島崎地区の名所・旧跡

島崎地区の名所・旧跡

熊本城から西へ2kmの島崎地区は,藩政時代はご大身の下屋敷や別荘などがあった場所として知られている.そのためあちこちに名所旧跡がある.井芹川を渡ると道はすぐに千原台へ向かう上り坂との分かれ道になるが,そのまままっすぐ進むと三軒屋までは両側は田圃の往還が一直線に続いていた.道の中程で雷が鳴りだすと隠れるところがなかった.現在は商栄会の街並になっていて当時の面影はどこにも見ることができない.旧藩時代の茶室や庭などは石神山の麓の清水の湧き出る静かな場所に集まっている.そのような環境に住んでそこを遊び場としていた者としては,その佇まいや静寂さは当たり前のことであった.しかし,戦後,別項に紹介したように,島崎のシンボルとも言える石神山に器械式の採石場やクレー射撃場が造られた.そのため,谷を隔てて真正面に位置する我家は石神山の中腹から頂上近くまで切立つ広大な北面岩壁に反射した石砕音が間断なく襲いかかり騒音公害の場と化した.夕方になり音が止むのが待ち遠しい有様であった.父は先祖から受け継いだ土地(田圃,畑,竹山)の多くを手放し,薬局再開のため新屋敷へ移転し,しばらくして家族全員も続いた.住んでいた家は両親が隠居するまで借家にした.

20数年後の昭和も終わる頃,研究室の教授を金峰山へ案内した帰りに当時母が隠居していた島崎の隠宅に寄ってもらったことがある.座敷にとおり庭先に見える石神山の借景を見た教授は”野趣あふれる風景”に驚いていた.その後,教授は家族つれで島崎の名所旧跡を巡ったと言っていたが,手入れされていない状況を憂いていた.熊本市が,長年放置されていた歴史的・文化的価値に気付き.一帯を公園化することを決定したのは最近のことである.

島崎地区へは熊本城の南西に位置する西南戦争激戦地跡(島崎トンネル入り口跡)前から西へ進みJR高架下を通り,井芹川を渡ればすぐである.平成8年島田美術館の横に西バイパスが開通した.南からのアプローチには便利である.島崎の静寂を壊すとして反対運動が起こり問題になった道路である.上熊本方面からは市電停留所の段山で右折し,新幹線および在来線高架下を通り,熊本県酒造研究所を過ぎると島崎一丁目である.バス利用の場合はバスセンターから荒尾橋行に乗れば,島崎トンネル経由でJR高架橋をくぐればすぐ島崎通りである.修正(2022.1.27)

概略図(工事中)本妙寺の下の県道1号線は峠の茶屋を経由して河内へ向かう幹線道路

本妙寺山,荒尾山の中腹を通っている.峠を下ると宮本武蔵が五輪の書を書いた洞窟のある岩戸の里公園がある.島田美術館の前の直線道路は西回りバイパス.田崎,熊本駅方面から来てトンネルを出ると,現在は島崎のメイン通りで行き止まっているが,植木方面への延長が決まっている.

叢桂園

叢桂園(そうけいえん)は村井家の別荘跡.村井家は菊池家や加藤家とゆかりのある一族で,村井知安(むらい ちあん)の代から医業をいとなみ、見朴(けんぼく)、椿寿(ちんじゅ)、蕉雪(しょうせつ)と受け継がれた.村井見朴は医師として知られているが漢学者でもある.細川重賢(しげかた,三賢堂に祀られている)が宝暦7年(1757年)に藩の医学校,再春館を開設したときに医学校の師役も務めた.子供の椿寿(琴山)も藩主の侍医を務めた医師,著述家としても有名である.

叢桂園(そうけいえん)

釣耕園

釣耕園は江戸時代の中頃に造られた細川藩のお茶屋の一つ.細川藩の中老で漢詩人の米田松洞が、その風情を「釣月耕雲」と詩に詠じ たことからこの名がついたと言われている.細川家家臣續弾右衛門が藩主綱利から頂戴した.庭園は沢渡り(瀬を渡る飛び石)が設けられた広い池を中心に山渓を取り入れ、縁先から眺めることができる.虚子の句碑「時雨傘やみたれば主受取りぬ」がある.

閑静な庭園に曲水を描く清水は、平成の名水百選「金峰山湧水群」のひとつ.

