七宝美髯丹

(しちほうびぜんたん)

前稿でふれたように,熊本藩年表稿の享保年間に,次の記載がある.

享保16年1月25日 藩主(宣紀)の病状,将軍(吉宗)の上聞に達し,是日医員河野松庵を経て将軍自ら調剤せる七宝美髯丹を与えらる.此の後もしばしば薬を賜い医師を遣さる. 

12月29日 細川宣紀の病重きよし,内々将軍手製の七宝美髯丹送らる. 

享保17年6月26日 卒す. 

享保16年(1731)1月,八代将軍吉宗は,第四代肥後藩主細川宣紀の病状を案じ,自ら調製した漢方薬「七宝美髯丹」をたびたび送ったり,医師を遣わしたりしたとの記録である.細川宣紀は翌年6月に57歳で亡くなっているが,病名は明らかではない.吉宗が送った「七宝美髯丹」は,現代風に言えば,アンチエイジング薬である. それなりの効果があったのか否か不明であるが,とりあえずその概要について調べてみた. 

使用されている生薬は,何首烏(かしゅう) 牛膝(ごしつ) 茯苓(ぶくりゅう) 枸杞子(くこし) 当帰(とうき) 菟絲子(としし) 補骨脂(ほこつし)である.何首烏(かしゅう,ツルドクダミ,画像検索結果)が君薬(作用の中心的役割を果たす)になっている.

注)七つの生薬の中,日本薬局方に収載されているのは前5者であり,薬学部の一般的な生薬学の教科書に載っているいるのは当帰だけである.

熊本大学薬学部薬草園

ツルドクダミ地上部

今年は,イチョウの木の上まで登って花を咲かせた.

写真提供 熊本大学薬用資源エコフロンティアセンター 矢原正治先生 

使用部位は地下部

関連参考資料(画像)

効能は滋養肝腎,主治は肝腎精血不足であり,この処方には「陽中求陰」という考え方が盛り込まれている.

陰中求陽と陽中求陰について 

陽虚証及び陰虚証を治療する法則の一種.陰陽互根互用(陰陽はもちつもたれつの関係)の 原理から,陰陽偏衰の時に,症状からは一方の虚弱しか見えない場合でも,実際は両方の損傷が存在すると考え,治療においては両方を補うべきであると考え る.したがって「陰中求陽」の場合は,補陽の時,適当な補陰薬を加えることである.「陽中求陰」は,補陰の時,適当な補陽薬を加えることである.料理にお ける「隠し味」のようなものとたとえる人もいる. 

何首烏が主薬で量がもっとも多く,肝,腎を強化する.その際,補陰薬に補陽薬として補骨脂(ほこつし)を少量加えて,より一層補陰(人体の潤いを補う)力が増すように工夫されている.さらに,枸杞子,菟絲子(としし)は何首烏を補助し,填精(体や脳の基本物質である精を補充すること)の働きをする.牛膝(ごしつ, 血行促進強壮利尿などの作用がある)は肝,腎を強化するとともに,筋骨を丈夫にする.補骨脂は温腎補陽(エネルギーや熱のもととなる「陽」)を補い、「腎」を温める)として働くほか,牛膝 枸杞子などの滋陰の効果(体力が弱って血液も体液も涸渇して熱をおびた状態(陰虚という)を潤し熱を除く)を強める.茯苓は胃腸の働きを正常化すると共に,牛膝,当帰などによる胃腸のモタレを防止する. 

吉宗の時代,薬種業の振興政策もあり,各藩で薬草を栽培した記録がある.君薬の何首烏は,和名ではツルドクダミであり,東京都心部でも見られるのは、大名屋敷などで薬用に栽培されたのが逸出したものといわれている.吉宗は,小石川養生所を作ったり,漢方薬の国内生産を推め,将軍みずから漢方薬を調合するなどして,67歳で亡くなっている.当時としては長生きである.漢方薬の調合と言えば,家康が有名であるが,その甲斐あってか74歳まで長生きしている.65歳以上長生きした将軍と健康法を以下に記した.彼等のブレインであった知識人の中でも, 養生訓を著した貝原益軒は満84歳の超長寿である.

慶喜 76歳 1837-1913 満76歳25日 豚肉(側室2名,10男11女) 

家康 74歳 1543-1616 満73歳4ヶ月 八味地黄丸 (正室,継室,側室 計20名)

家斉 68歳 1773-1841 満67歳3ヶ月 「白牛酪」(チーズ,ヨーグルト様)と生姜(側室16名.26男,27女)

吉宗 67歳 1684-1751 満66歳8ヶ月 一汁三菜 小石川養生所 国産漢方薬(正室,側室5名,3男1女)


貝原益軒 満84歳 1630-1714 本草学者,儒学者 

本居宣長 満71歳 1730-1801 医師,国学者

天海(大僧正)108歳 1536-1643 家康の側近(100歳以上は確実)

「英雄色を好む」と言われて久しいが,同時に長生き,子沢山であると言っても過言ではない.家康は正室,側室あわせて20名,家斉は,判っているだけで16人の妻妾,子供は男子26人,女子27人をもうけている.殿様だけにとどまらない.吉宗の「不品行不行状振り」の話題に加えて,貝原益軒,本居宣長の好色沙汰について記した書籍が近代デジタルライブラリーにあるので紹介しておきたい. 

