ナイアガラ・ガラクタ・スプラッシュ (Splash 21 - 25)
ナイアガラ・ガラクタ・スプラッシュ (Splash 21 - 25)
Splash 21: インターネットマニア11月号《アミーゴ・ガレージ》巻頭特集(1996.9.25)
“巻頭”ですヨ、“巻頭”!!!何百年ぶりだろうか!
しかし、私を巻頭にするということは、よほど他にネタがないということだろう。(^_^)私を特集すると廃刊するというジンクスがある。近い所では昨年の北中君インタビューの『サンレコ』。(取材の最中も“廃刊”の話題をしていた)《普動説》を発表した『03』。(これも取材の時に「絶対廃刊になるな」と話していた)《分母分子論》を発表した『シンプ・ジャーナル』。
この『インターネットマニア』の廃刊も、そう遠い将来ではないでしょう。(^_^)(白夜書房では私のお気に入りの『ビデオ・ファン』も2年ぐらいで廃刊になったし)
ま。特集されて「この本は廃刊になる」なんて書くのも、地球上ではワタシぐらいなものでしょう。(これくらいの“軽口”を叩ける間柄だ、と理解して下さい)
さて、巻頭の巻頭のゴム版画はナンシー関さんによるものです。(彼女には高田文夫さんのサンデー毎日の連載の時にもお世話になりました)
さすがにナイアガラー揃いの白夜書房。(と言っても二人ぐらいだが)レイアウトもなかなかに“分かっている”作りですし、白夜調のイカガワシイ匂いもそこはかとなくある。
私のばやい、まとまった“本”というのを出したことがありません。『ALL ABOUT NIAGARA』も本来はボックス・セットの附録。『03』も雑誌。『ゴー・ゴー・ナイアガラ』は新譜ジャーナルの別冊。(これ、神田のとある古本屋では35,000もするそうです。この『インターネットマニア』も今買っておけばそのうち“売れる”カモよ(;_;))
もちろん『ALL ABOUT NIAGARA 2』という企画はありますが、これらの雑誌を全て購入すれば、自分で作れるワケですから、滅多に出ないながらも時々出る出版物を注意深く探せば一足先に“私家版”は出来るハズです。(もっとも、この《アミーゴ・ガレージ》がソレを、あるいはソレ以上を、実現しているとも言えます)
さて、こんなに活字を小さくしても全原稿の半分で、残りは白夜書房のホームページで見てくれ、と最後に書いてあります。(白夜ホームページのアドレスは表紙にあります。が、他のコーナーが面白くなって、そんなものなどドーデモよくなる危険性が、男性にはあるカモよ)
Splash 22: エスクワイア11月号~富士山を山梨側から見るように エスクワイア『ホソノ・アワー(6)』を大瀧側から読む(1996.10.6)
前回よりは“真面目に”(これでも(;_;))話していますね。
〈B面〉の話のところですが、「B面が全然通じないヤツがいる」と言ったのは“若者”のことではなく「同年代でそういう人間がいる」という意味だったのです。(若者がB面を知らないことにまで意義を申し立てるホドのわからず屋ではありませんよ、ワタシは)
この《B面話し》はその前段のジョニーとハリケーンズの「「レッド・リバー・ロック」のB面「バック・アイ」を良く聞いたなー」という話で二人で盛り上がり細野さんがその“B面”からかけた。そこで私の「B面って言えば・・・」という話になったのです。
我々昭和22・3年生まれを“団塊の世代”と堺屋太一(だったよね、確か)が名づけました。そしてあのビートルズが世界的に大流行し始めたのが1964年で、 この世代は丁度中学・高校生でした。そういうめぐり合せから我々はビートルズ世代などとも呼ばれているワケです。
ところが、当時をリアル・タイムで実感した者として、日本ではビートルズ・デビューから1・2年間はそれほどのブームでもなく、むしろベンチャーズのエレキ の方が全国を席捲していました。(『青春デンデケデケ』が当時の雰囲気を正確に伝えています)
私と“同年代”の人で「私もビートルズ世代ですから、当時からポップスを聞いておりました」と言う人にお目にかかるケースがあります。ところがB面の話しをしても盛り上がらない。理由を聞くと、「実はビートルズを聞いたのは流行り出してから数年後のことで」。ナルホド、それではB面に想い出がないのは当然だね、となります。つまり“ビートルズ世代”と一括して呼ばれてはいますがその音楽体験にはかなりの大きな差異があるのです。
