異常に長い単結合

兼松研究室

異常に長い単結合(回想 兼松研究室)

1970年初頭,九大薬学部で設置した回折計はSyntex社製の4軸回折計であった.当時,Syntex社は経口避妊薬の開発のため,ステロイド系天然物の構造解析を行っていたが,構造解析の迅速化のため4軸回折計を開発した.それまでの写真法にくらべると大幅な労力と時間の削減が可能であり,専門知識が要らないというふれ込みで回折計の販売にまで手を伸ばしていた.精密駆動のために人工衛星で使用されているモーターが使用されていたと日本の代理店(コロンビア貿易,日本分光)の技術者から聞いたことを覚えている.

生薬化学の研究室が中心になり回折装置を導入したものの素人では対応できる代物ではなかった.当時米国のIBMは32ビット,国産計算機は36ビットであり,収集したデータを記録した磁気テープの読み込みもビット換算する必要があり,結晶学の専門家や九大大型計算機センターが協力して稼働することができた.添付されたFORTRANプログラム群も重原子法の天然物解析用が主で対象中心のある合成品の解析は日本結晶学会の直接法プログラムの導入を待たざるをえなかった.九大理学部物理出身の上田,河野先生が教養部の物理研究室で結晶解析を行っていたので,我々素人が解析できるようになったといっても過言ではない.

田口教授の後任として就任した兼松教授は九大薬学部に単結晶X線回折計が設置されていることに驚いた様子だった.当時はまだX線解析はその道の専門家の専売特許みたいなものだった.名古屋大学では工学部の結晶学専門家に解析を依頼していたとのことで,単結晶が得られれば学部内で測定できることは大変な魅力だったようである.複素環討論会や学会ではほとんどX線解析でその立体構造を確認したデータを使って議論することができた.X線解析は測定料金だけでも学内料金とは言えそれなりの費用がかかり,大型計算機センターの計算機使用料もかなりの金額になった.しかし,使用料など気にせず解析してほしいというので,学生には結晶精製の際,解析用の単結晶も作るよう努力させ手当たりしだいに解析を行った.その中に大変興味深い結晶があり,その解析結果は長い間,構造化学的な楽しみを与えつづけてくれた.

図に示す赤の大矢印で示す化合物を再結晶していたら自然光で閉環したカゴ型化合物が生成し,そのX線解析構造において異常に長い単結合(1.657Å)が見つかった.一般の単結合は1.54Å程度であるから,解析ミスではないかと疑われた.再測定でも同じ結合長が観測され,問題の結合以外は正常の範囲内に収まっていることなどから構造化学の大家の大澤映二氏に相談した.早速分子力場計算を行ったが再現しないため,分子軌道計算で確かめたいということになった.岡崎の分子研で計算したらX線解析構造をほぼ再現し,その原因は分子歪に増幅されたThrough-bond相互作用ではないかということになった.16年後,その考えに疑問を投げかける論文(J. Am. Chem. Soc. 1997, 119, 7048-7054)が出たが,現在も立体反発だけでは説明しきれないという人もいる.

我々の異常な結合伸長の発見がきっかけになり,向井研究室の光エネルギーの化学的貯蔵や大澤研究室の力場計算,through-bond相互作用などの観点から活発に議論されるようになった.

当時大型計算機で一晩かけて半経験的分子軌道計算 (MNDO) を行ったと聞かされたが,最近のパソコンでは38秒程度で最適化構造が得られる.最近,並列処理計算サーバを用いて,より高度な密度汎関数法を用いて計算した.その構造を次図に示したが,X線解析構造をみごとに再現している. その後の話として兼松先生に報告するはずであったが,かなわぬこととなってしまった.(2012/1/23)

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