経験したことがない大雨

7月12日は,窓を叩く雨音(30ミリ)で目が醒めた.

明るくなると,街には聴きなれない低いサイレンの音,緊急車両の拡声器音が響き,異様な雰囲気であった.

我家も「避難指示」の対象になった.

屋上から見ると,避難場所に指定されている白川中学校へ行く道に架かっている橋(大井手川)はすでに溢水に覆われていた.

注)大井手川は,旧藩時代に造られた白川の灌漑用水であり,新屋敷を東西に通っている.

自宅から50メートルのところまで水が迫っており,やばいと思ったが,幸い昼過ぎには,一時8メートルに達した白川(子飼橋)の水位も6メートルに下がり,大井出川の水位も低下した.

当日,阿蘇乙姫は観測史上最も多い一時間雨量108ミリを記録した.

80ミリで人は息苦しさを感じると言われている.それが4時間以上続いたわけである.

先月27日に気象情報の改正で「経験したことがない」という表現を使うようになってから,最初の例と紹介されている.

阿蘇のカルデラで降った大量の雨は,一部は伏流水になり熊本平野を潤してくれるが,ほとんどが立野の火口瀬を通ってカルデラの外へ流れ出し,白川を駆け下って有明海に達する.

熊本市はそれほど雨は降っていないのに,川の水位がしだいに上がり溢れる光景は不気味である.

午後2時のラジオニュースによると,市内では,小磧橋,竜神橋,明午橋で水が溢れ,明午橋右岸に位置する藤崎宮参道は川のようになったとのことである.

アメダスの記録

昭和28年の大水害では,我家の薬局は1.5メートル程水に浸かった.その時,子飼橋は上流から流れてきた大量の木材や流失家屋等が橋桁にからまり,川をせき止めたため大氾濫を引き起こした.橋桁が堅牢であったため,橋はこわれず,左岸一帯(大江側の土地と家屋,右下写真)が流失し,大江側に新たな川ができてしまった.堰き止めた流木等を取り除いた結果,川幅は現在のように2倍の広さになった.この水害の後,白川に架かる橋の橋桁の間隔は広く設計されるようになった.

「経験したことがない大雨」は50年に一度起こるような大雨を指すという.昭和28年(1953年)中学生の時に経験した大水害から半世紀以上が過ぎている.しばらくは起こることはないと思いたいが,地球のあちこちで起こっている異常気象は地球温暖化の影響となれば「すぐに経験する」ことになるかもしれない.

追記(2012・7・14)

今回の大雨で甚大な被害が出た熊本市北区龍田陣内,白川がS字カーブを描いている.

ついでに

国土交通省 九州地方整備局 熊本河川国道事務所はライブカメラの情報を配信しているが今回は使いものにならなかった.アクセスが殺到したためかもしれないが,お粗末である.個人提供の新世継橋のUstream映像はまったく問題なかった.

追記(2021年5月)

熊本市統合型ハザードマップ(洪水・高潮・地震・津波・液状化)

参考資料

昭和28年西日本水害 - Wikipedia (子飼橋は流失となっているが誤り)

熊本大水害(子飼橋の被害状況が述べられている)

昭和28年熊本大水害における子飼橋左岸の被害は,参議院会議録情報 第016回国会 建設委員会 第1号に記録が残っている.

「・・・・なかんずく白川子飼橋左岸は被害が一番大きいのでございまして、流失二百二十九戸、倒壊十七戸、半壊百五十九戸、死者百二十一名、行方不明八名、そういう惨害を生じたのでございます.」

当時の子飼橋の被害状況(右側の航空写真)白川流域の概要 - 国土交通省 九州地方整備局 (PDF)に掲載されている写真を使用しました.

右側写真の点線が旧河岸,仮橋(かなり後に架けられた)の両側には多くの商店,家屋が在った.

左側は流失寸前の明午橋.