辛抱する木 (2003.7.9)



 こんな時期に“阪神ネタ”を、敢えて私が書く、というのもナンですけど。


 小林信彦さんの週刊文春コラムを読んでいたら、「今年阪神が優勝すると18年ぶり、つまり前回の優勝は《1985年》ということは盛んにいわれているけど、“その前”となると、更に!20年も遡らなければならない」というのを読んで、『あっ!そうだったんだ・・・』と、唖然としたので書いて見ようと思い立ちました。


 確かに。“一つ前”というのはよくいわれるけど、“更にその前”というのはあまりいわれないものなんですね。(こちらも忘れている、ということもありますし、現在の阪神ファンの中心層があの頃に少年・青年時代を送った人が中心、ということもあるでしょうね)


 ま、前回の阪神が優勝した1985年といいますと、ワタシにとっては「“新”アルバム制作休止元年」、と結果的に、なってしまった年でもあるのですね、あまり強調したいことではないですが。


 しかしそれにしてもですね、更にその前が1964年というのは驚きましたね。ビートルズがアメリカ(及び日本)上陸の年。東京オリンピック。私は高校一年生で“ジャンバルジャン”になっていた年です。





 今年は2004年ですから、なんと阪神は『“40年”でたったの《二回》しか優勝していない!』ということだったんですね!(今年優勝して“三回”となるのでしょうが)今年の活躍を阪神ファンが驚喜するのはトーゼンですよね。(ここのところ松井君が相手をしていたボストン・レッドソックスも、名門チームなのに随分優勝から遠ざかっているとのことですが、ヤンキースとレッドソックスというのも“巨人・阪神”と似ているようです)


 思い出しますよ、1964年の阪神優勝。強かったよ、当時の阪神。監督・藤本定義、コーチ・青田昇。(巨人OB・・・。モウシワケナイ)巨人ファンの想い出は《王選手の四打席連続ホームラン》。相手チームが阪神。四打席目にビビった阪神投手の一球目を見た監督・藤本定義はマウンドに向かって『勝負せい!』と叫んだ!とかいうエピソードが残ってます。それで優勝したんですからね、藤本阪神は。(余裕があったんですナ。それと藤本定義の“男気”ですネ)


 それにしてもね、“巨人”といえば《阪神》と出て来ます。《巨人・阪神伝統の一戦》と、いまだにいいます。東京巨人軍に次いで歴史が古い“大阪タイガース”。戦前も巨人に対抗出来た相手はその大阪タイガース“だけ”といっていい存在。『ベースボール・クレイジー』でも“ボクは巨人ファン、キミは阪神ファン”と二番目に出て来ます。それが「40年間に優勝二回」は、少な過ぎませんか?!(「あんまり言わんといて!」とかいわれそうですが・・・。実は、ワタシの周りには“阪神ファン”が以前から多いんです。“はっぴいえんど”時代は大阪の『ディラン』という喫茶店やその関係者、それから1973年からは“ごまのはえ”、フォーエバー・レコードの宮下君など、大阪人とのツキアイが多かったですし、最近も毎日放送で放送作家のチロリンさんや山田さんの生放送にゲスト出演しましたし、北野誠さんと竹内義和さんとサイキック対談したばかりです。当然“阪神”の話題は出ました)


 特に《2リーグ制》になってからの初優勝が“1962年”というのも異常に遅過ぎましたよね。(この理由は、新チーム・毎日オリオンズへの選手の大量移動によるチームの弱体化等々、理由はいろいろあるのですが今回は省きます)


 調べていて、本当に驚きました。2リーグ制になっての初優勝が“13年目”だったんですね。阪神ファンのミナサンは『13年“待った”』ということですよね。(干支が一回りしてますからねぇ・・・。“ヒツジ”もビックリ)


 しかし間髪入れずに二年後(64年)にまた優勝!この時は「これからは阪神が10連覇!20連覇するんやぁ!!!」と、思っていたでしょうね、ファンの人達は。(確かに、この時の阪神は本当に強かったですよ。巨人はそれまでに2リーグ制になってから三連覇、四連覇の経験がありましたから、ファンとしては余裕を持って見ていましたが「これから“交互に”優勝して行くのかなぁ・・・」という思いはありました)