“比喩的”に考えるなら、音楽に限らず、《リアルタイムの証明》というのは「B面を知っているか」がキー・ワードとして使える、ということではないでしょうか。これは以前に小林信彦さんも書いておられましたが、例えばあの《三浦事件》の報道のスザマシさなど、リアルタイムで見た人しかその“実感”は分かりませんよね。あのマスコミの狂乱ぶりの“実感”を伝えるのはムズカシイ。
こういう意味で、あの当時のマスコミ報道を肌身で知っている、というのが「B面をくり返し聞いた」という実感に似ているのではないか?と思った次第です。 (飽くまでも“比喩”ですヨ。別にシングルのB面を知っているヤツがエライなどということではないですからネ)
そういう背景から「B面が楽しかったと(細野さんのように)語り合う人間がいない(少ない)」というのが、私のこの発言の真意で、「B面を知らないヤツに音楽を語る資格がない」などというニュアンスはビタ一文ないのです。
しかし、この文章は〈年寄りが若者に“苦言”を呈している〉風に読まれてしまうでしょうね。(こういうところから“うるさがた”というようなイメージが形成されている、と思うのはワタシのヒガミなんでしょうか?(^_^))
細野さんの「シングル盤が大切だという感じはいまだに気持ちの中にある」というのはナカナカに深いセリフです。(と言うと「そうか。今からエ○セ○ラへ行って大枚はたいてシングル“盤”買いに行こう!」と椅子から立ち上がるのはレコモハ・能地さん???なワケはありません。(^_-))
この《1曲中心主義》というのは、尻馬に乗って書きますが、タワシもそうです。
松田聖子『風立ちぬ』、森進一『冬のリビエラ』、小林旭『熱き心に』、小泉今日子『快盗ルビー』。これらの“B面”は私の曲でもないしプロデユースでもなく、全く“別”のものです。(私のバヤイ、いつもこれらの楽曲しか出て来ませんが、売れたものだけを列挙したのではなく、“シングルとしての書き下ろし”は実際これぐらいしかないのです)
蛇足ながら、シングル盤の著作権印税というのは、A面と全く関係のない人がB面を作った場合、そのB面の作者にA面と同じ額の印税が入るのです。ですから大抵の場合はAB面共同じ作家か、あるいは同じ出版社・関係者となっているのが通常です。(以前は“徒弟制度”があり、大作家のB面を弟子が書くと言う、いわゆる“B面作家”と呼ばれる人達が存在しました。今なら“T・KOMURO”のB面に採用されれば、アナタでも来年は億万長者になれる、ということです。但し“税金”だけはシッカリと払うことを忘れないようにネ)
せっかく苦労して作品を作り、同じ“分け前”を何の関係もない他人に取られるというのは、普通に考えれば、あまりイイ感じのものではないでしょう。
私のバヤイ、別にそれが“太っ腹”とかいうのではなく、A面と同じ分け前であるB面を“放棄”するほど「“本当に”1曲しか出来なかった」ということなんです。一曲の密度が濃いとか全霊を打ち込んだなどというカッコよいものでもなく、単純に「1曲しか出来なかった」。
細野さんも似てるんですヨね。(向こうが先に生まれていて、年齢はどうも追い越せそうにないので「私が細野さんに似ている」と言うべきなんでしょうが)“1曲づつ考えて行くタイプ”なんです。これはドーナツ盤全盛時代に青春を送ったことと、性格的なものが合成されて出来上がったもので、一朝一夕で変化のするハズのものではないと思われます。(お互い内心ではソレを楽しんでいますしネ(^_^))
続いて、お定まりの『ニュー・アルバム』の話題が出てまいりました。
細野さんも“大人”になりました。(^_^)シッカリと自分が“ホスト役”である
ことを忘れずにいたのです。(^_^)
お正月恒例の山下君との『新春放談』では、もはやこのネタなしでは盛り上がらないところまで来てしまいました。『新春放談』というより『山下達郎の大瀧詠一・ニュー・アルバム・ツッコミ大会』と番組名を変えた方がよいのではないか、と思えるほどです。(^_^)
『新春放談』に於る山下・大瀧コンビのニューアルバム・ネタというのは、もう 漫才なんですね。内容には全く意味がない。片方がツッコむ、片方がボケる。たまたま私が音楽活動を休止しているので、それが“格好の材料”になっているだけです。(また執拗にあのニイチャンも続けるんだよ、このネタ(^_^)。ま「くり返しは笑いの基本である」と星セントも言ってますから仕方ありませんが)
