昭和18年、戦時中に生まれ、生まれながらにして、小眼球視神経萎縮症と医者に診断され、8歳で山梨県立盲学校に入学しました。盲学校では、針・灸・マッサージを勉強し、余暇の時間に、ピアノを勉強しました。上達していく上で、支障をきたすことが出来ました。鍵盤は正確に弾いているのですが、指が違い、指記号が見えません。上級になるほど、困難になりましたので、ピアノは断念しました。上級生の部活に筝曲がありました。その音に魅力を感じ、筝曲部に入部させて頂きました。当時の指導法は、楽譜は見てはいけないということになっていました。毎日の練習は耳で聴くことで覚え、暗譜しました。筝曲の中では、古典音楽が主流で、長い曲では、20分程かかる曲も多々ありました。琴の弦は13本ですので、やや似たようなメロディを覚えるのに困難しました。進んでくる毎に宮城道雄先生が考案した楽器で十七弦を覚えたり、地唄三味線を覚えたり、毎日が暗譜の連続でした。高校を卒業した後、宮城会大師範 塚越 清子氏と出会い、20年間師事しました。昭和40年、自宅で琴の教室を開業しました。関東地区、盲人音楽協会 鳳雛