ナイアガラ・ガラクタ・スプラッシュ (Splash 16 - 20)
ナイアガラ・ガラクタ・スプラッシュ (Splash 16 - 20)
Splash 16: B級ネット天国~開隆山と西園寺 (1996.7.26)
From: スージー鈴木さん(7.25)
Subject: 週刊文春
さて、例の「開隆山と西園寺」の件、今日発売の週刊文春、泉麻人氏の「B級ネット天国」の欄で取り上げられております。ご報告まで。 今度はアンケートを改訂し、「大映スターズの好きな選手を挙げよ(但し、入団前に限る)」としようかと思います
〈開隆山と西園寺〉ねた、今週号の『週刊文春』(8/1)に載ったようで、インターネットに書いたことを、週刊誌を通じて“返事”をもらったような気分です。インターネットと週刊誌の“交換日記”か。(異種メディア間文通?!)
泉麻人君も“SBモナカ・カレーを食べる会会長”について書いていましたが、近々アップ予定の『ゴー・ゴー・ナイアガラ有名人大会』で当時の葉書(探せばあると思います)とそれを読んでいる音声を公開します。
それにしても、20年後に〈開隆山と西園寺〉で再びこんな“出会い方”をするとは、お釈迦様でも予測出来なかったでしょう。
更に「毒島や岩風が候補に挙がったのも同じ」とのことですが、そうでしょうとも!
もしどちらかが〈岩風と毒島〉でどちらかが〈開隆山と西園寺〉でも、ナイアガラ流ではこれは“同じ”ことになります。(“読み筋”が同じなら結果は違っても同じ、というのがナイアガラ流。“男の美学”です)
東映フライヤーズのFL“Y”ERが〈FL“I”ER〉になっていましたが、これは誤植でしょう。(単行本にする時はお直しあれ)
もし20年前のラジ関『ゴー・ゴー・ナイアガラ』に泉麻人君が「東映フライヤーズというのは、フライを取るのがウマい人達が集まったのでそういう名前になったのでしょうか?」と質問して来たら、私はこう答えていたでしょう。
「そうです!因みに東映の二軍にはゴロを取るのがウマい選手が集まったので“東映グラウンダーズ”という名前になっています」
と答えていたハズです。(“リグレイの謎”同様、ナイアガラ流返答とはこんなモンですぅ)
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Splash 17: 細野スタジオ訪問 (1996.7.26)
7月18日。『エスクワイヤ』の取材で細野スタジオ訪問。細野邸を訪れるのは25年ぶりのことでした。
詳しい内容は記事を読んで頂こうと思いますが、最近、というより、私の場合は落語家を目指したことからも“語り口”というものがあり“活字”ではなかなかそのニュアンスが出ないなぁ、と常日頃感じています。(だから“ラジオ出演”が多いのです)
ですからどれくらいその雰囲気が文章で伝わるかは分かりませんが、対談で出た落語の話しは『エスクワイヤ』には載らない可能性があるのでここで書いておきます。
細野さんは小学校二年生ぐらいの時、お父さんに連れられて行った寄席で“三平”を見ていっぺんでフアンになったそうです。
私は小学校五年の時に『字違い』という落語を教室で演じたのが“初高座”(^_^)でしたが、高校生の時に大好きだったのが“痴楽”でした。
《三平 vs 痴楽》
これ《細野 vs 大瀧》を結構言い当てていると私は思いました。(『字違い』とNHK24日放送予定の痴楽の『ラブ・レター』は私の落語の基本です)
細野さんは来年“50”を迎えるそうです。「なかなか追いつかないねぇ」と言われましたが、私が“20日”早く生まれていれば“一日だけでも”追いつく日があったのですが...。「犬が西向きゃ 尾は東 兄貴 オレより年が上」と。
再来年はいよいよ私が50になる番のようですが、この二年間にアルバムを出さないと「40代では一枚もアルバムがなかった」ということになりますね。
『エスクワイヤ』の出だしは多分「現在の私の生活の中での音楽の占める割合は“消費税”程度である」という項目から始まると思います。
