聞き間違いが真理をついている場合もあります。
全国の“ホニオラー”が集結する場所、
それがこの『ナイアガラ・ホニオリン館』です。
聞き間違いが真理をついている場合もあります。
全国の“ホニオラー”が集結する場所、
それがこの『ナイアガラ・ホニオリン館』です。
初の“『EACH TIME』もの”です。80年代(いわゆるロンバケ時代)には、70年代のようなナイアガラ流ア・ソ・ビがなかったように思われるかもしれませんが、実は『三つ子の魂百まで』であります。(小学校一年の“こぶとりじいさん”が将来を暗示していたとは、50近くなって始めて気がつきました(^_^))
他にもこれに関しては気づいた方もおられたでしょうが、直接言われたのは今回が始めてでしたので掲載します。
From: Junichi Kannoさん
Date: 1996.9.5
Subject: 「バチェラー・ガール」
先日,妻にホニオリン舘のことを話しましたら,「そんなら私だって昔から思っていることがあるわ」と申しますので,代筆で投稿させていただこうと思います。
「バチェラーガール」の中に,「裏に別れを用意してたね」という一節がありますが,妻はこれをずっと「裏には彼を用意してたね」だとばかり思っていたというのです。
「裏に別れを」より「裏には彼を」のほうが,より残酷な感じがしますね。
英語で言えば「You ARE Here!」というヤツです。実は奥さんは正しい!。ワタシはその通りに歌っているのです。(^_^)(ジックリ聞いて下さい。“わかれ”の“わ”と“かれ”の間をほんのチョットですが“空けて”歌っています)
最初から歌詞カードと首っ引きの人は“目から”「裏に別れを」と“刷り込まれて”いますからわとかれの間にある“すきま”にあまり注意がいかないのですね。
「裏に別れを」のそのまた“裏”に、具体的な“彼”を用意していたと、そう取る人も中にはいるだろうという予測で歌いました。(こう歌った方が“女性の残酷さ”を強調出来る、という私の個人的な演出(^_^)でありました。“奥さん”がそう聞いた、ということはさすがに“女性ならでは”ということなのでしょうか(^_-))
もっとも、この“テクニック”(^_^)は〈はっぴいえんど〉時代に開発したもので“松本隆とのタッグ”が作ったものです。
このテクニックが沢山盛り込まれた最初の楽曲は「抱きしめたい」(71年)でした。
「タバコをくわえ 一服すると」の“くわえーーーー”を随分延ばしているのは、説明するまでもないでしょうが、タバコをくわえるまでのいろいろな動作を想像させるためです(その後、ヴォーカルのブレスを“一服”の擬音と絡めたところはアイディアざんショ(^_^))
メロディーの“高低”もその歌詞によるものです。最初のメロディーは下がっていますが「汽車が走る」という歌詞なので“走りますぅ!”と上げています。
「浮かぶ駅の 沈むホームに」はエルビスお得意の「I NEED YOUR LOVE TONIGHT」調のスタイルを当てはめたものですが、丁度“浮かぶ”と“沈む”の極端な表現にうまくハマリました。
この曲はテクニックと感情が互角で、そのバランスという意味合いでは、自分の歌唱の中では最高傑作だと思っています。(“テクニック”なるものは、一度出来上がると、必要がない時も出て来るんですネ。押えても押さえても顔を出す(^^;))
「飛び降りるので」の“とーーーーーーー びおりるので”もそうですし、この曲に全てのものは出尽くしていると言ってもいいくらいです。
“言葉の天才・松本隆”。彼もまた大のダブル・ミーニング好きです。(ある意味では私以上に)この二人が作ったものは一筋縄では行きませんので、リスナーの方々は御覚悟なされるのがヨロシイかと。