さて前回の『ホソノ・アワーを楽しむ法』で「なかなか“活字”で雰囲気を伝えるのはムズカシイ」と書きました。それの証明のようなハナシが飛び込んで来ました。前回の『エスクワイヤ』誌を読んだファンの方で「大瀧氏しきりに“やる気がない”“面倒くさい”“曲が書けない”、しまいにゃ“このままじっとしてたい”などとボヤキまくってました」と解釈した人がいたというのです。
イチイチ個別な例を挙げて非難するつもりはありませんが、少なくても「曲が書けない」とは細野さんの発言で、更にワタシは“ボヤキまくったり”などビタ一文していないんですケドね。(多分この人は“立ち読み”したので、発言者を混同したり、深い意味まで読み取れなかったのでしょう)
または、ああいう“言い回し”は、笑いの素養のない人には、本当にボヤいているように聞こえるのかもしれませんネ。(大阪の人は、初めて東京に来た時にその会話を聞いて「ケンカしてんの?」と思うそうですからね。ごまのはえの連中が言ってました)
もちろん、コミュニケーションに“誤解”は付きものであることも《アミーゴ・ガレージ》を始めるにあたって最初に述べたことですから重々承知しています。ただ、誤解が“個人的なもの”に止まっているのなら何の文句もないのですが、それをワザワザ“公の場所”で広められたりするのは、私としてはあまりイイ気持ちのものではありません。(因みに“公の場所”というのはこのインターネット上ということではありませんので誤解のないように。昨今のナイアガラ関連の“リンクの充実”、家頁を開設されている方々の熱意やアイディアには感服するばかりで、楽しい“読み物・聞き物”揃いです)
こういうことがあったので今まであまりインタビュー等は積極的に行いたくなかったのです。外的に発言がなければ誤解のタネも減りますからね。しかし、もうこの《アミーゴ・ガレージ》がありますから、これからはツマラナイ誤解は減少する方向へ、そして“ホニオリン”などの『楽しい誤解』が増える方向へ行って欲しいと切に希望する次第です。
さてさて。テーマーが外れましたので元に戻しましょう。
次の細野さんの発言を聞いた時は、私は個人的にビックリしました。
「今度のアルバムで『雪やコンコ』をやっているんだけど...」。これ、ナイアガラーもビツクリでショ。私も含めて、どのミュージシャンでも、自分以外にはあまり興味のないもので、細野さんもまた例外ではなく、自分が係わった以外の大瀧作品は殆ど知りません。とても『多羅尾伴内楽団』までは手が回らない。
この話題になった時、途中で話の腰を折るといけないので『多羅尾』には触れませんでした。(インタビューが終わってから「実は77年のアルバムで私も『雪やコンコ』をやっている」と話しました)
もう一つ驚いたのは、前回でも触れましたが、このインタビューの口火を切った細野さんの「そもそも」発言が、この『雪やコンコ』を作る過程での“相方”(^_^)越美晴さんとの意見の相違に関連していた、ということでした。
前号の「そもそも」が出た時点では、全くこのような“背景”を細野さんが持っていたことを私は知らなかった。しかし、同じテーマを私は「そもそも」という一言から発展させて先に語っていた。これにも、我ながら驚き、更にその原因となった楽曲があの『雪やコンコ』と来ては、あまりの“符合性”に唖然としたのです。
更にその時に“直感”したのは、多分細野バージョンの『雪やコンコ』のノヴェルティ性は林家三平的アッサリ度合で、私のはそれに比較すると柳亭痴楽的クドさではないか?ということでした。(私のバージョンのエンディングでの“くどい”くり返しからアッサリと落とす、というところが自分では“痴楽的”なのではないか?とこの時感じたのです)
しかし、『雪やコンコ』をノヴェルティ解釈しようと、25年前に同じバンドに在籍していた二人が、別々に各々思う、というのは一体ナンザンショね。(^_^)
このテーマの後半も、
(大)「男はバカだから“そもそも”とか言うと耳を傾けちゃうんだよ。“それのドコがエライわけ?”なんて訊かないものね」
(細)「言われてるな、誰かに(笑)」
(大)「いや、そうではないかと想像して」
この漫才パターンで締めくくられています。(もっとも「男はバカだから」とか「中年のナイアガラーはモテない」などと強調すると「モテなくて悪ぅございました」なんてマジで気を悪くしたらしいメールも来るから全く救いようがない(^_^))
さて出て来ましたよ《落雷事件》。