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Splash 18: インターネットマニア (1996.8.8)
本年第一号の雑誌取材。(;_;)知っている人は知っているが、知らない人はまるで知らない“インターネットマニア”。引き受けた理由は ただ一つ。これを発行している白夜書房の藤脇氏が知り合いだから。
この白夜書房、業界では“怪しげな”雑誌を出しているところとして有名(^_^)。(『パチンコ必勝ガイド』は大ヒット)私は70年代にここから出ていたイカレた雑誌『ウイークエンド・スーパー』の愛読者でした。
あまりの“過激さ”ゆえ、当局から目をつけられ、タイトルを変えて延命を計るも、そのかいなく80年代に入って廃刊。私は『ヘッド・ロック』とタイトルを変えた時に“鈴木いずみ”さんと対談しています。
84年、小林信彦さんが白夜書房から『道化師のためのレッスン』(12月)を出版。小林さんがTVに係わっておられた60年代初期のインタビューを私が務めました。その編集担当が“藤脇”氏で、彼は調子に乗って(^_^)自分で『定本・小林信彦研究/仮面の道化師』という本まで出してしまったのでした。
90年6月、2年がかりで出版されたあの“分厚い”『甦る伝説/フィル・スペクター』(大瀧詠一監修)も白夜書房。
というわけで、この《アミーゴ・ガレージ》の紹介がインタビュー・ページの“巻頭”を飾る予定なそうですからオタノシミに。(編集者は毎月のアミーゴ・ガレージ・コラムも作ると意気込んでいましたが、一ヶ月更新しない時はどうすんだろか?(^_^)それと、人気の“いとうまい子のしあわせフラフープ”の連載はどうなるの?それにしても彼女のページ、26万もアクセスがあるとは。やはり“アイドル”は強い。アトムは元気か)
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Splash 19: 《アミーゴ・ガレージ》海外移住 (1996.8.10)
「いつまでも あると思うな ナイアガラ」の一句を啓上した時に計画していたアメリカ移住。試験運転を始めたのが7月28日。そして《アミーゴ・ガレージ》発足から2ヶ月目を迎えた8月10日を待って移転しました。(よって、リム・ネットの方は閉鎖致します。8月中は“移転メッセージ”を出しておきます。大体、このホームページ、まだどこにも“公式”に発表していません。まだ“試験運転中”なのですね。もっとも、“公表”したとて、内容は“試験運転”が永遠に続くと思いますが)
他のホームページで見られる単なる〈移転メッセージ〉では“芸がない”。そこでナイアガラ流を考えたのです。さすが“流石”流れ石、物事に“余裕”のあるナイアガラー諸君は文中の
《“弓のような”催促》
という語句を見逃しませんでしたねぇ。
“イカした”のナイアガラ反語“タコうえ”や、「午前零時は宵の口。午前三時は宵の喉」で鍛えられた諸君には朝飯前・晩飯後だったようです。
“日本語”を知っている人なら、《催促》を修飾する語は〈“矢”のような〉であることは当然知っているワケです。
それを“弓”のような催促と、日本語には全く無い慣用句が使われているワケですから、受験用語で言う所の“ひっかけ”問題であることはすぐに分かります。
更に“矢のような”催促なら“飛んで来る”という意味合いですが、“弓のような”催促?という“絵”を考えて見ますと、逆に引っ張っているワケですから、催促する側が内側に引いている、という図が浮かびます。
そうです。ここへ参加しているナイアガラーには“ヤボ”な人は一人もいません。要望を自分で引き込んでいるような、実に粋な若旦那が多い。そこで“弓のような催促”と書いたのです。(また週刊文春の泉麻人氏の記事をよく読めば“糾弾”は大袈裟な表現であることが分かります)
そういうイキな若旦那に喜んでもらおうというのが『目指せ300万!』のコーナー。まず、この“300万”から笑ってもらって、次の“アクセス・カウンター”が《0000003》。番号取りの“RELOADマニア”に一泡ふかせようと、これはカウンターではなく 《0000003》という
“画像”!
