島崎

栗山のお観音さん

島崎栗山のお観音さん

祖父は明治40年(1909)に37歳で若くして他界した.そのため祖母は大正時代になってから島崎の旧宅の大部分を売却し実家に戻り,亡くなった姉の婿(緒方末喜)と再婚した.父が大正6年に島崎尋常小学校を卒業した後のことである.その際,屋敷内に祀っていたお観音さんはそのまま人手に渡った.新たに屋敷の所有者(2代目)になった加恵氏は町内への移設を要望したため,それに応えて栗山地区の人達が管理することとなった.昭和初期,父が所有していた竹林の一角を観音堂建築要地として寄進し,そこに祀られるようになった.

島崎尋常小学校卒業記念写真(大正6年)紋付の羽織り姿(最後列中央)

私が子供の頃,栗山町内では年に一度お観音さん祭りがあり,お供え等をしてくれていた.お観音さんを供養した後は,大人は宴会を開きおおいに楽しんでいた.酔いが回ると,幹事役の名物おじさんの裸踊りが始まり物陰からこっそり覗いたのを覚えている.2本のウチワの動きが妙に印象に残っている.人と人の繋がりが濃かったよき時代の思い出のひとつである.次の世代(我々)になると他所からの住人も増え昔を知る人も希釈されたためか,観音さんは荒れ放題になっていた.母が生きていた頃はお参りしていたので,前を通る度に気になっていた.

古庄公園入り口のバス停近くにあるお地蔵さん

Googleのストリートビューに残っている画像(移転前)

平成23年,隠宅の隣に住んでいる姉から「お観音さんが奇麗になった」というメールをもらった.話によると,お観音さんの向かい側に住んでいる人(知人)が道に面した宅地の片隅を提供してくれたので,そこに移転されたとのことである.世の中には奇特な人もいるものだと感謝した次第である.正月に元あった場所を車から見たらすでに跡形もなかったが,以前のの様子がGoogleのストリートビューに残っていた. お観音さんと一緒にお地蔵さんも祀られている.場所は古庄公園の入口の市営バス停留所横である.移設後は西方の「西の武蔵塚」の方を向いて立っておられる.(2012/1/15)

追記

家族史として記述したため.実名で記した.

昭和の初期,加恵氏の要望により栗山地区内に移転するため,田辺末喜,坂上徳次郎氏を代表とする数名が原野綾男(山崎町文化薬局)を訪ね,観音堂建設用地の寄進を申し入れ実現したとのことである(原野道子談).竹林は昭和30年代に村上氏に売却した