81年の7月、私の33才の誕生日を迎える数週間前に、自宅に雷が落ちて消防車が3・4台も来るという、大騒動になったことがありました。(使っていなかった漏電機が火を吹いて燃えただけだったのですが、近所中が集まっての大騒ぎでした)
時は丁度『ロング・バケーション』が5月に4位という最高位に達し、6月末にプロモーション終了記念パーティーを開催、一段落した7月に再び売れ出し、2位まで上昇。雷が落ちたのはその頃です。作品の制作過程でいえば『風立ちぬ』と『A面で恋をして』の間。
細野さんはこの『落雷話し』が気に入ったと見えて、「この後に会った時の大瀧は少しヘンだった」と、以前から“主張”されておられます。
もっともこの落雷後に私が細野さんと会ったのは、音楽雑誌の対談で10月でしたから“直後”ではなく三ヶ月ぐらい後でしたが。(細かいですケド)
確かに“雷が落ちる”ということはそう頻繁にあることではありませんから、私が(雷=自然界=神に)選ばれたというのなら喜ばなければならないのでしょうが、消防署員と警察官に事情聴取され、何度も同じ話しをしなければならなかったのには閉口しました。
このインタビューの最後で志ん生さんの『粗忽長屋』を例に出しましたが、この文章では私の真意は分からないと思います。
というのも、「ああいうのがいいな」というのは“志ん生さん演ずるところの”という意味で、その“言葉の意味”を指しているのではないのです。(と書いても落語ファン以外は全く分からないでしょうネ)「オレは死んでんのか生きてんのかワカンナイ」と言っている時の“志ん生さんのニュアンス”のことを言っているのです。他の落語家さんの演出だとチョト違うんです。
あまり“説明”したくはないのですが、「えー、出来たら、息をするのもメンドーだってぇーくらいの不精者でして」と“志ん生さんの語り口”で語っているもの、と解釈して欲しい、ということです。(ね、説明してもワカンナイでショ(;_;))
これは編集の仕方ウンヌンではなく、最初から説明不能のもの、と私が思い込んでいますから、どう書いてもムリなんですね。(ある“前提”がないと理解出来ない種類のものですから)そこでこの文章でO.K.したのです。
「分からない人には全く分からず、分かっている人でさえ分かるのはムズカシイ」という、いかにもナイアガラを象徴しているかのような文章ではあります。
それにしても、この“難解”な対談をよくここまでまとめましたよ。編集者の方々はご苦労様でした。前回は枝豆。今回はトニー谷の映画タイトルのような《あってもなくてもいいものの巻》という、スタイリッシュな『エスクワイヤ』誌には似ても似つかない内容になってしまい、この場を借りてお詫び申し上げます。(大体ワタシを呼んだのが“そもそもの”間違いなのですが、この雑誌は白夜書房のイカレた本などと違って(^_^)“廃刊”になるようなことはないでしょう。と言うより『エスクワイヤ』を廃刊に追い込むほどの力量はワタシにはない、と表現した方が真実に近い)
今回の細野さんとの“再会”は92年6月以来のことでした。(大貫妙子さんのFM番組『空想紀行』でのゲスト)その前に会ったのは何と!あの85年6月の〈はっぴいえんど再結成コンサート〉。
今回を入れると11年間で三度しか会わなかった、ということですね。(となると、次回は21世紀が明けてから、ということでしょうか(^_^))
年齢のみならず、私にとってはいつまで経っても“追い越せない”人であります。今年は《宮沢賢治生誕百年祭》が行われました。来年は《細野晴臣生誕五十年記念》の年です。ロック年齢の“50”は一般の“100”に相当します。偉業を讃える行事が企画されて然るべきです。
Splash 23: 幻のオンド・デ・ビデオ情報、再び!(1996.10.13)
From: Shinji Ishiguroさん
Subject:On dos des Video
“ナイアガラ音頭”幻のミュージック・ビデオの件ですが、これって僕も観たことあるような気がします。どこで、いつ、どんな状況で、といわれると記憶は、はなはだあいまいなのですが。たしか、極彩色の浴衣を着た布谷氏がやぐらのまわりを歌いながら踊ってたのではなかったでしたっけ。それとも、あの曲から勝手にイメージを膨らませていただけなのかなぁ。
ちなみに、僕はあのチョッパー(!!)のベースが大好きでした
またもや!“幻の山椒魚”を見た情報!
もはや“布谷さんのM・ビデオ”は《ナイアガラのネッシー情報》と化した感あり!
求む!現物!
