学徒出陣そしてシベリア抑留

7月17日,義兄が88歳で永眠した.

学徒動員で召集,満州の部隊に配属され,終戦後はシベリア抑留を耐え生き残った典型的戦中派である.また終戦と同時に始まった米ソ冷戦の被害者でもある.

帰国後はキングレコード(講談社系列)に入社し,北海道札幌支店の立ち上げ,拡販に努力した.北海道の冬は室内で過ごす時間が長いためレコードを聴く人が多く,やり甲斐があったと言っていた.昭和30年前後の北海道は,まだ交通の便が悪く,道内のレコード店を一軒一軒訪問するのは大変な仕事だったようである.姉の話では,一月のほとんどが出張だったらしい.

当時,大学生の家庭教師のアルバイト代がLPレコード1枚分の時代である.簡単には入手できないなか,不要になったクラシックレコードの試聴盤を送ってくれた.ロンドンレーベルのカール・ミュンヒンガー指揮,シュトゥットガルト室内管弦楽団による室内楽曲などの名盤を自作真空管アンプで楽しむことができた.義兄は私をクラシック音楽の世界へ誘ってくれた恩人である. 注)写真はロンドンレーベルの45RPM-EP盤クラシックレコード(Sample record)

その義兄も福岡支店を最後に早期退職し,熊本に帰って余生を送っていた.退職当時,コロンビア,ビクター,キングなどの戦前からの会社に加え,電機メーカー系列のレコード会社が次々に参入し,経営状態はかならずしもよくなかったようである.本人は理系ではないが,音楽の記録媒体としてテープが並行して販売されるようになった時点でレコード盤の行く末に疑問を感じていたようである.アナログからデジタルへの変化を機に,比較的早期に後進に道を譲ったが,その後あっという間にCD, DVDが市場を占有してしまった.さらに音楽がネット配信されるに及び,不法コピーが出回り,音楽流通業界自体が揺らいでいる状況は今でも変わらない.

葬儀は身内だけで行ったが,それでもレコード会社の人が焼香にきていた.義兄のモットーは,街角の個人経営のレコード店を営業訪問しても絶対に支払いの催促はしないこと,また接待のため外で飲んでも必ず自宅で食事をすることだった.喪主(甥)も音楽流通業界にいるので,その後の会社の経営状況を尋ねたところ意外な返事が返ってきた.AKB関連の売上が好調で会社の景気はよいとのことである.AKBはソニー系と思っていたが,現在はキングレコードに所属している.移籍に際し,CD(シングル)の売り方の条件を受け入れたとネットに書かれている.AKB総選挙投票券付きCD,握手券付きCDで売上を伸ばしていると論評されているが,亡兄が知ったらびっくり仰天するに違いない.

2年前に姉を亡くし,二人の子どもは東京のため,訪問介護者や義妹達に助けられ一人で生活していたが,昨年夏脳梗塞で倒れリハビリ中であった.米寿の祝いは今年4月入院している病院で行ったが,その時の挨拶がビデオに残されていた.さすがシベリア残留組,お酒の好きな強靭な身体だったが肺がんには勝てなかった.

追記 私の曽祖父の従兄妹の嫁ぎ先の家系である.亡兄とはDNAを共有している.抑留時代の話では,ロシア語が象徴するようにソビエトは統一性に欠ける社会と言っていたが,そのとおり連邦は崩壊した.

追記

「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」が平成22年に成立した.成立時に生存者している数少ない抑留者への措置であるが,義兄はその対象になった.戦後65年,あまりにも遅い措置と言わざるを得ない.

政府広報

「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」(平成22年6月16日施行)に基づいて、戦後強制抑留者の方に対し、独立行政法人平和祈念事業特別基金から、「特別給付金」が支給されることになりました。

戦後強制抑留者とは、昭和20年8月9日以来の戦争の結果、同年9月2日以後、シベリアやヨーロッパロシア、中央アジア、北樺太を含む沿海州または外蒙古などの「旧ソ連邦またはモンゴル国の地域」で強制抑留された方です。

特別給付金が支給されるのは、法律が施行された「平成22年6月16日に存命の日本国籍を有する戦後強制抑留者の方」です。特別給付金の支給を受け る権利をもつ方が、請求せずに亡くなった場合には、その相続人が特別給付金を請求することができます(平成22年6月16日より前に亡くなられている場合 は支給の対象とはなりません)。

なお、旧ソ連邦またはモンゴル国の地域以外で抑留された方については、この特別給付金の支給対象とはなっていません。

(2012/7/25)