明治22年熊本震災

市街地の被害

明治22年熊本震災_市街地の被害 

明 治22年熊本震災の際は,現在の熊本市の西側,金峰山麓の被害が大きいが,旧市街地にも倒壊した家があったと記載されているので,「熊本明治震災日記」を もとに被害状況を調べてみた(本日記には各種新聞,広報が引用されている).墓地の石碑の倒れ具合から,市街地の地震の強弱の分布を調べている.南側は被 害は少ないが,坪井周辺の墓地の石碑はほとんど倒れたと記載されている.現在に較べると旧市内は非常に狭い範囲であるが,場所によってかなり強弱が異なる ようである.家屋の被害は,坪井,京町,その周縁地区,現在の熊本市の北側に集中していることが分かる.

35日間の地震の回数は以下のとおりである.

原 文引用 古町一円格別の転倒なく慶徳堀町妙乗蓮光の両寺共に損害至て少なく此辺より以西は全く軽震を示せり.同町より以東新鍛冶屋町養寿院永泉寺(両寺相 隣れり)は非常の損害にて倒れさる石碑は僅かに十中の四分或は二三分に留れり.故に南方に在りては高田原もまた軽震を示し中央に位する新鍛冶屋町の両寺の み非常の強震を現わせり.北方に於ては縣廳の東川耳(かわばた)法念寺のごときは千基中僅か三十基許を倒し鋤身先西子飼など多数の寺院の卵塔(せきとう) 皆震災に逢へるの跡なきか如し.また西坪井内坪井寺原の町々また同じ.特り(ひとり)此中央にある南北新坪井東西外坪井中坪井東西坪井等の町中にある寺院 は悉く震災の大なるを示す.

写生画も掲載されている.PDFをJPG変換し掲載した(上段右から左,中段,下段も同様,クリック拡大).

高橋(当時飽田郡),熊本城西出丸,東坪井寺院の被害状況(クリック拡大)

高橋(当時飽田郡)

熊本城西出丸

東坪井寺院の被害状況

国立科学博物館地震資料室写真11枚が掲載されている.その中に同じ構図の写真があるので比較のためリンク表示した.したがって,博物館サーバーが停止した場合は表示されない.

新屋敷に倒壊した家屋があった.海西日報の記事を以下に記した.

市内新屋敷町162番地古関直行氏は家内5人の外に同居せる叔母親子都合7人なるか7月28日の夜の大地震に皆々飛び起き外面に逃げ出てしか幼弟2人(8年 と4年)の見えさるより母は驚き慌て家の中に駆入しと同時に家はめりめりと倒れたり直行はいまた幼弱なり同居の某か一人にて臥房の上を取除にかかりしもく らさはくらし矮少の家屋とはいへ中々一人の力に及ふ處にあらす恰もよし隣家なる河口虎雄氏か提灯を携へ二階を見繕ふ折節助けを呼ぶ聲に驚き其儘二階より外 面に飛ひ降り駆け付けて共に助力し漸つと屋根を取除け見れば母は二人の幼児を両脇にしかと抱へ立ち上らんとする時梁や柱に壓れ俯向きに臥したるか幸ひにも 僅かの木材に柱を支へ三人とも命に別条なかりしは実に高運の人々なすらや(海西日報)

近代デジタルライブラリー 熊本明治震災日記より引用

資料

熊本明治震災日記 水島貫之(発行所 活版舎 大販売所 明治22年出版 樂善堂 長崎次郎)143ページ (リンク変更,2023.2.5

本サイト内の記述

明治22年熊本地震(液状化の有無)

熊本明治震災当日の様子

(2012/1/18) 2017.5.9 リンク先の修正

追記

新町・古町地区の城下町旧町名板について - 熊本市