Splash 24: 97日米野球第二戦~ノモ君のビッグ・プレゼント(1996.11.2)
11月2日、東京ドームへ日米野球二戦目を観戦に。ノモ(とメンバー・ボードに(^_^))君のドジャー・ブルーのユニフォーム、遠くからでしたがシッカリと見て参りました。
私が“ノモ・マニア”だったのは彼が近鉄入団した90年と91年。この二年間は藤井寺の試合は衛星放送(CS)で、西武球場は観客席で、殆どの試合を観戦しました。
91年には近鉄-西武戦を見に名古屋球場へ。更に川崎球場の最後の試合となったロッテ-近鉄戦のシーズン最終戦、これも見に行きました。
ドジャースのノモ投手は、メジャーに行くことによって、彼のもっている潜在能力が更に開発された感じを受けました。格段に投球のレベルが上がっています。あのまま日本にいては“この部分”は開発されなかったような気がします。
それは“コントロール”で、日本では14個も四球を出してもファンは“我慢”をした。ところがメジャーでは、いくらエースでもそんなに四球続きではブーイングが起こる。
その“ブーイング”が野茂君のコントロールのレベル・アップに繋がったのではないかと思うのです。
我々が今日見たのは“野茂”ではなくて“ノモ”投手でした。
ここから分かることは、《目標》は常に高く大きく持て、ということですね。潜在能力を発揮させる最高の手法です。
日米野球が行われる度に「メジャーの選手は“全力疾走”をする。日本選手も見習わなければ」と毎回言われます。新聞やTVでもそういうコメントが連日書かれたり言われたりします。
もし機会があったら20年前、30年前の日米野球の記事を見て下さい。全く“同じこと”が書かれてあります。
“改革”が叫ばれるのは“その時限り”なんです。すぐに“元の木阿弥・瀬戸の地引き網”。
『目標は小さく、出来ることからコツコツと』。これが我が国のモットーです。ノモ君はこの国を出て“正解”だったのです。
さてそれよりも何よりも、このノモ君は、偶然の出会いを演出してくれました。
ナント!偶然に帰路でバッタリと佐野元春君と出会ったのです!ビックリしましたよ!あの5万人の中ですからね。待ち合わせしてもすぐには会えない場所ですヨ。そこで、出会い頭調にバッタリ!会ったんです。
出会うまでのお互いの“帰路の取り方”にドラマがあったのですが、ここでは省略します。秒単位ですれ違った可能性が99%ありました。
考えてみれば“佐野・野茂”コンビ。佐野君が球場にいるのはもっとものことです。しかし私はそのことをスッカリ忘れておりました。
出会った佐野君も「そう言えば大滝さんは野茂の試合は全部見ていると以前に仰ってましたから、ここにいるのは当然といえば当然ですね」と、二人で同じ様なことを言い合ったのでした。(^_^)
これはその時の真っ黒ながら証拠写真!サインはお互いの直筆!『デジカメ攻撃は能地氏の専売特許ではない!』とメールを送ったら次のような返事が来ました。
From: 能地祐子さん@dadooronron
Subject: やられたっっ。
実は昨日の午前中に、佐野さんとは浜松の駅でお別れしたばかりだったのですよ(あたしは新幹線に乗り遅れたので)。ちょうど前日の楽屋などでは大滝さんのホームページの話しや、はっぴいえんどを語りあげたりしていたのでした。(これで、佐野元春はデジカメ界でもっとも“撮られ旬”な人となりましたね(^_^;))
大滝-野茂-佐野。わからない偶然ではないですが、それにしても2時間ドラマの筋書きのように“できすぎた”再会ですね。やっぱり“縁”ってあるんですね。オフ会で数々の著名人が通りすがったのも、やはり大滝さんの“呼び寄せ力”だったんですね(^_^)。
あー楽しいな、楽しいな。なんだかとーっても楽しいです。
まさに!
《大滝の真価》とは、音楽や野球や落語などを作ったり語ったりすることではなく、この“呼び寄せ力”、つまり“磁力”にあるのです!
ナイアガラとは強力な磁場のことです。
ザ・ナイアガラ・エンタープライズは《磁場産業》なワケです。 ヽ(^。^)丿nan ya sore!
(each)
Splash 25: 朝日新聞・学芸欄に“ミュージシャン・大瀧詠一”現わる(1996.11.8)
ナイアガラ・メーリング・リストでも話題になっていましたが。
なんと、1996年11月8日付け朝日新聞学芸欄の『20世紀の古典』コーナーにミュージシャン・大瀧詠一による原稿が掲載されました。お題目は“エルヴィス・プレスリー”。ドライとウェット、諧謔と叙情、ユーモアとシリアス……と、様々な対立概念を縦横に行き来するミスター・ナイアガラならではの鋭い視点に貫かれた一文でありました。
げっ、うちは朝日新聞とってないよ、駅売りももうないし、縮刷版まで待てない、どうしてくれるんだよぉ……とお嘆きのナイアガラーのために、ええい、かまうこたないっ、どーんとサービスしちゃいましょう。
どぞ、こちらへ。
(健太)