2013ノーベル化学賞

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今年のノーベル化学賞が10月10日に発表された.

米ハーバード大のマーティン・カープラス名誉教授(83),米スタンフォード大のマイケル・レビット教授(66),米南カリフォルニア大のアーリー・ウォーシェル特別教授(72)の3氏である.

授賞理由は「複雑な化学反応のコンピューターモデルの開発」.生体内で起こる様々な生命現象をコンピューター上で再現することに道を開いた.たんぱく質と化学物質の反応を計算して薬が効く仕組みを調べ,新薬開発の研究に貢献した.

分子計算とよばれる領域には,大別して分子力場法 (MM),分子軌道法 (MO),密度汎関数法 (DFT),分子動力学 (MD) 法がある.そのなかの分子動力学シミュレーションプログラムを開発し,それが実用レベルに到達した功績と言っても過言ではない.

分子動力学法では,原子間に働く力と時間変位から,ニュートンの運動方程式(力=質量×加速度)の数値解を差分法により求めて,時々刻々と変化する原子位置を求める.元来,古典力学に基づく手法であるが,最近は量子力学と組み合わせた分子動力学シミュレーションが盛んである.タンパク質の場合,全体構造は分子力学法で求め,活性中心の周囲は量子化学計算を用いて詳細に解析する手法を開発したことも受賞理由のひとつとなっている.

生体高分子の分子動力学シミュレーションの始まりは,1977年に遡る.McCammon, Gelin, Karplusらは,58残基からなるタンパク質BPTIの原子の動きを8.8ピコ秒間シミュレーションすることに成功した (McCammon JA, Gelin BR and Karplus M. Dynamics of folded proteins Nature 267, 585-590, 1977).それが生体高分子の分子動力学シミュレーションの始まりとされている.

Bovine Pancreatic Trypsin Inhibitor (BPTI),ウシ膵臓トリプシンインヒビター(BPTI)

BPTIのPDB (Protein Data Bank, X-ray) ファイルをmercuryで描画,赤点は水分子の酸素.右はステレオ図.

タンパク質としてはもっとも小さい分子であるが,分子動力学シミュレーションの成功は当時のコンピュータ性能を勘案すると画期的である.

MDにおいては,各ステップ毎に全粒子に掛かる力を算出する.この力の関数の形,およびパラメータは,計算対象や精度等により多様である.タンパク質などの生体高分子用には古くから何種類かのパラメータの力場セットが開発され,改良が続けられている.彼等が開発したプログラムはCHARMM (Chemistry at HARvard Molecular Mechanics)の名で知られている.

CHARMMと並ぶ著名なMDプログラムとして,コールマン博士等によるAMBER (Assisted Model Building with Energy Refinement) 分子動力学ソフトウェアパッケージがある.AMBERはおそらく世界中で最も普及しているMDプログラムと思われる.開発者であるコールマン博士が生存していれば同時受賞の可能性があったと言われている.AMBERを用いた分子力学計算はGAFF (General AMBER Force Field) の名で知られている.GAFFはAMBER 分子動力学パッケージの一部であり,分子力場パラメータは開発者の好意により,パブリックドメインとなっている.パソコン版の無償分子計算フロントエンドのAvogadroやMolbyには最初から準備されている.

化学系の学生なら皆知っているカープラス先生

受賞者の一人,カプラス博士のことは,分子動力学の専門家というより,カプラス則を提案した学者として化学系の学生は皆知っている.薬学部の場合,有機化学,機器分析,天然物化学などで教わる.カプラス則とは核磁気共鳴スペクトルにおいて,隣接水素の結合情報から二面体角を予測する経験則である.それによって分子骨格の立体構造を知ることができる.詳細は別稿を予定

低分子のDFT分子計算法は1998年にノーベル賞

1998年のノーベル化学賞はウォルター・コーンとジョン・ポープルに与えられた.受賞理由は,化学物質の性質や反応過程の量子化学理論の構築に対する貢献.特に密度汎関数 (DFT) 法に関する研究で主導的な役割を果たしたことを評価された.現在,DFT法は低分子化合物の性質や反応挙動予測のため,もっとも利用されている分子計算法といっても過言ではない.コンピュータの小型化と高性能化がパソコンによる実行を可能にした.

参考資料

BPTI: Minimization

(2013.10.15)