 ところが!!!この1964年阪神優勝の次の年から始ったのが、


 《九連覇》


 だったんですねぇ・・・。ナントモハヤで・・・。


 巨人ファン“以外の”人にはイヤミに聞こえるでしょうが、V7あたりからは「もうそろそろ他のチームが勝ってよ・・・」と思ってましたヨ。


 そして“例の”V9の年。1973年。“サイダー”の年でんがな。《ナイアガラ元年》


 名古屋球場でどうして勝たなかったんや・・・!優勝して欲しかったがナ、巨人ファンとしても。(笑)(テレビで「あ!今新幹線が名古屋駅のホーム着きました。多分巨人の選手が見てると思います」っていった時に、ワレワレ巨人ファンは、「これで明日は勝ち!」と思ったんですよ。ホントです。後で選手もそう思った、と語っている人が多かったですね。まさに“勝負は時の運”、ですなぁ・・・)


 “ここ”でしたよ!“ここ”を逃したのが大きかった。


 当時、六文銭の及川恒平君が(熱狂的なトラキチ。←現在、放送禁止用語)あの日甲子園に行っていた、というのを覚えています。かなり東京から熱心な阪神ファンは行ったんですよね、あの日の甲子園に。


 しかし、見るもムザンな惨敗・・・。ファンが怒ってグラウンドに乱入、巨人選手に“暴行”を働く・・・。ニュースになりました。


 ボクはですね、野茂投手が近鉄入団の時から数年間、近鉄ファンを“やった”ことがあります。この時に「西武が憎らしい・・・」と感じたことがあります。その時に、「あ!阪神ファンの“巨人憎し”って、こういう感情なのか」と、身をもって体験しました。(蛇足ですが、最低でも“一年間・毎日”、そのチームの試合を見る、ということが《分かる》ということの第一歩だ、と、知りました。この時の近鉄応援、更にイチロー君のシアトル、そして現在、松井君でのヤンキース。まずは一年間、“毎日”見ると、《分かる(知る)》ということの土台が出来る、と感じました。これは普動説やポップス伝をやる時に、一年間、あるいは二年間、毎日“流行歌を聞く”ということを実行した時にも、同じ事を感じました。よく『メジャーの野球は(日本と比べて)うんぬん・・・』という人がいますが、一年間“毎日”同じチームの試合を見る、ということを体験すると、発言は変って来ます。もちろんそれが二年、三年となると、更に変わって行きます。これは“野球”に限ったことではないと思います)


 2リーグ制以降、初優勝するのに“13年”も待ったのです。そして隔年で二度優勝し、すわ“連覇”!と思ったら、それが始ったのは“我が阪神”ではなく“憎っくき巨人”。それも8年も続けて・・・。もうエエかげんにして欲しい・・・。


 “当然”の思いですよね・・・。あの時の甲子園にいた阪神ファンとしては。


 しかし、最終戦の前にもチャンスがあったのに逃し、最後も惨敗と、阪神ファンの溜飲が下がるどころか“憤懣・鬱憤”が溜るだけでした。


 この1973年のチャンスを逃したことが、次の優勝まで“20年”もかかってしまった・・・ということだったんですね。


 つまり!言いたいのは!


 1965年から1985年までの阪神ファンと、1985年から来年の3・21までのナイアガラ・ファンの“待った”という次元では“同じ”ということになる、と・・・。(何ヤ!ソレがオチかいな!)(オマエが言うな!←投石)


 更に阪神ファンは!1986年から今まで、また“18年”も待ったのですから、スゴイ持久力ではありませんか!!!(何ヤ!もっと“待て”、いうことかぁ!!!←投石×4)


 ま。冗談は置いておいて・・・。(冗談にするなっ!←清水ミチコ風ツッコミ)


 優勝チームを調べていて、意外なことを発見しました。


 2リーグ制以降、優勝回数は巨人が圧倒的に多いことはどこのファンの人でも分かっていることだと思いますが、


 それでは!


