ジャイアンツ考 (2002.10.31)
そうか。『四連勝考』って、四試合目が始る“前”に書いたんだけど、“たまに”アクセスした人はそう思わなかった人もいるみたいだね。(でも、逐一アクセスして読んでくれた方がいたみたいだから証人は多いと思っています)
“勝ったから”ということでグダグダ書くのもミットモナイ ので最後はああいうカタチにしましたが。
少し“総括”をすると、初戦の“勝ち”を見た時に「これは “四連勝”もあり得ます」と書きました。この時に、ワタシ はもう《巨人ファン》を休業したと思っていたのに、ファンとして“やり残した”ことがあることに気づいたのです!
それが《日本シリーズ・四連勝》。
あ!これを今まで経験していなかった!と。スッカリ忘れておりました。(なぜ“これ”を忘れるに至ったかは後述)
そして、“やられた”二度の想い出が甦って来た!あ、「借りを返すのはこの時!」と。(今となっては、来年も《四連勝》して二度やられた“お返し”をして欲しい、とまで思うようになりました)
そして、「長嶋論ナイアガラ風味」の時の《長嶋ファンであって“巨人”ファンではない》、というのを思い出しました。
なぜ試合開始“前”まで《四連勝》を思うこと“すら”しなかったのか。
これは1975年以降の“弱い巨人”とつき合わされて来て“染み込んで”いたんですね、負け犬根性。
特に80年代からの「西武は“強い”」イメージに、どれだけ毒されて来たか。(これはパ・リーグ側が「V9からの脱出」にどれだけ苦しんだか、ということでもあるんですね。今、ようやく分かりました)
「まさか(あの弱い)巨人が、西武を四タテするようなことは夢にもあるまい」と、殆どの人が思っていた。(一戦目の勝利の後で“四連勝”を言っている人はメディアではいなかったのでは?言ったとしても“予想”ではなく、ファンの“願望”でしかないですからね、所詮)
ワタシは《一戦目》を見た時に、「今年は75年からの“見慣れた”巨人ではない!」と強く感じたのです。投打のバランス、有機的な繋がり。“強い”と言われていたV9以前の巨人(それ以上の強さ)がそこにありました。(もちろん私とて“四連勝”は《予想》ではなく“願望”であり“悲願”だったのですね。“悲願”が気がつかないというのがウカツでしたが、なぜ今年“願望”するに至ったかを、ファン歴44年分かけて説明したのでした)
工藤のFAの時にも以前書きましたが、この投手は私は以前から非常に評価していますし、2000年のダイエーとのシリーズで高橋尚の好投を予言したワタシですから、工藤・高橋尚の“勝ち”は想定済みでした。
だから二戦目の“桑田”次第、と書きましたし、勝利後は「もはや敵は西武ではなく“油断”だ」と冒頭に書きました。
“流れ”や“勢い”などという曖昧な(言う人に都合のいい)言葉ではない、真の“強さ”を感じたのです。(44年も見て来ているんですからポップスよりもツキアイは古いのです)
そして途中で、それまでの長嶋(殿様)制度が“終った”(終らせよう!)と、思いました。(《子供》時代との決別、ですね)
「長嶋ファンであり巨人ファンではない」を変更し、
《ジャイアンツ・ファン》
であることを、宣言ではなく、“確認”してしまったのです。
原さんの“ジャイアンツ愛”って、異常に“深かった”のですね。ワタクシ、それに気づかなかったことを恥じております。
“読売”巨人軍となった時に「我々は“巨人”ファンであり、“読売”ファンではない!」という横断幕がありました。
熱狂的なアンチ巨人で、東京出身の人で、「田舎チームの巨人が“東京”をつけるのは許さん!」と言う人が実際にいます。
あるいはNYジャイアンツの関係者から“Tokyo Giants”と命名されたのは“押しつけ憲法”みたいで許せん!という国粋的な方もおられるかもしれない。
原さんの《ジャイアンツ・愛》の“ジャイアンツ”って、これらの枠の“外”というか全部を“越えた”ものですよね。
“読売”で“ない”とは言ってない。(当然です。経営母体ですからね)“東京”もついていない。GIANTSいう英語でもない。
《ジャイアンツ》
なんですナ。こりゃ深かった。(“片仮名”も日本語ですからね(笑))
長嶋も王のみならず、藤田も川上も、水原・三原、中島・藤本、全部入っちゃうからね。こりゃスゴイ。
長嶋さんの《“我が”巨人軍》も“なかなか”でしたけどね。
“我が”巨人軍
永久に不滅なのは“ヨミウリ”巨人でも“東京”巨人でも“ジャイアンツ”でもないんだよね。長嶋さんは《我が巨人軍》なんだ。(“MY”巨人、ね。みうらじゅんさんの“マイ”ブームと同じ。個人的に“永久不滅”を言うぶんには何の文句もないからね。世の中の人は、特にアンチは、「何が永久不滅だ!」と吠えていましたが)
70年代は“MY”がブームで、“マイ・ホーム”“マイ・カー”ね。「“私の”城下町」。(みんなの城下町、じゃないんだからね)そして勝新さんが歌う「“マイ”ウエイ」ね。(笑)
なんでもMY(我が)の時代だった。(《“君が”巨人軍》じゃなくて良かったケドね)
で。
原さんは、これまでの“MY(我が)ブーム”を終らせて《ジャイアンツ》と普遍的なものに“高めた”んですね。(エライ!)
ワタシは“こう”捉えたので《長嶋茂雄時代》を終りにしよう!と、書いたのです。(別に“長嶋ファン”をやめる、とか、“ファン”であったことの自己批判でも、何でもないのです)
この《四連勝》で“マイ”時代が終りました。(みうらじゅんさんといとうせいこうさんのGIGも、武道館からハワイ公演となる時代ですからね。《マイ・ブーム》という名の“公の小ブーム”ですね。じゅんさんの“師匠”糸井重里さんの名言、「“無印”という名のブランド」的でもありますナ)
原さんが“提唱”したところの《ジャイアンツ》、ワタシもそれの“(前からの)ファン”であることを、初戦で思い起こさせてくれて、結末の四連勝で“確認”したのでありました。
(明治時代なら“君が巨人”、水原さんの占領時代は“Tokyo Giants”、高度成長期では“巨人・大鵬・たまごやき”と一緒にされて、長嶋さんで“我が巨人軍”、そして原さんで“ジャイアンツ”)