Wシリーズ第二戦 (2002.10.21)
チカリタびー。“ダレ場”がなくて中味が濃い。どっちを持ってるわけじゃないのにこんなに疲れるんじゃ、贔屓が出た時はカラダが持たないネ。マイッタよ。
お互いの“ギリギリ”の勝負というのはいいですね。見応えがある。「あーだ、こーだ」とか無意味なコメントを挟む余地など全くありません。
特に(日本人のカイセツ者が得意な)“因果”を求めるカイセツは(このような高度な戦いには)本当に無意味です。(こちらの集中力を阻害します)
「メジャーは大味でツマラナイ」という言われ方って、「“悲しい酒”は“ルイ・ルイ”よりも感情的で複雑な表現だ」「ルイ・ルイはただ単純な繰り返しで面白くない」ということに似ている気がしますね。
「ルイ・ルイ」とは“ロックン・ロール”や“ノベルティー・タイプ”の曲という意味合いの代表例として取り上げた楽曲ですが、メジャー野球はやっぱり《ロック》です。歌謡曲(今は“演歌”といった方がわかりやすいか)ではない。
“日本型カイセツ”って、いわば《演歌的》なんですナ。だから途中途中でイチイチ因果を求める。「追いつかれた直後に追加点を取ったからいい」とか「走塁ミスがあったから流れが悪くなった」とか。
ところが、今日の試合でもそうでしたが、メジャー野球はその種の《因果律》通りの展開とはならない場合が多い。“ロック”というのは演歌のような《起承転結》ではなく、一回一回アイソレート(絶縁・隔離・遊離・分離)された展開が可能な構造を持っています。(J・ブラウンのように“同じ事”を「これでもか!これでもか!」と何度も繰り返すというパターンもあります)
演歌型の《流れに拘る(気にする)》《マイナス面を大きく捉える》野球は“ひ弱”な印象を受けます。(英語で言うところの“ナイーブ”)
「こちらに流れが来ました」「あちらに流れが行きました」なんて、要するに“起きたこと(結果)”にただ反応しているだけなんだよね。
勝負は“最後”までどうなるかワカランもの!《失敗の指摘》なんて誰でも出来る。そんなものカイセツでもなんでもない。相手のあるスポーツは点を取られてしまったら“取り返す”しかない。《次の展開》を予想したり考えたりする方が建設的です。(演歌カイセツから逃れたくて“メジャー”見るようになったのに・・・)
今日の白眉はやはり《対ボンズ!》。(やっぱり今回のシリーズは“これ”ですね)
第一戦で「やっぱりボンズは打つ!」と分かったので今日は《3四球》。最初の試合で“勝負”してみて、その現実を見てから対処したソーシアはさすが“プロ”の監督!(必要以上に脅えたりはしないし、無防備に見くびったりもしない)
そして弱冠二十歳の“恐いもの知らず”フランシスコ・ロドリゲス!同点でボンズを迎えて勝負!勝ち越しホームランの恐さはありましたが、まだ二戦目です。これからボンズとの対戦はまだまだある。最初の戦いから“逃げる”わけには行かない!(結果はファースト・ゴロでフランシスコの勝ち。この“強気”がエジソン球場を更に盛り上げました。「あそこでもし打たれて二連敗となったらどうするんだ!」なんて言う人もいるかもしれませんねぇ・・・。でもね、弱気では結局最後は《負け》るんだよ、その場だけ凌いでも。あそこが今回シリーズでエンジェルスが「互角になる分水嶺」だったんです)
更に最終回。抑えのパーシバルが登場。打たれてもまだ一点差があるのでボンズと勝負!(このシリーズでは最初の対決。よって最初から“逃げる”わけにはいかない)
しっかりとホームラン!!!(スゴイね、ボンズ。いくら真ん中だとか何とか言ってもサ、よく打つよ!あの場面で)
歩かし3回。強気勝負2回。(内、1本塁打)
そしてホームチームの勝ち。
いいじゃない!爽快感がある!
(恐れない。見くびらない。“負け”の確率は高くても“勝負”せざるを得ない場面では勇気を持って臨む。試合前に掲げた『対ボンズ』のテーマは続いています)
P.S.
今日は“コービー(レイカーズ)”が来てたね!