つまり、何度アクセスしても数字に変化なし!(「俺は三番目か」と簡単に納得する人。「たったの3人か」と思う人。何度もアクセスして「このカウンター、壊れてんじゃねーか」と思う人)
それから目次・目次を繰り返すのはアダルト・ページのもじり。選び方によっては延々繰り返しになるのは毎回振り出しに戻る“ナイアガラ双六”の構造の再現。そして“YES側”にはポップス・ファンなら知らない人はいないシャングリラスの「家には帰れない」のもじり。(MAMAAAAA)
再び登場した《アミーゴ・ガレージ》の“アドレス”を見るとリム・ネットのアドレスではない。しかも“COMドメイン”。「そうか、移転したのか」とここで気づく。
数あるナイアガラ作品、そしてこの《アミーゴ・ガレージ》の“主旨”をよく理解している人にはこの程度のシャレは“軽いもの”だったようですねぇ。(うーむ。この解説はヤボだったカモ)
ということで新住所は《www.fussa45.com》。
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Splash 20: エスクワイヤ日本版10月号『ホソノ・アワー(5)』を1.41421356倍楽しむ方法 (1996.8.30)
もうこれは“エンタツ・アチャコ”の漫才ですナ。(もっとも“エンタツ・アチャコ”と言っても殆どの人は分からないでしょうが)細野・大瀧の歴史なり性格なりが少しでも分かっていないと“活字だけ”からはそのオモシロミの全ては伝わらないでしょうね。“音声”の方がまだ伝わりやすいとも思うのですが、結局は“禅問答”のようなものですから、どちらにしても『分かる人には分かり、分からない人には分からない』ものです。
でもこの編集は良く出来ていて、あの内容をここまで簡潔にまとめたとはミゴトの一語です。(“女性”の方でしたが(^_^))
落語もそうですが、その“人間”について“とっかかり”がないと話というものは分かりにくいものです。
その“とっかかり”をなるべく最小限に止めたものが共通語(共用語)で、それを“分かりやすい”と呼ぶのでしょう。
一方《方言》とは“とっかかり”だらけです。(江戸落語は“江戸方言”ですから、あまり“言葉”だけに拘ると、話の本質を見失う危険性があります)ま、分からない人にとっては“外国語”のようなもの。“分かる”ためには《相手のルールに従う》ことが必要になります。
つまり“分からない”とは「そのルールが分からない」ということですね。
《外国語の習得》の場合、「なぜ私はこのルールに従わねばならないのだろうか?」という意味合いの自問を繰り返す人は絶対に上達しません。何百年やってもムダ・無理です。(そういう人には必要ないのですね、最初から)
私見ですが、中学・高校・大学と“10年”も英語とツキアイながら、「THIS IS A PEN」以外に知らない(^_^)人間を、相も変わらず現在でも輩出し続けている原因の一つは、英語教育の最初に《ルールの違い》を説明しないからだ、と考えています。(“違い”を説明する場合に一番重要な“自らのルール”を確定出来ていないという情けない事情も根本で抱えていますが)
アメリカの人気NO.1スポーツであるアメフトは日本では全く人気がありません。興味のない人は「あんなモン、どこがオモシロイんだぁ」と言います。
現在では競馬場で“女性”を沢山見かけるようになりました。ましてや野球場など、特に“神宮”の最前列はSMAPのコンサートの光景と変わらない。
しかし少し前までは野球は女性陣の“敵”でした。(『くだばれヤンキース』というミュージカルを見れば、それが日本だけでなく、アメリカでもそうであったことが分かります)日本に於いて、女性が野球に興味を持ち始めたのは本当につい最近のことです。(平成になってから、と言ってもいいでしょう。その萌芽は60年代末の甲子園の“太田幸二ブーム”、次いで70年代の甲子園ギャルの急増にあります)
映画『シティー・スリッカーズ』で野球について熱狂的に語り合う男性陣に対して、同行の女性が感情的に突っかかるシーンがあります。
「何年のシリーズの誰が何をどうしたなんて、どうしてそんなに熱心になれるのか!」てな意味合いだったように記憶しています。(これは“男女”を語る上で興味深いシーンでしたヨ。更に、アメリカではこのような映画のシーンになる野球の話も、我が日本では“西鉄の逆転日本一”の話などをしても「古い!」の一言で片付けられてしまうことを、考えずに野球を見られる人は、手と手を合わせてシアワセ・ナムーの方々でウラヤマシイ限りです)
私の今回のテーマは“女性論”ではなく、「落語が分からない」も「アメフトも分からない」も結局は《ルールが分からない》に尽きるのではないか、ということです。
では。ルールはどうしたら分かるようになるのでしょうか。
「ルール・ブックを読めば分かる?」。
答えは“NO”。
これはパソコンにも当てはまり、全てのアレルギーの対象に成り得るものに共通します。
“アレルギー”体質の人というのは〈絶対に自分のルールを曲げない〉人なのです。更に極論すれば“全てを自分のルールで切り取らないと我慢ならないタイプ”です。
パソコン不適合で自殺者が出た、と新聞報道がありました。事の仔細は分かりませんが、「相手のルールが理解出来なかった」のではなく「自分のルールを押し付けるのに失敗した」という見方も出来ます。相手のルールに従うなら死んだ(=自分のルールを守る)方がマシだ、という考え方だったのでしょう。
ここからの話しを、特に日本の場合に限りましょう。
日本の場合、女性の社会進出は明治以降。参政権に至っては“戦後”ですから、本格的な社会進出の歴史はまだ“50年”と浅い。一方“男性”は、どこを起点にするかで数字は変わりますが、少なくても1000年以上の経験はある。(これは“優劣”の問題ではありませんヨ)
つまり、女性は社会的なルール(ア・ソ・ビを含む(^_^))に1000年以上も“直接的に”係わりあうことが少なかった、と。(女性を“縛る”ルールはありましたが)
野球場や競馬場(そして問題となっているパチンコ屋にも)“女性”が増えたことと“(女性の戦後の)社会進出”とは無縁ではないでしょう。彼女等は“面白い”ことが分かったのですヨ。つまり、“ルール”が分かった、と。(もっとも、その“分かり方”は男性のソレと解釈が違っているところもあるようです。“当然”、でしょうが)
では。彼女らは、どこかで“ルール・ブック”を読んだのか?