似たようなケースに「1969年のドラッグ・レース」があります。〈景色だけが変わり 未来は過去になる〉の“景色”を“けーしき”と私がのばして歌ったために〈形式だけが変わり〉というダブル・ミーニングを偶然に生みました。(これは渋谷陽一氏からラジオで指摘を受けましたが、私はそういう“意図”で、どちらかと言うと“形式”の方に重点を置いて歌っています。あの渋谷氏ですから、それが強く耳についたのではないかと思われます。「松本-大瀧」の場合、お互いが予想しなかったことが、あるいはお互いが予期したことが、偶然&頻繁に、起こるのです)
ことワタシのバヤイ。「颱風」を作った時に、評論家の北中正和さんから“日本語をここまで破壊した”と評された男であります。(^_^)(最高の誉め言葉として受け取りました。「辺りは俄に かき曇り」を「あたりはに わかにか きくもり」という出だしの歌です。これを小学校の遠足で歌った能地さんが「そんな歌はない!」と全員のヒンシュクをかった、というエピソードは、ナイアガラーなら知らない人はいないでしょう)
言葉を“ぶつ切り”にする場合は三つのケースに別れます。一つはメロディーの“譜割り”を先行させた時。二つめは単なるアソビの時。三つ目はそこで切った方がその言葉以外の意味を生む可能性がある場合、です。(このタイプの“仕掛け”は80年代の方が多いのです。というのも、殆ど歌詞は自分ではなく松本君でしたから、彼の場合は“詞”(または“詩”)としても独立している。つまり、どう歌っても歌詞が壊れる心配が“ビタ一文”ない。そういう安心感があったので、実に大船に乗った気分で遊んだのです)
似たようなパターンとしては、以前FM横浜の番組にアナウンサーの永井美奈子さんがゲスト出演してくれた時、「恋するカレン」の話をしたことがあります。(放送を聞いた方は知っているでしょうが)
《ふと目が会うたび》という歌詞の“あうたび”のあは“発音してない”、というものでした。
《ふと目が うたび》と歌っています。これは“が”の“ga”の“a”を利用したのですね。前の音が“a”なので聞いている人は耳に残っている。(“あ”は一番エコーに残るんです。まさにエンジニア兼歌手の面目躍如でしょうか。なんてネっ!)“うたび”と歌っても“あうたび”と繋がる、と。(更に“肥満”を気にしている人には太めがと聞こえるだろうことも予測しつつ(^_^))
なぜ、そう歌ったのか。
これはふと目が会うことを強調したかったからです。つまり「目が/(あ)う」に“隙間”を“一瞬”入れることで、目が会う一瞬を表現したかった。(「あうたたび」と“あ”に力を入れて歌ったのでは“ふと”という感じが出ない、と)
なーんて細かく“種明かし”なんかしてもアンマシ面白くないですね。(^_^)
しかし、上記のような“テクニーク”なるものは、やり過ぎると“策士(作詞(^_^))策に溺れる”という危険性が高い。
ですから、私のヴォーカル・ダビングは「こう歌おう・ああ歌おう」と考えずに“ただひたすら歌い続け”ます。何度も何度も歌っているうちに突然このような歌い方が“登場”する時が、たまーに、あります。
歌った自分がリスナーとなって聞いて、何か“面白い”発見のある歌が自分に取ってのO.K.テイクです。(それでも「カレン」はムズカシく、うまく歌えなくてアルバムに入れられないのではないかと真剣に悩んだこともあったのですよ。結局は60点ぐらいの歌にしか自分では思えませんでした。当時は、です)
ま。こんなカンジでこちらはいろいろやってますけど、スンナリ聞いて頂ければそれで“シアワセ(ナムー)”であります。単なる“歌”には変わりないのですから。
しかし、“耳で聞く”人の方が(ダブル・ミーニングを“深い”とするならば)“深く”聞いている、という事例がまた寄せられた、ということですね。
「バチェラー・ガール」の後日談ですが、“大滝バージョン”は評論家の吉見祐子さん(うーーん。女性評論家はどうしても“yuko”になるのかぁ)から辛い評価を受けました。
御存じの通り、この楽曲は稲垣潤一君がシングル・ヒットさせましたが、圧倒的に“稲垣バージョン”が良いと言うのです。
もちろん、私もこれには“同意”しますが、彼女の理由は「大滝の歌からは“ふられた”感じを受けない!」というのです。(-。-)
