細川重賢の倹約令

飲食

熊本藩年表稿に次の記載がある.

天明2年(1782)11月26日

家中の衣服,飲食の限度を示し,又藩主の食膳を内示す(肥)

その具体的内容を,別資料の原文で紹介したい.

重賢の勤倹と條令

此の細川重質はかく勤勉を實行して世に銀臺候と呼ばれ,名君と称せられた.乃ち明和二年(1765)飢饉打續き,四民困窮せる年には,家臣に封して左の倹約令を下したのである.

・平日飲食,奢(おごり)がましき儀は之あるまじく候へども,此節は,猶又心を付け勘辯之あるべき.

・年始,五節句,其外祝事に付,一類(同じ仲間,親類)中集合候とも,吸物肴二種,料理は一汁一菜を限り,酒宴長せざる様致さるべき事.

・平日の出會尚以て軽く致し,酒宴がましき儀一切無用の事.

・衣服の品々,彌々(いよいよ)質素を相心得らるべく候,御制度を相守られ候上は,仔細(詳細)之なき事に候へども,其内にも品を撰び,着用の輩間々(たびたび)之あり,小禄の面々は尚以て不都合の致りに侯條,家類々々の衣服共,急度(きっと,必ず)其心得あるべく候事.

・音信贈答,親類の外,一切無用の段,先年相達し置候通り,彌々堅く相心得らべく候,旅行の節,餞別土産も同前たるべき事.

かく令しつゝ,重賢自らは其範を示さんとて,左の如く実践躬行(きゅうこう,身をもって行う)したのであった. 或記に曰く

・大守様,召上られ候物,朝御膳は御茶漬の飯,御香物か,御焼味噌,梅干の類にて,召上られ,御料理は申すに及ばず,酒も召上られず候.

・夕御膳,御一汁,御一菜,

・御夜食前,御吸物の外に御肴有合せの軽き一種にて御酒召上り,御夜食は御香物,焼味噌。

かく領内一般に令し,士庶をして只管(ひたすら)勤倹を實行せしめんと期したのである.


資料

熊本藩年表稿(熊本大学リポジトリー) リンク先変更(2022.1.12)

近代デジタルライブラリー 足立栗園 著 偉人と其生活 大正12 → 国立国会図書館デジタルコレクションへ統合

「細川重賢の事蹟」のサブファイル (2012/7/10)