答えは“否”。
男性が教えたか?
“NO”です。昨今の男性は“女性にルールを教えようとして”以前の男尊女卑の構造を無意識に背中に抱えていることを女性に見抜かれている。
女性は、頼りない男性に手ほどきを受けるなどというまどろっこしい手法は取りません。“直接”参加したのです。
参加しているうちに“ルールを理解”した、と。
これ以上このテーマを追いかけていると、これだけで100MB行ってしまいますからここで止めます。
つまり“とっかかり”が分かるには“参加”は不可欠。
『参加なしに 理解なし』
“とっかかり”の説明の枕詞が《そもそも》です。そして《そもそも》とはルール説明に他なりません。
この《細野・大瀧対談》の今回のテーマは“そもそも”でした。
因みに“ルール”とは、“決まり・規則”という面だけでなく美観も伴います。これがルール・ブックでは分からないところなのです。
パソコンでも“取説”を読んで逆に分かりにくくなる、ということが頻繁にあります。(翻訳家が、とあるパソコン・メーカーに呼ばれて、「どうして我社の取説は分かりにくいのか?」と聞かれたそうです。作っている側が分からないものを、垂れ流しにしているのですから、問題は“厚生省”だけではないことが分かります。これの殆どは直訳の悲劇です)
『直訳の悲劇』は何も“文字の翻訳”だけに限りません。落語の『角力風景』の枕に、親方が「いいか。お前達の欲しい“金・女・出世”は、全部この土俵の中にある。稽古に精進しろ」と言うと、その晩土俵を掘ったヤツがいる、というのがあります。(“ナイアガラ格言”も往々にしてこのような捉えられ方をするケースがあるようです)
“字面”ではなく、中味。更にはその背後の“美観”。この理解なしに“理解したつもり”になるのは、何も知らないよりも悪い事になります。(『中途半端は大ケガのもと』)
二人の対談の冒頭にこういうのがあります。
(細)「ポップスをやれっていうんでね」
(大)「誰が?」
(細)「自分で(笑)」
(大)「わかりにくい会話やめてよ」
これが“コント”なら、細野さんの「自分で」の後に“チャンチャン”となって場面転換、というのがパターンです。「わかりにくい会話やめてよ」の後に(笑)マークは省略されています。
この私のセリフは本来なら不必要ですが、対談で話しを続ける意味合いと、 もう一つ“含み”があります。
細野さんは私同様ジョーク好きで、このようなオチのある言い回し が大好きです。同じ会話でも、次のように書かれたらどうでしょうか?
(細)「ポップスをやれっていうんでね」
(大)「誰が?」
(細)「自分で」
この後に「細野氏は最近自らの心の中で“ポップスをやれ”という言葉が響き、その衝動を素直に受け入れて創作活動に取り組んでいる」。
なーんて、それが事実にしても、この調子で書かれると何やら“神秘性”が強調された文となります。
同じ内容の会話でも“チャンチャン”のコント風にもなり、書き方によっては“神秘的”なものにもなるのです。
「わかりにくい会話やめてよ(笑)」という私のツッコミは、このような会話は受け手によってどのようにでもなる、という意味で“敢えて”発言したものです。
すると細野さんは「いや。そもそもは...」と来ました。ルール(美観)の説明です。
ここで私が一種の“遮り”を行なっているのは“話術”の一つの手法です。単なる遮りではありません。(熱狂的な細野ファンは「大瀧は出しゃばりだ!」と怒るところです)
『パペポ』で上岡さんが何かについて喋ろうとすると鶴瓶さんが“遮り”ます。これは“話しを長くする”テクニックなのです。それと〈そもそも〉は説明ですから「あー、なるほど」で“話しが終わってしまう”ケースが多い。その〈そもそも〉を“広げる”意味合いでのエサを蒔き散らしておく必要があります。その意味での“遮り”です。(もっとも『パペポ』では、鶴瓶さんが持って行ったまま上岡さんに返さないケースが頻繁にあるようですが)
さて、私の“遮り”で出した《女性論》ですが、これは次号で、偶然にも細野さんが出すテーマの予告編となっているのです。(まさにこれぞ“以心伝心・酒のカン 嫁後持たせにゃ働かん”ですワ)
但し、私がここで言っている《女性論》は、異常にカリカチュアライズした言い回しであって、この“言葉だけ”で言い切れているものではなく、裏の意味もあることを、もし女性の読者が一人でもおられるようでしたら御理解下さい。