この発言には、悲しんでいいのか喜んでいいのか、何ともハヤでしたが、結構自分では“過去の経験を踏まえて”(^_^)悲しく歌ったんですけどネー。
但し、吉見さんが言うように、稲垣君のバージョンは良く出来ていることには同感です。この楽曲は私よりも稲垣君に“合っていた”ということですね。(確かに稲垣バージョンの方が“素直”な感情が伝わって来ます。因みに、カバーの提案をしたのはこのワタシでござんした)
From: Ryoji Minamiharaさん
Date: 1996.9.7
Subject: 「投げたカセット・テープ」 サイン入り「ALL ABOUT NIAGARA]を家宝にしている30代半ばのおやじです。渋谷ディスクポートで手に入れた家宝もあれからずいぶん経つので餅腐れ状態です。
ホニオリン館ネタをひとつ。
「スピーチバルーン」って「君は春の客船(である)」その客船が冬の港を見ているというとてもシュールな歌と思っていました。
特に、「投げた(カセット)テープが空回りして気まずくなり、ようやく動き出した(カセット)デッキが君の人生を運び去って しまった。カセットから流れたのは思い出のブラスバンドだったからいっきに過去飛んでしまったんだな。」と思いこみ、さすが松本隆だなぁと感心したものです。
“つくり”かと思うほどウマク出来た意外な話ですナ。(^_^)
“別れ”の時に「“カセット”テープを投げ」たんですね。それが“カセット・デッキ”で空回りした、と。
いやはや、恐れ入りました。m(..)m
船にはデッキが付きもの。〈船の別れ〉には“投げテープ”が付きものという、バタやん(田端義夫)が人気者の“マドロス物”が流行歌の主流だった時代(戦後の約10年間)では、全く起こり得なかったであろう“珍・解釈”です。(そういう意味ではホニオリン館には相応しいかと(^_^))
“カセット・デッキ”の一号機が発売されたのは1967年頃でした。私のものは現在でも“動き”ますが、30年経った現在、“テープ”と言えば“カセット”と、船の別れでさえも、連想されるくらい定着したのですね。
“誤解”まで話しを大きくしなくても、本当に一つの“言葉”から“連想”する事柄は人によって大きく違う場合が多いですね。(一月前ぐらいの『天声人語』でもこのテーマを取り上げていて、それをパペポでも鶴瓶さんが取り上げていました。“大きい”や“広い”の感覚は、人間によってもさることながら、国によっても大きく違うだろう、という内容だったと記憶しています。“尺度”の制度・単位も各々違いますしね)
NHKの『連想ゲーム』のテーマはコレでしたね。(お察しのことと思いますが、私は画面の下の解答を“隠して”見るタイプであります)
現在高視聴率の『マジカル頭脳パワー』の“伝言ゲーム”もまさにコレで、いかにコミュニケーションなるものがスンナリ行かないものなのかをシミジミ笑ってしまいます。(この“インターネット”もまた“同じ様なもの”と、覚悟しておいた方が良いでしょうネ)
それにしても。やはり!。
“私のファン層”は30代半ばのオヤジなんですネ。(^_-)
(each)
From: 安部@%カノープス改め%日経mixさん
Date: 1996.10.24
Subject: 「夢で逢えたら」
先日地元のFMを聴いていたら「夢で逢えたら」のラッツ版がONAIR されました。そのあとその番組にきたFAXでこんなのが紹介されてました。
「私は『夢でもし逢えたら』の歌詞の部分は、ずっと『夢でも、し合えたら』だと思っていて、なんて”意味深”な歌詞だろうと思ってました。
私はこれを聴いて爆笑してしまいました 丶(^o^)丿結構単純な聞き違えなのにそれにはぜんぜん気づかなかったです。ひょっとしたらホニオリンとしては定番? (^^? ちなみにその人はその日誤解が解けたようです ^^;
安部“日経mix”さん。お久しぶりです。相変わらず“オイシイ”ネタを拾って来ますねぇ。(^_^)
この“ちん・解釈”は初めてです。FAXの文面から察するに、これは“シャレ”で書いたとは思えませんね。(余程“欲求不満”のニイチャンでしょうか(^_^))