 “二番目”となると、どこのチームでしょう???!!!


 で。ここで『阪神!!!』、とならないと、本来はマズイでしょう!ねぇ!そう思いません?


 ワタシは心底驚いた。


 “二つ”あるのですが、まずは《ヤクルト》。6回。まぁ、これは大体分かると思いますが、ナント!《広島》も同数二位!なんですね!


 いや。別に広島をバカにしているのではなくて、「そんなに優勝してたのかぁ・・・」という思いがしたんですよ。野球を70年代や80年代から見ている人は、赤ヘルや野村ヤクルトが優勝したイメージを沢山持っていると思いますが、ワタシのように50年代から見て来たものにとってヤクルト・広島の活躍はつい“最近”なんですよ。ヤクルトは90年代が多かったですから印象が強いんでしょうね。広島の優勝は91年から遠ざかってますから印象が薄くなっていた、ということでしょう。(それにしても、申し訳ないが、91年“まで”広島が《優勝チーム》であった!ということの“再発見”が、ワタシにとっては驚きでした。でもそうだったんですよねぇ・・・確かに)


 後はですね、中日の“5回”というのがこれまた意外でしたね!もっと優勝しているようなイメージがあったのですが・・・。(繰り返し申し訳ないが、広島よりも優勝回数が“下”というは意外!)


 ただ、中日の場合、50年代に巨人の連覇を阻止!(もし54年に中日が優勝してなかったら巨人は50年代にも“九連覇”していたことになります)そして74年には巨人の“十連覇”を阻止!80年代二度。90年代にも一度と、まんべんなく優勝してますからね。それが「もっと優勝していたのでは?」と思わせる原因なんでしょう。


 そして我らが“阪神”!(なんで“我ら”やネン!)


 三度。そのうち、《日本一》は“たったの”一度!!!(わりぃ、わりぃ。古傷またエグってしもた。スマン)


 これがオドロキですよ。


 ヤクルト5回、広島(でさえ。←スマン)3回に対して、阪神“1回”は少ない!少な過ぎるぅ!(んんん?中日も日本一はたったの一回?しかもそれは1954年?!それは遠過ぎ・・・)


 こりゃ、バランス悪いがナ。マズイっすヨ。何でこうなってるんだろ・・・。ねぇ。(巨人が“横暴”は、最大の理由にはならんヨ。広島が3回“日本一”になってるんだから。せめて阪神も中日も最低でもそれくらいの数はないと)しかし、フシギやねぇ・・・。


 後気がついたことは、


 1975年、“ワタシ”のアイドル・長嶋茂雄の監督一年目!シュガー・ベイブのデビュー・アルバム『SONGS』が発売され、希代の名作『ナイアガラ・ムーン』もリリースされた年。ナイアガラ“レーベル”元年!


 この年が“赤ヘル・広島”が初優勝した年でした。しかも巨人の“聖地”後楽園球場で胴上げ。(確か、セ・リーグの他のチームの後楽園胴上げって、史上“初”だったんじゃなかったかなぁ・・・。これは記憶が曖昧なので自信ないですけど)


 で、ですね。2リーグ制になってから、つまりは《日本シリーズ》があるわけですけど(日本シリーズをやりたいためにパ・リーグを作ったのですからね)1975年の《古葉・上田》の対決というのは、史上“初の”巨人OB監督が関係しない日本シリーズだったんです。


 その間、25年間、どちらかの監督は“巨人OB”でした。


 西鉄・三原脩、東映・水原茂、阪神・藤本定義、中日・与那嶺要。2リーグ制度開始から四半世紀かけてようやく“新時代”を迎えたんですね、1975年という年は。新時代の象徴が“赤ヘル・広島”だったワケです。(フォロー、フォロー!)(ドラフト制度導入の効果が“ようやく”現れた象徴、ともいわれてますけどね)


 その後、また巨人OB《広岡・森》コンビが80年代に“パ・リーグ時代”を作ったということはありますが、圧倒的巨人偏重時代は、皮肉なことに《我が長嶋茂雄》が監督になった1975年から崩れ始めて行ったワケで、長嶋サンから段々巨人は優勝から遠ざかっていって・・・結果的には、プロ野球“民主化”を実現したのはナガシマさんだった・・・と。(ナントモハヤ、としか言いようがない・・・。・・・。)


 でもしかし!そこに立ちふさがるのが《阪神タイガース》でなかった、というのは、やっぱりマズイですよ!


