補足
まず、この記事の取材は、昨年の12月5日に行われたものです。この時点では、まだドラマも終っておらず、またシングル発売から一ヶ月も経っていませんでしたので「ヒットの結末 面白く見物」という気分であったことは事実です。
現在、1月19日、出荷枚数はミリオンを越え、“商品”としての当初の目標は達成されました。(丁度1月19日付けのオリコン誌に「作曲家・大瀧詠一としては、それまでの最大ヒットであった「探偵物語(83年)」を抜いて最大のヒットとなった」とあります。因みに、アルバム・チャートに入っている『ア・ロング・バケーション』の数字は約3万枚とカウントされていますが、実数は35万枚を越えています。これは廉価版になってからの数字ですが、どのレコード会社も「新譜主義」ですので、チャート・インしていない時期の数字は加算されません。このような不可避な構造が「チャート」にはありますので、あまり“数字”のみにこだわらないように)
この記事の冒頭にも書いてある通り、この楽曲はテレビ・ドラマの主題歌です。“ヒット”したのは《ドラマ》であり、そのドラマの主題歌として(付随して)ヒットした、その“結末を見物”という意味です。
よく「ドラマの“おかげで”ヒットしたのだ」という言い回しを、この楽曲に関してだけでなく、見受けられますが(“ヒット”はドラマの“せい”であることは重々承知です)そのドラマの“ために”書き下ろしたのですから、“おかげで”という言い方は正しくありません。(ドラマに全く関係のない曲を、ムリヤリ“押し込んだ”というのであれば、話は違って来ますが)
「ドラマの主題歌でなければ、これほどヒットはしなかっただろう」という意見は、全く“その通り”なんですが、ドラマの主題歌の依頼がなければ、この曲自体が生まれておりません。
「フジの月曜9時でキムタク・ドラマならヒットしない方がおかしい」という意見も、全く“ごもっとも”です。
確かに、この主題歌は“私”である《必然》は全くありませんでした。(「他の誰でも、この程度はヒットした」という意見も、全く“ごもっとも”です)
私も、山下達郎君との『新春放談』で語った通り、一度は「断り」ました。自分では当初“必然”を感じなかったからです。
しかし、フジテレビ・ディレクターの永山耕三さんが「是非」とのことで、永山さんと私の間で《必然》となったのです。(この経緯も『新春放談』で触れました)
「売れなかったら“引退”」というのは、それほどの(商業的な)大舞台なので、ドラマへのミス・マッチや悪影響が起こった場合、それが原因で《商業的な失敗》となったら、これは何らかの“責任”を取らざるを得ないと考えた、ということです。
つまり、長年休んでいた《歌手活動》を完全休業するということ。これを“引退”という言葉に込めました。
ですから、結果的に(ドラマの成功のおかげで)主題歌がヒットしたということは、「大滝詠一の歌手生命が延びた」ということです。ドラマの成功のおかげで《歌手》を“自主廃業”せずに済んだ、ということですね。
またこの記事で“一点”、訂正箇所があります。
それは「歩きながら PHS で通信可能のページを持っていて、自分で“メール”を書いているミュージシャン」というところです。
これは「“メール”を書いている」ではなく「“HTML”を書いている」です。
どうやら「HTML」を早く発音したので、後半の“エムエル”が「メール」と聞こえたのか? あるいは現在「HTML」といっても一般的ではないので“朝日的味付け”で「メール」と分かりやすく変えたのか? と思いましたが、続く文章は「ホームページ持って“メール”書いているミュージシャンは僕しかいない」ですから、これでは私がインターネットに関して“自慢にならない自慢をしている”、あるいは“何も知らない”ことを堂々と表明しているようなもので、“かなり”ミットモナイ発言になっています。(「メール」と「HTML」では“月とスッポン”の違いがあります。ホームページを持っているミュージシャンでも、HTMLを“自分で”書いている人が少ないことは事実ですから)
ま、私の場合、他にもいろいろと“誤解”されていますから、ここで一つ二つ訂正したところでキリがないですが「天下の朝日」さんですから、データ・ベースに残す場合は修正して頂こうと思っております。
最後に、「写真」に関するコメントですが、「匿名性の獲得のため」と「本人の希望により」と2パターンがあります。これは、どちらも“正しいことは正しい”のですが、正確な私の《要望》としては、
「“近影”なしの“作家”の記事というものは存在するか?」と聞いたのです。
すると「“作家”の場合は“ある”」とのこと。
「それがミュージシャンであっては“いけないのか?”」と更に聞きますと、
「あってもいいと思う」とのお返事でした。
そこで『ロング・バケーション』当時の写真を使いましたが、「匿名性の獲得」や「本人の希望」というコメント“だけ”では私の言おうとしている“ニュアンス”が足りません。
「“近影”なしのミュージシャン」というのがいてもいいのではないか、という《提言》です。(「ダメ」なら却下します(^_^))
これが“真意”なのですが、多分、この“お国”の方々は「すぐにワレもワレもと“マネ”をなさる」ので、朝日さんはソレを恐れているのではないか、と推測されます。
1998年1月19日 大瀧詠一