明治22年熊本地震(液状化の事実)

東北関東大震災の凄まじさにかき消されて,小さい地震や火山活動は目立たなくなってしまった.九州では新燃岳,桜島に加えて阿蘇山も活発になっている.熊本 市には立田山(熊本大学裏手の山),熊本城,花岡山(熊本駅新幹線口から見える小高い山),独鈷山,城山を結ぶ活断層がある.明治22年(1889年)7 月28日に起こった熊本地震では,竹の根のはった竹山に蚊帳をつって生活したという祖母の話を父から聞かさたことを思い出した.

その地震の詳細を知りたいと思い,国立科学博物館地震資料室で調べてみると下記の記述があった.

説明文(そのまま引用):1889(明治22)年7月28日、熊本県西部を強い地震が襲いました。震源は熊本市の西、マグニチュードは6.3と推定されて います。死者20名、建物の全潰239棟の被害がありました。この地震は地震学会が1880年に日本で発足してからはじめて都市を襲ったものとして調査が 行われ、また、遠くドイツのポツダムの重力計に地震波が記録され、遠い地震の観測のきっかけとなったといわれています。ここに掲げた写真は、わが国の地震 の被害を写したもっとも古いものかもしれません。写真11枚付き

いまひとつ詳細が分からないので,デジタルコレクションで調べてみた.

注)国立国会図書館が所蔵する明治・大正・昭和前期刊行図書のデジタル画像を収録するサイト.現在の収録数:約46万7千冊(うちインターネット提供数:約17万2千冊).近代デジタルライブラリは国立国会図書館デジタルコレクションに統合された

その中に下記の本が画像として存在し,しかも全文をWeb上で読むことができることが分かった.

熊本明治震災日記 水島貫之(発行所 活版舎 大販売所 明治22年出版 樂善堂 長崎次郎)143ページ(2022.5.20リンク修正)

文字データではないので,文字検索はできない.OCRで文字化するためには古い文 字の辞書が必要であり,さらにスキャン汚れもひどい.そのため,全ページをめくりながら斜め読みしないと知りたいことを確認することはできないが,半古文 調のためか当時の様子を生々しく汲み取ることができる.県の公文書,大学教授調査報告書,新聞記事やうわさ話,挿絵を集めた総説的な貴重な資料である.写 真の代わりに挿絵が付けられているが,国立科学博物館地震資料室の写真と構図が一致している.

震災直後は,その被害状況から熊本市西部の金峰山(665m,熊本市の西方約5km,頂上に各社テレビ送信所)が活火山として破裂したためではないかという風評が立ったが,理科大學教授小藤文次郎博士の実査等により否定された.現在では立田山断層(浅い活断層による直下地震)が原因という説が受け入れられている.

◯被害の概要

    熊本市,飽田郡(現在は熊本市に合併)に集中

    家屋全壊 234

    半壊 229

    圧死 19(国立科学博物館地震資料室 20)

    負傷 53

    裂地 893

    耕宅地壊崩 3336

詳細は省略するが,町村合併で広くなった現在の熊本市域に被害は集中している.

ところで,平成5年,自宅(新屋敷3丁目)をセラミック鉄骨住宅に改築する際,地力検査を勧められ実施した.その結果,地盤を補強するための追加工事が必要であることが判り施工した.熊本明治震災日記によると白川沿いの新屋敷の住宅が倒壊したという記事があり,液状化が気になっていたのでその有無について調べてみた.

◯熊本市及近隣地の地震

金峯山彙の麓に於て最も強き震動を感じ大損害を蒙りしは熊本市,高橋小嶋川尻の三町なり殊に小嶋,高橋は近時まで海水乃湛へし低地にして,粘土,砂礫の 如き粗鬆物地盤を構成することとなれば他より一層激震を感ずるは理の最も観易きものなり小嶋村及下松尾の如きは震災のために砂土噴出することは十六箇所, 裂地五十五箇所,田圓の隆起せし者貳町五段餘陥没せし者貳町に及び地面を小浪の抑揚するの如き観を呈するを見れば地盤の堅牢ならさるを知るに足れり

◯地盤壊裂

坪井八百屋町へ入角,高等小学校内,(噴土砂,すなふきいづ)私立病院内四ケ所(噴水,みずふきだす)監獄の内三ケ所,相撲町一ケ所,二十三聯隊西街道三ケ所(皆噴水)下通町二丁目,(噴土砂)厩(うまや)橋近傍及び監獄署西側一般,石塘口 新橋に至る一圓,下馬橋 洗馬町に至る街道に所々あり,古城堀端町所々.洗馬町三丁目街道の中三坪程凹窪を現出し鷹匠町(現・新市街・下通一丁目、紺屋今町の一部)即ち追廻田畑南詰,京町錦山社近傍所々,洗馬町源覚寺内,(噴土砂)古川町木材満作邸内(噴土砂)

文章中に”噴土砂”さらには”噴水”という単語が使われている.恐らく液状化が起こっていたのであろうと思い,さらに調べると下記の科研報告書にたどり着いた.

KAKEN 研究課題・成果情報 科学研究費補助金データベース 1986年度~1989年度 熊本大学・工学部・教授 秋吉 卓(複数の報告が存在する)

4)熊本地震における地盤の液状化は、そのほとんどは、新・旧河川敷、掘割あるいは埋立地等の水位の高い砂質性の地盤で発生し、断層には沿っていなかっ た。さらに、その余震でも液状化が同一地点で再発し、慣用の液状化推定範囲をはるかに越えた地域にも液状化が発生していたことが調査により分かった。これより液状化の判断には、微地形および軟弱地層構造の両面の調査を重視すべきことを提起した(そのまま引用)。

今更ながら,埋立地の恐ろしさを知った.

戦後大都市周辺で行われている埋立による都市開発はこのような過去の情報を精査した上で実施されているのだろうか.

追記

祖母の話に関連した記述

一般の人民驚き惑ひ晝食を済す隙もなく繁れる樹林或いは竹籔抔に筵をしきて縞蚊のせせるをも厭はす打伏して神佛を祈願するさまは・・・・

(平成23年5月20日) 平成29年5月6日 引用修正