ロール 03 : 『明日は咲こう花咲こう』 (2002.9.14)
ロール 03 : 『明日は咲こう花咲こう』 (2002.9.14)
今週発売の週刊文春・小林信彦コラム225回『「青い山脈」とハムレット』を興味深く読みました。(私も『相撲館』で“シェークスピア”という名前を出したばかりだったので、何となく驚いてしまいました)
まず「青い山脈」(東宝・1949)が“忠臣蔵”だった、というハナシ。うーむ。さすがに藤本真澄!
そして《忠臣蔵》と“ハムレット”に共通点が多い、と。(扇田昭彦さんの説)
なるほどねぇ。「青い山脈」は“復讐劇”だったのか。(笑)いや、そういわれてみれば確かに・・・。
このように《構造の類似》というのは眼力のある人しか見抜けませんね。巷によくある「アレとアレが似ている」調のハナシの殆どは“木を見て森を見ず”。枝葉末節にとらわれた的外れのものが多い。
このような“大きな”見地に立ったモノの見方というのは非常に参考になります。(“目からウロコ”というのが、聞いたり読んだりした時の最大の感動であり喜びですからね)
さて、その「青い山脈」、昨今のヤスヲちゃんの“長野騒動”にソックリだ!というのが小林さんの説。
東宝版の《悪玉の顔》があまりにも“らし過ぎ”で、今リメイクしようとしてもあのような顔を揃えることは不可能であろう、と書いてありました。(長野の“県政会”の方々に特別出演して頂いたらどうでしょうか(笑))
私がリアルタイムで見た「青い山脈」は“吉永小百合”版(1963:西河克己)で、中学二年の冬でした。確か学校が推薦したような、あるいは担任の勧めだったか、どちらにしても“日活ファン”でしたので喜んで見に行きました。(PTA会長の役は三島雅夫でしたね)
丁度「寒い朝」の歌が大ヒットしていた時で、当時住んでいたのが北国でしたから、登校時には“寒い朝”のメロディーを(吉幾三さんの歌のように(笑))無意識で口ずさんでいたものでした。
洋楽漬けの頃でしたが、なぜかこの歌は入って来たんですね。未だにあの曲を聞くと“中学二年生”の登校時の“朝”を思い出します。《歌のメモリー効果》というのは凄いものですね。(リチウム電池よりは遥かに効果があります(笑)。中二・中三が自分の人生で“BEST YEAR”でした。エルヴィス もスペクターもビーチボーイズもフォーシーズンズも、全部この時期でしたから)
我々は“赤胴鈴之助世代”であり“まぼろし探偵世代”であります。それらは《吉永小百合》抜きで語ることはできません。ご承知の通り、千葉周作の娘が“さゆり”でそれを芸名とした。《真空斬り》を毎日練習していたワタシにとって“さゆり”が他人のワケがありません!まさに小百合さんは我々世代の“マドンナ”なのです。
そのサユリちゃん主演の『明日は咲こう花咲こう』は65年の8月公開の映画だったようです。(ヒット曲の映画化。当時は未見)
これを最近見たのですが、これもまた“長野騒動”に似てました。(他にも結構ありそうですけどね、このタイプの映画は)
場所は、言葉の“語尾”に「・・・ずら」が何度も出て来ましたから静岡あたりの設定なのだと思いますが、保健婦の小百合さんが小さな村に赴任してイジメに会いながらも不正と戦い民主化していくというストーリーでした。村では“合併派”と“観光派”が争っている。お互いが保健婦を我が派に利用しようとする。そこに“赤痢”が発生。それを小百合さんが知るが村役連中から“大腸カタル”とごまかせと迫られる。しかし“赤痢”であることを村人が知ると、逆に『赤痢対策本部』を作って、隠蔽していたのは小百合さんの方であるという情報操作をしようとする。(等々)
イジメられ方(若い身空で“産児制限”の講習会を強要させられたり)と、孤軍奮闘で戦う“小百合さん”の姿がヤスヲちゃんを思い出させるものがありました。
この映画の“悪人達”です。伊藤雄之助、花沢徳衛、金子信雄。東宝版ほど憎らしげには見えませんが“それなり”の味を出していましたよ。花沢は“悪役”としては迫力不足ですが“村役”としては適役。それにしても《伊藤雄之助》はどんな映画に出て来ても“ブキミ”です。(笑)(インチキ宗教の親玉という設定。一昨年、詐欺罪で捕まった“長髪”のお方を思い出しました)
(“中尾彬”と初共演だったのですねぇ。中尾さんはデビューが旭さんの「夢がいっぱい暴れん坊」で銀座の若旦那衆の一人。続く「歌う暴れん坊」にも出ていました)
P.S.
下の画像ですが、誰に見えます?
もちろんこの映画での“小百合”さんなのですが、これ、どこか“広末涼子”に似てないでしょうか?(似ている、似ていない、というのは“個人”によって全く違うんですよね。それはその人の中にどのような《類型》が入っているか、によって違って来ます。「似ている」が合う人とい うのはその“類型”のストックに共通性が多いということです)
若い人達に「これ、ヒロスエだよ」と見せたら殆どの人は疑わないと思われます。
小百合さんのデビュー作「朝を呼ぶ口笛」のセーラー服姿はこれよりももっとヒロスエを感じてしまいました。ワタクシ。
多少は共通性があったように思いますが“どこか”で踏み外した感じですね。竹内まりやさんの曲を歌っているあたりまでは良かったように思いましたが・・・。
ま、別にヒロスエのことはどうでもいいんです。ただ《アイドル》というものも、どこか以前の人の要素を含んで登場して来る、ということです。(意識的であったり無意識的であったり、また一人ということではなく数人が“複合”されています。単に“顔”だけでなく《構造》が類似しているケースもあります。これは《人間》に限った話しではなく《作品》に於いても同じ事が言えます)
しかし小百合さんのようにKEEPしている人は他にいませんね!“美貌”は言うに及ばず、《精神》を未だにKEEPし続けているところが小百合さんの“違う”ところです。(“千葉周作”の娘ですから違って当然ですが(笑))これは後続の誰もが抜けないところでしょう。
蛇足ですが、こうは言うものの、最初に好きになった日活の女優さんは“芦川いづみ”さんでした。あの清楚な魅力に惹かれたのですが、やっぱり幼かったので“年上”への憧れがあったのでしょうね。
お姉さんが“いづみ”、マドンナが“小百合”、友達なら“笹森礼子”、恋人なら“清水まゆみ”、というのが当時の日活女優観でした。(汗)(同世代ならこのパターンが多かったのでは?)
もちろんこれは“日本人なら”ということで、外国の女優さんはまた別です。また当時は映画よりも《歌》でしたから“ガール・シンガー”が一番のアイドルでした。守備範囲は“広かった”、というべきでしょうか。(再汗)
あれだけアキラ映画を見ていたのですが、不思議に《ルリ子》さんの“女性”としての印象が薄くて、『東京の暴れん坊』で再認識して以来、昔の映画を見たら今度は「ルリ子がイチバン!」となってしまったのでした。(笑)デビューの頃なんかゾクゾクするほどの“可愛いさ”です!この世のものではないですね。まさに“妖精”。(そうか。だから以前は“女性”を感じなかったのかもしれません。どちらにしても自分のその時々の《年齢》に大きく関係がありますね、俳優さんへの思いというものは。映画再見のタノシミは“そういうところ”にも、あります)
(2002.9.14)