さて、一応の遮りが終わった私は「で“そもそも”何だっけ?」と細野さんにシッカリ“お返し”をしています。ここが“分かって遮った”ことの証明です。
すると細野さんは「そう。“そもそも”はもう止めようと思ってずっとやって来たわけ」と来ました。(「そもそも」と始めて「もう“そもそも”はやめようと思った」には笑わずにはいられませんが、この形式は細野さんの“得意芸”です)
ナゼそう思ったか?に関しては次号で明らかになりますが、私は話しを広げるために《もう止めよう》をキーワードに取ります。(ま、見た目は更なる話の筋曲げですが、実は同じ筋なのです、コレが)
ここからはお互いの“ツッコミ芸”の展開となります。実に“テンポ”がいい。我ながら今読んでもおかしい所は、
(大)「何かキッカケがあるんでしょ?」
(細)「あるんだろうね。いいよ、聞かなくて」
(大)「隠すなヨ(笑)」
(細)「語るのも面倒くさいほうだから」
「あるんでしょ?」「いいよ、聞かなくて」「隠すなヨ」など完璧に漫才の呼吸。ナイアガラ・ファンなら『新春放談』での“山下-大瀧コンビ”の呼吸はお馴染みでしょう。この時は山下君がツッコミで私が“ボケ”という役回りですが、“細野-大瀧”となりますと私がツッコミで細野さんがボケとなります。(ワタシは両方イケル、ということです。(^^ゞ)
この“役回り”は日本型年功序列が底辺にあることは否定しませんが、その人の“持ち味”にも大いに関係があります。
このコーナーの中に「だいぶ落語家みたいになって来たな」という細野さんの一言があります。
これはナイアガラーには少し“意外”な発言に思われるかもしれません。
これは細野さんと私の“つきあい”というのが〈はっぴいえんど〉期間中で、このバンドでは野球・相撲(を代表とするスポーツ)、そして落語など、話題になったことがビタ一文!なかったことが背景にあります。
〈はっぴいえんど〉をイメージの“中心”に据えている人には《大瀧=落語》のイメージは“意外”であり、人によっては“理解不能”のところではないかと思われます。
お互い“落語好き”であったことは分かっていましたが、三平や痴楽の話しをしたのは今回が初めてでしたから、いかに“そのような”話題が少ないバンド(=時代)であったかが、このエピソードでお分かり頂けるのではないでしょうか。
細野さんは(以前よりも更に私が)落語家の様相を呈して来た、と感想を述べていますが、確かに昨今、私はその傾向を強めよう!という意識があることは事実です。(と言って、高田文夫さんのように高座に上がるほどの力量は持ち合わせておりません)
後半の“丁々発止”も楽しいですね。なかなかの“大相撲”です。(^_^)
ここでの『細野 VS 大瀧』を《絶対 VS 相対》と捉えて見て下さい。(あるいは「キリスト教 VS 八百万教」(^_^)。細野さんは立教ですからネ(^_^)。具体的な“宗教”そのものではなく、考え方の構造という意味で宗教名を出しただけですヨ)
この“構造”はですね、言い合うと終わりがないのですヨ。(宗教戦争に“真の終結”がないように)延々と続きます。
故にですね。面白い落語や漫才(笑いに関連したもの)はこの“構造”を“使う”のです。(この構造で出来ている)
細野さんの「例えを辿ると、例えが面白くなって本質が見えなくなる」という発言があります。
“絶対者”を“相対者”が絡む。(この“相対者”を“トリック・スター”と言う、なんてとあるところで以前少し流行しましたナぁ)これはいろいろなお話の基本構造です。
“笑い”を理解しているとは、この“構造”が身についているということです。(それを“不条理”などという言葉を大上段に振りかぶって使わなければならなかった70年代初期は、私には苦しい時代でした。もっとも、未だにこの“70年代的なるもの”の“マジメ攻撃”には時々会いますがネ)
“これ”が分かっている人で、話しが出来る人は少なくなりました。(最初からそうはいなかった、というのも事実ですが)
今回は実に久々楽しい対談でした。来月も更に面白く展開します。
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