日本映画と私
text by Eiichi Ohtaki
(2002年8月28日)
私の一番最初に見た映画として強く記憶されているのは学校で見せられた『風の又三郎』(島耕二監督)です。私の育った“戦後民主主義の時代”は、民主教育の一環として学校で映画の上映が盛んに行われた時代でした。
この間の個人的な映画体験は飛ばして(と言っても“無かった”からではないですよ。それを書いているとそれだけで終ってしまうので、という意味です)ここではスベテは『日本の喜劇人』から始った!として1973年からの“私と日本映画”について書いてみたいと思います。(「小林信彦さんと私」を参照のこと)
1973年、ようやく“日本映画”(特に日活)の良さが分かった時には既に“終って”いたんですね。ですからリバイバル上映館を探したり、あるいはオールナイト(池袋文芸座には通いました)にでかけたりする以外に方法はありませんでした。
また、73年から稼働し始めたのが《FUSSA 45スタジオ》で、主任エンジニアでもある私は、段々都内に出て行く時間がなくなっていきました。