田中香涯 著 (鳳鳴堂, 1936) 医事を背景に史実の種々相 目次:(六)徳川吉宗、貝原益軒、本居宣長 150頁

現在は,薬草それぞれについて主成分の分子構造が特定されているが,何首烏ひとつをとっても成分が数種類存在するため,どの化合物が他の薬草のどの成分とどのような相互作用によって薬効を発揮するのか見当がつかない.純粋な物質を扱う有機化学的な思考パターンでは理解することができない世界がそこには広がっている.生薬の成分抽出,分離精製,構造決定を行っている研究者がいる一方で,生薬抽出物を錠剤化して◯◯研究室開発薬(あるいは健康食品)として売り出している友人,漢方薬局に特化して儲かっている知人も周囲にいるが,アバウトさが漢方薬の魅力に繋がっていることは確実である.生薬学専門家に,たまに話を聞く機会があるが,総じて弁舌にたけている.何でも漢方で治るような話が多く,少々自信過剰ではないかと思いながら聞いているうちに,使ってみようかと思ってしまうのは不思議である. 

各生薬に含まれる成分と薬効

何首烏 ツルドクダミの塊根を乾燥したもの) Polygonum multinorum THUNB. Polygonaceae タデ科   画像検索結果 

成分:クリソファノール酸・レシチン・アントラキノン類(エモジン、レイン) 

オキシアントラキノン類による緩下作用.腸管の蠕動(ぜんどう)運動を促進

血脂降下作用,血液中のコレステロールを降下,強心作用 

牛膝(ヒユ科ヒナタイノコズチの根を 乾燥したもの) Achyranthes fauriei LEV. et VAN. Amaranthaceae ヒユ科   画像検索結果

成分: サポニン粘液質などを含む

血行 促進強壮利尿などの作用 

当帰(根の土を落として天日で乾燥) Angelica acutiloba (SIEB. et ZUCC. ) KITAG. Umblliferae セリ科   画像検索結果 

成分: 精油(リグスチリド,n-ブチリデンフタリド,セダノン酸ラクトン,サフロール)。 クマリン誘導体がベルガプテン、スコポレチン、ウンベリフェロンなど、ポリアセチレン化合物がファルカリノール、ファルカリンジオール、ファルカリノロンなど。脂肪酸 パルミチン酸,リノール酸 

その他 –ビタミンB12, ニコチン酸など

血液不足(血虚),血行促進,婦人科系(生理痛,不順),充血による痛みの緩和. トウキ - Wikipedia その他

茯苓(アカマツ、クロマツの朽木に生えるキノコ) 画像検索結果

サルノコシカケ科マツホドの菌核 

成分:多糖類のパキューマン、四環性トリテルペンカルボン酸のエブリコ酸、エルゴステロールなど 

吐き気,胸やけ,胃炎,胃アトニー,胃下垂,胃神経症,少尿量. 

枸杞子(ナス科クコの成熟した果実を乾燥したもの) Lycium chinense MILL. Solanaceae ナス科  画像検索結果

成分:ビタミンB1、B2、C ルチン、ベタイン 

ルチンの血管強化作用,高血圧,頭痛,肩こり

ベタインによる消化促進,肝臓脂肪抑制,酸性の血液をアルカリ性へ変える(疲労回復効果) 

菟絲子(マメダオシの種子またはネナシカズラの種子)   画像検索結果

成分:種子からβ-カロテン,γ-カロテン,α-カロテン-5,6-エポキシド, タラキサンチン, ルテイン 

滋養強壮,強精,夜尿症,淋病,膝や腰の冷え.

あせも,にきび,そばかす,顔面白癬,面疔などの際は患部に塗布 

補骨脂(マメ科オランダヒユの成熟果実を乾燥したものし) 画像検索結果

成分:プソラーレン、イソプソラーレン、コリリホリン(フラノクマリン類)その他を含む. 

男性機能改善

参考資料 

加納喜光 中国医学の誕生 (東洋叢書) 東京大学出版会 (1987/05) 

養生訓(全現代語訳) リンク切れ

ドクター康仁(こうじん)のうんちく漢方塾: 七宝美髯丹  リンク切れ

何首烏解説 : 不老長生之霊草 (菊池酉治 著 (菊屋仁泉堂, 1920) 目次:第九章 七寶美髯丹)では,七寶美髯丹は製法が難しく研究中と書かれている.中国の同人堂の製品を紹介しておきたい. 

追記 中国同仁堂七宝美髭丸の価格は5日分(6g×10包,1日2包) 1100円 

同仁堂七宝美髯丸 

同仁堂七宝美髯丸は北京 同仁堂から造られた赤褐色の水蜜丸で、味が微苦です。七宝美髯丸は滋補肝腎(肝と腎の冷やす力(陰)を補充し、機能を高めること)、益精血の作用があります。肝腎両虚による若白髪、歯茎が動く、遺精、寝汗、腰が重い、下り物、筋骨痿弱(肢体が萎えて動けなくなる病証)、腰・腿がだるい、帯下清稀などに用いられます。 

成分 

製何首烏(せいかしゅう)、当帰(とうき)、補骨脂(ほこつし)、枸杞子(くこし)、菟糸子(としし)、茯苓(ぶくりょう)、牛膝(ごしつ)。 

効果 

滋補肝腎(肝と腎の冷やす力(陰)を補充し、機能を高めること)、益精血の作用があります。 

適応症 

肝腎両虚による若白髪、歯茎が動く、遺精、寝汗、腰が重い、下り物、筋骨痿弱(肢体が萎えて動けなくなる病証)、腰・腿がだるい、帯下清稀などに 

用法・用量 

1回1包を1日2回、お湯で服用してください。 

(2012/10/22)