死者の書 否定告白

大英博物館古代エジプト展を観るため,久し振りに福岡市美術館へ出かけた.九州新幹線の「ビックリつばめ2枚きっぷ(お土産代金付き)」を利用すると,熊本ー博多間は格安料金で往復できるので,一昔前の距離感はなくなり,ちょっと市郊外へ出掛ける錯覚を感じてしまう.今回のような目的にはうってつけと思いながら,一方では福岡の独り勝ちを意識せざるをえなかった.

本展は,古代エジプトの人々を1500年にわたって来世に導いたガイドブック『死者の書』の記述をもとに,古代エジプト人の死後の世界観と,来世へいたる旅を4つの章で紹介したものである.ハイライトである第3章では,世界最長37mの『死者の書』(グリーンフィールド・パピルス,BC 930-950)の全容が日本で初めて公開されているほか,ミイラや棺,護符,装身具などが展示されていた.

図は朝日新聞デジタル (http://digital.asahi.com/articles/TKY201209140321.html)を部分利用


オリシス審判

古代エジプトでは,魂は帰る肉体があれば復活できると信じられていた.「死者の心臓」と「正義と真実の女神アマトの羽根」とを天秤にかけ,生前の行いが正しかったかどうかを判断する.審判では,エジプト各州の守護神である42の神それぞれに「わたしは・・・・しませんでした」という罪の否定告白を一言も間違えずにしなければならなかった.罪の否定告白が終わり,心臓が天秤に乗せられ,天秤がつりあえば復活でき,つりあわなければ「アメミット」と呼ばれる怪物によって魂は食われてしまい,永遠に復活できない.「審判」で再生復活をはたした死者だけが冥界の楽園「イアルの野」にたどりつく.

問題のの42の否定告白とは,以下のような内容である.重複した記述があるのは,前言が省略されているためである.

1. 盗みをしなかったこと

2. 悪事をしなかったこと

3. 強奪しなかったこと

4. 盗みをしなかったこと

5. 捧げ物の穀物を盗まなかったこと

6. 詐欺をしなかったこと

7. 神々の財産を盗まなかったこと

8. 嘘をつかなかったこと

9. 反乱を煽動しなかったこと

10. 誰も泣かせなかったこと

11. 詐欺をしなかったこと

12. 人をだまさなかったこと

13. 誰も攻撃しなかったこと

14. 神の牛畜を殺さなかったこと

15. 悪口を言わなかったこと

16. 誰にもつけいらなかったこと

17. 耕された土地を荒らさなかったこと

18. 誰にも詐欺行為をしなかったこと

19. 誰の中傷もしなかったこと

20. 理由なく怒らなかったこと

21. 不貞をしなかったこと

22. 自らを汚さなかったこと

23. 誰も怖がらせなかったこと

24. 誰も攻撃しなかったこと

25. 災いになるような火をおこさなかったこと

26. 決して自分の心臓を食べなかったこと(決して悲嘆に暮れなかったこと)

27. 汚い言葉で罵らなかったこと

28. 真実の言葉に耳を傾けないことはなかったこと

29. 暴力をふるわなかったこと

30. 慌てて裁くことはしなかったこと

31. 誰も攻撃しなかったこと

32. 会話中に言葉を増やさなかったこと

33. 罪を犯さなかったこと

34. 王を罵らなかったこと

35. 水を汚さなかったこと

36. 高慢に声を荒げなかったこと

37. 神を罵らなかったこと

38. 赤ちゃんの口からミルクを奪わなかったこと

39. 召使いから食べ物を奪わなかったこと

40. 聖なる死者の・・・を盗まなかったこと

41. 神殿にある供物を略奪しなかったこと

42. 真実を言う場で嘘をつかなかったこと


展覧会場で大きく掲示されているこの文章を読みながら,脳裏をよぎったのは旧国立大学在職中の教授会で経験した品格に欠ける言動だった.当時インターネット敷設委員をしていた私は,コンピュータ不要論を強硬に唱える先生に幾度も叱責された.運用開始後もそれは続き,パソコン室が学生の遊び場になっているのは「あんたのせい」と非難された.その先生は「真実の言葉に耳を傾けないことはなかったこと」,「高慢に声を荒げなかったこと」,「誰も攻撃しなかったこと 」,「理由なく怒らなかったこと 」,「会話中に言葉を増やさなかったこと」,「 汚い言葉で罵らなかったこと」等に抵触することになる.執念深いと思われるかも知れないが,計算化学やX線解析遂行上大打撃であったので忘れることはない(執念深いのも罪かもしれない).私の場合は,その種の経験はないが,再試験までしかしなかったため単位不足で卒業延期,留年の学生を出してしまい学生を泣かせたことがある.「誰も泣かせなかったこと」に抵触するかもしれない.さらには浄化槽のない時代,有機合成で出た排水が不完全な土管のためあちこちで土(博多湾の砂地)にしみこんでいることを知りながら実験しなければならなったため,「水を汚さなかったこと」に反し無罪ではない.

この世の中,嘘をつかないとやっていけないと企業戦士から直接聞いたことがあるが,典型的な例は,「嘘の忌引き」だそうである,潤滑油的存在であったはずが,過度に走り処分された公務員の存在で,最近はその種の休みが取りにくくなったとも言っていた.

死者の書は,王族,貴族階層の為政者向けであるが,42ヶ条の否定告白はそのまま現代にも通用する.折しも放映中の予算委員会の質疑応答では,解散時期に関して「嘘つき」の罵声が飛び交っている.オリシス審判なら政治家の大半が門前払いである.人間は何千年経っても賢くなっていないことになる.道徳観は世代交代でリセットされ,DNAに刻印されることはないという結論でもある..

東洋の閻魔さんの審問とどちらが厳しいか分からないが,簡単には楽園へは行けそうもないようである.

参考資料

エジプトの死者の書

(2012/11/15)


追記

読書好きの友人から,「良寛の自戒」を連想したということで,下記の文章が送られてきた.

「良寛の自戒」

言葉の多き。

口の早き。

あわただしくものをいう。

ものいいのくどき。

さしで口。

おれがこうした、こうした。

人のものいいきらぬうちにものいう。

わがことを強いて言いきかさんとする。

人の邪魔をする。

鼻であしらう。

酒に酔いて理をいう。

おのが意地をいい通す。

あやまちを飾る。

ひきごと(引用)の多き。

好んで唐言葉をつかう。

田舎者の江戸言葉。

学者くさき話。風雅くさき話。悟りくさき話。茶人くさき話。

たやすく約束する。

人にものくれぬ先に何々やろう。

くれて後、そのことを人に語る。

返らぬことをくどくど口説く。

推し量りのことを真事になしていう。

己が氏素姓の高きを人に語る。

ものの講釈したがる。

おかしくなきことを笑う。

子供をたらしすかしてなぐさむ。

憎き心をもって人を叱る。