すつる命.外交奇譚

第3巻 自然と人生 青山白雲 青蘆集

第4巻 トルストイ ゴルドン将軍伝 探偵異聞

第5巻 不如帰 名婦鑑

第6巻 思出の記

第8巻 寄生木

第9巻 みみずのたはこと

第10巻 黒い目と茶色の目 新春

第11巻 死の蔭に 太平洋を中にして

第12至14巻 日本から日本へ

第1至3巻(徳富健次郎,徳富愛)

第15巻 竹崎順子

第16至18巻 富士

第1至3巻(徳富健次郎,徳富愛)

第19巻 偶感偶想

第20巻 書翰集

熊本・蘆花の会

(2013.11.25)