偏差値社会の弊害

日本の社会は,大学入試段階の偏差値によって,確実に輪切りにされていると言っても過言ではない.

共通一次試験前は,薬学部入学者の中には医学部に合格できる成績の学生が居たという話しを九州大学薬学部の入試担当者から聞いたことがある.ところが共通 一次試験以後は見事に輪切りされ,そのような学生はまったくいなくなったそうである.その後,他大学や予備校関係者からも同様の話を聞いた.

私立大学の場合は,国公立大学間で輪切りが顕著であることは別項で述べた通りである.たまに国公立大学に入学できると思われる学生もいるが,例外的な存在である.

偏差値偏重社会で話題になるのが,医学部進学である.最近,精神科医になった従兄弟と会食する機会があった.幼い頃,我は典型的文系人間と思っていたの で,医者になった理由を尋ねた.彼自身文系志向であったことを肯定し,高校の進学指導に従っただけと言っていた.高校教師との懇談会の際,進学指導の教員 と進学指導の在り方を議論したことがあるが,あくまでも”本人の希望”を尊重しているだけと主張するに止まった.進学指導が高等学校の実績づくりに深く関 連していることは周知の事実であるが,高校側は肯定することはない.

現在のように高偏差値の学生は医学部進学という風潮は,社会の活力を減衰させる(させてしまった).偏差値で輪切りにされた各階層から,いろいろな職業 へ人材が振り分けられる必要がある.医学部進学可能な人材が,教育者,研究者,技術者,法律家,公務員など幅広い分野で活躍すべきであるというのが,私の 持論である.

書きながら自分自身,「勉強しないと教育学部しか行かれんぞ」と言われたことを思い出した.真空管ラジオの組み立てに熱中していた高校時代の話しである.昭和30年代初めは,漠然とした輪切り社会の始まりであったのかもしれない.

最近は,”大器晩成”という言葉は聞かなくなった.辞書には「大人物となる人間は,普通より遅く大成するということ」と書かれているが,変化が早く,情報量の多い現在では通用しないのかもしれない.

私立大学では,国公立大学で通用する可能性のある学生については,大学院進学を勧めるが,大学院進学後に人一倍の努力が必要なことは,国立大学勤務中に幾度も経験した.大学院教育は,唯一の”大器晩成”をサポートする存在かもしれない.

高年齢になるまで自分探しを続ける風潮は,偏差値による進学指導の影響のひとつと言えそうである.

(平成22年8月1日)