花のサンフランシスコ (2002.10.24)
サンティアゴの“涙の適時打”でSFがタイに持ち込みました。(名寄岩の“涙の敢闘賞”みたいでした)
勝ち越し打は前マリナーズの《ベル選手》でしたが、その前に彼は“大暴走”をしていましたね。あちらのコメンタリーも大非難していましたが星野監督なら間違いなく“殴って”いたでしょう(笑)。
メジャーを見るようになってからまだ2年ですが、あのような“暴走”は頻繁に見かけます。今日のベルの場合はレフトのGアンダーソンがこの球場に不慣れであるということからレフト線に飛んだら最初から二塁を狙う!と決めていたような走塁でした。
このような《暴走》を“擁護”するひとは、日本の野球ファンには一人もいないでしょうし、メジャー・ファンでも90%は非難するでしょう。(たまーに、あんなプレイでも「よくトライした」という風に拍手で迎えるファンも時々見かけます)
よく“暴走”でアウトになると、カイセツ者が「これが相手に流れを渡すんですよねぇ」なんてしたり顔で言っている場面を今までに何度も見ました。
もし、ですよ。この“暴走”が相手に好影響を与えた、という《因果》が“成立”するとしたら、例えば、今日の決勝打は、「あのような誰が見ても“無謀”と思える過剰なるアグレッシブネスが、他の選手では成功し難い《究極の場面》でのヒットを生む原因となっている」という“因果”は成立しないのでしょうか?(もちろん、ワタシは、どちらにもそのような《因果》などは“ない”という結論を持っていますよ。“関連性”、は確実にあると思いますが《因果》は“証明不可能”です)
でも、あのテの《暴走》が1000%非難されるワリには、その直後の《取りかえし》に関しての少しの“因果”も語られることはありませんよね。(ノーベル賞を取るような人の“実験成功”の可能性の低さから比べれば、あのベルの暴走はかなり成功率が“高い”、といえるでしょう(笑))
ソーシア監督の“徹底した”ボンズ対策のおかげで、全部その“責任”が5番のサンティアゴにのしかかりました。レギュラー捕手であり、チームの要の選手ですからヒットが出ないからといって出さないわけにはいかない。では「打順を下げたらどうか」という意見は“かなり”あったでしょうが、それでもベーカー監督は(期待して、あるいは止むを得ず)そのままにしておいた。
今日は“たまたま”そういう結果になってしまいましたが、「ダメだから代える」ではなく、ダメな(失敗をした)選手“だから”次に期待する、というのも戦法の一つです。(もちろん、その選手が基本的な力量を備えていることが前提ですが)
よく日本でもその選手(投手)と“心中だ!”なんて言いますが、意気込みだけで結局は代えてしまうケースが多い。(今年の巨人は、特に桑田や工藤のベテランでもなかなか代えませんでしたよね。これが長期レースに勝った原因の一つでした)
結果が出ない時に“すぐに”代えてしまうと、その選手の《耐久力》や《自然治癒力》を生成させるチャンスを奪うんですね。“取っ替え引っ換え”が大好きな監督が長期的に勝てるチームが作れないのはこれが原因です。
“あの”《フランシスコ》がまた出て来て、それまで三敬遠のボンズと勝負!またまたファースト・ゴロに斬って取りました。(《K-ROD》というニックネームにしようとしているみたいですね。フランシスコを見ているとワタシはヤクルトの“五十嵐亮太”君がダブって来ます)
しかし、問題はこのK-RODが“ランナーを出した時”でしたね。スライド・ステップ(クイック・モーション)はまだまだ出来ていない。そのせいもあってかボールのキレが低下するようです。これからは短いイニングしか使わなくなるかもしれません。(ランナーが出たら代える、とかね)
さてこれで“イーブン”です。どうなるんでショ。(タノシミ)