 まずは“阪神”が、常に強くあること。(そして中日はもっと日本一にならなきゃいけない。たったの1回はマズイ。バランス、バランス)


 横浜の日本一は“5年前”だからガマンしよう!18年も20年も待っている人が他にいるんだから。(笑)ヤクルトは最近常に優勝を狙えるチームになったから強烈な不満を持っている人は少ないでしょうね。心配なのは広島ですねぇ。FAの草刈場になったし、逆指名なんて制度を持ち込まれちゃねぇ・・・。せっかく“民主化の象徴”だったのに・・・オール与党時代の逆境に立たされてるね。優勝回数巨人に次いで二位の名誉、なんて、《士農工商》のトリック的ともいえるしネ・・・。ソリアーノとかロペスとか、育てること出来なかったんだろうか・・・。モッタイない。(でも“育ったら”巣立ったんだろうしなぁ・・・。でも育てるだけは出来るチャンスがあったんだからねぇ)


 阪神の“ぶっちぎり”優勝ですが、18年待って、更にその前に“20年”も待ってた人達なんだから、この程度ではファンの溜飲は下がらないよネ。今度こそは62年・64年の隔年優勝から『すわ連覇!』となった時から“20年”待たせる、とか、やっちゃダメですよ。(笑)


 巨人ファンも、もういいんじゃないの?(笑)ダメかね?ワタシゃ、水原時代からだから連覇は“飽きた”よ。(笑)


 でも長嶋監督以降からファンになった人にとっては日本一は“たったの”《5回》なんだよね。ヤクルトと同数!巨人、巨人ってミナいうけど、単なる“イメージ”なのよ。(後は“過去の”実績、ネ。それから作られた“ところの”イメージ)実際は《圧倒的な強さ》ではなかった。でもね、これは“アンチ”が利用したことでもあるんだよ。敢えて“強い巨人”というイメージをばら撒いて、『どうだ!それに勝ったからウチは強いだろう』などというタヌキ監督がいてさ、そういう人の戦術だったのサ。(一人二人じゃなかったからね、タヌキ)


 そういう意味では、申し訳ないが《阪神》もイメージ先行だったよね。実際はちっとも優勝してなかったチームだったわけだから。(ただ《二位》が圧倒的に多かったからね、以前は。他の4チームよりは強いワケだから、強いというイメージが作られるのは、これまた“当然”ではあるよね)


 まぁ、簡単に“18年”とか“20年”とかいうけどサ、結構なモンですよ、その長さは。更に《30年》でっせ、「サイダー」から。(「アイウエオ」からは来年で35年ですけどネ)


 一応は“続いた”というだけでもケッコーなもんだと、自分では思うんですけどね。(何かを“30年間”一つ事を続けたことのある人は分かると思いますよ、実感としてね)


 長年、その時を“待ち焦がれていた”阪神ファンの方々は、もう来年からの《連覇》が“よぎる”でしょうけど、嬉しい気持は分かりますが、今のところは「また20年待つかもしれないから」と殊勝な気持になって、“現在の勝利”を噛みしめるのがヨロシイんじゃないかと(いや、連覇が“ない”といってるんじゃないですよ(笑))老婆心ながら、思うのであります。


 それが《“今”を生きる》、ということなのではないか、そして『“今”を生きる』ということが《充実》ということなのではないか、と。(いつまでも“過去”を《基準》にすると、人生は楽しくないですよ。楽しめる時に楽しんでおきましょう。“前”はなかったことにして、そして“次”もない。あるのは《今》。この時、この瞬間。大事にしましょう)


 阪神ファンのこの“待ち方”。


 《持久するエネルギー》


 考えさせられますなぁ・・・。