釣耕園は細川藩の家老続弾左衛門が綱利から頂いた御茶屋であり,現在も続家の所有である(釣耕園 - Wikipedia).一方,肥後国誌(1779)には,八橋御茶屋跡についての記載がある.綱利の御茶屋を柏原氏が譲り受けたという.続氏も柏原氏も同時期の家老である.島崎には2個所に御茶屋が存在したということになる.

八橋御茶屋跡

山中にあり綱利君遊休に地なり幽邃の地にして

谷に燕脂花(白粉花)を植縦横に橋を架し山に冑石又は庭上の

矼(とびいし,いしばし)は楠の化石なり云今は柏原氏の茶屋と成れリ

2022.1.27追記

長命水

石神山に降った水が地下水となってわき出している.崖に埋もれた感じの石の祠の下から湧く水と説明されている.細川氏が茶に使用した名水.私の父は子供の頃,この井戸に落ち助けられたと言っていた.まさに長命水である.城西小学校の行き帰りにここで水を飲むのが日課になっていた.水道の普及や水害等で荒れていたが,最近地元の人の整備で見事に復活した.平成の名水百選「金峰山湧水群」のひとつである.

百梅園

細川藩士で学者・詩人の「兼坂止水」が私塾を開いた跡地.兼坂は梅を好み,多くの梅の木を植えたことから「百梅園」と名付けられた.長命水から石神神社へ行く途中にある.

左 Googleマップ

百梅園,石神山公園,釣耕園,叢桂園,長命水

三賢堂公園など

三賢堂

肥後の三賢人、菊池武時、加藤清正、細川重賢の座像をまつった円形の堂.政治家安達建三が昭和11年,市民の精神修養の場として建てた (島崎町).

左上 門前にある熊本市の説明文

右上 三賢堂

左 安達謙蔵の銅像

関連ブログ 三賢堂の建立(安達謙蔵の想い)

岳林寺


熊本春の植木市の創始者である城 親賢を奉ってある.

西の武蔵塚

【熊本】西の武蔵塚、寺尾信行一族の墓:肥後国 くまもとの歴史

髪塚

徳富蘇峰の髪塚,詳細は別項を準備している.

鎌研坂

島崎の最奥から峠の茶へ至る坂道,草枕探訪のルートになっている,歩いた人のウエブログによるとゴミの廃棄所と化していたが,周辺住民の努力で改善したとのことである.

石神神社

宇佐八幡の大宮司であった到津公益が島崎荘の領主として来た際,宇佐神宮の神前から持って来た小石を御神体として小社を建てたと書かれている(肥後国誌),ストリートビューを以下に示した.

島田美術館


島田真富氏のコレクションが展示されている.宮本武蔵の書,武具などを所蔵している(島崎町4丁目,初代館長 島田真祐氏,故人)。

島田美術館ホームページ

千原桜

ヤマザクラの変種で熊本の名桜の一つ.熊本市立城西小学校およびその周辺に多く散在.

熊本市立千原台高等学校ホームページ(千原桜の説明) リンク変更(2022.1.27)


隣接周辺地域について

岩戸の里公園

宮本武蔵ゆかりの地 晩年細川藩に仕え、五輪の書を書いたほこら(岩戸の里公園,五百羅漢・霊厳洞)は熊本市西部金峰山の山麓にある.

本妙寺

城の北西に位置した本妙寺に加藤清正の墓があり,遺言により熊本城と同じ高さにつくられている.長い石の階段はスポーツクラブの鍛錬に使われている.

河内町


ミカンで作ったブランデーとペルーの藤森大統領の出身地で有名.数年前熊本市に合併された.

峠の茶屋公園

夏目漱石の「草枕」の「おいと呼んだが返事がない」で有名。島崎町荒尾から河内、小天に抜ける峠にあった。鎌研ぎ坂を登りきったところの旧道の位置に公園ができている。当時の民家が移設され,資料が展示されている。

金峰山

標高660メートル。二岳、三岳を含めて休火山を形成している。眼下に熊本市街地、有明海、遠くに雲仙、阿蘇が一望できる。猿すべりと呼ばれる一直線の登山道がある。頂上には各社のテレビ塔が林立、すぐ下の駐車場まで車で行くことができる。頂上に売店あり。

北岡自然公園

熊本駅北側花岡山の麓に細川家の菩提寺(妙解寺)がある.3代,4代藩主の墓がある.森鴎外の小説阿部一族の墓もある.

株式会社熊本県酒造研究所

名酒「香露」で有名,協会9号酵母発祥の蔵

本ページは研究室学生の熊本案内や教養のページとして制作していたものを移設した. (2012/1/10)