しかしですね。この解釈は、ある意味では“当然”なんです。
『夢で“逢”えたら』は“会”えたらではないんですよね。なぜ“会”を使わないで“逢”(旧字はチョンチョンが二つだよね?)を使ったには“深遠”(^_^)なワケがあります。
古代の人は、本能に近いというか、表現が自由だったというか、信仰でも“具体的”というより“即物的”。各地の神社には、近代理性から考えるとギョッとするもの(^_^)が祭ってあります。
万葉の時代の和歌は、実にイミシンでっしゃろ。表現が“おくゆかしい”のと現代では意味が分からなくなっている言葉が多いから顔を赤くしなくて済んでいるだけで、内容はスゴイものがあります。
古語辞典を調べてください。“逢ふ”は“会ふ”とは全く違い意味合いがあるのです。(^_-)(子供用の辞典には出ていないかもしれませんが)
しかし。“合う”は直接的過ぎマッセ、いくらなんでも。ねぇ。(^_^)
“合った”かどうかは分かりませんが(^_^)“逢った”ということは“会った”こと以上のものであることは確かであります。
『冗談の中にこそ意外な真実が』
結構イロイロと考えて作ってるんデッセ。こう見えても。(^_^)
(each)
ナイアガラ・メーリングリストにポストされたメッセージの中に、ごきげんなホニオリンを発見しましたので、ワタクシ(健太)がこちらに転載させていただきましょう。これはウケました。
From: 石原”じたんだ”康広さん@三鷹
Date: 1996.11.11
Subject: 「いちごに片思いのパパ」
三鷹の石原です。
私も新人ですが、最近新しい人がドンドン入ってきて賑やかで良いですネ。さて、ここ数日私の周辺で起きていた出来事をひとつ。
> 送信日時 : 1996年 10月 28日 月曜日 8:12
>
>
> 小野@HIGHWAYです.久しぶりの発言です.
> ★☆ Kenji Ono 小野健二 ☆★
> ☆★ KANAGAWA CHILDREN'S MEDICAL CENTER ★☆
> ★☆ DEPARTMENT OF ANESTHESIA ☆★
> ☆★ E-MAIL ★☆
> ★☆ HOME PAGE:http://home.highway.or.jp/onoken/ ☆★
この小野さんの家頁に寄ってみたら、達郎さんの「サンデーソングブック」の放送曲リストがあるではないですか。へ~、すごいな~と見てましたら、今年の新春放談の第2回目(96/1/14)の放送曲のラストに、
「いちごに片想いのパパ/渡辺満里奈」
と、あるではないですか。実は私、この回は聞き逃してしまったんですヨ。
この曲は知らない!!!
これは、さては「RING-A-BELL」のための未発表ストック曲(12曲くらい録ったらしい)では? と思い、焦りました。「いちごに片想いのパパ」だなんて如何にも大滝さんの曲っぽいじゃない? 知り合いのナイアガラーに早速連絡したところ、ヨカッタ! 録音してある、との事で、おととい持ってきてもらいました。
で、正座して再生ボタンを押したわけですよ。
すると、達郎さんの甲高い声で確かに聞こえました。
と...
満里奈の未発表曲は幻に終わりましたが、久しぶりにドキドキした1週間でした。別に小野さんの上げ足取りをしてるわけじゃないですよ。(^_^)何よりおかげで、「幸せにさよなら」のレアミックスも聴けたわけですから。(小野さん、これからも寄らせてもらいますので頑張って下さい。)
ホニオリン番外編として、ご報告いたしました。今年も新春放談が今から楽しみです。(^_^)
PS 大滝さん、「いちごに片想いのパパ」という曲作ってくれないかしら...
この発言がポストされてから、ソッコーで師匠にご注進。師匠もひとしきりウケたあと、「なんだか、いちごに頬寄せるバカボンのパパの姿が思い浮かぶなぁ」とおっしゃってました。
(健太)
From: 丹羽 章文さん
Date: 1996.12.2
Subject: 「“JOHNの天気予報”と“未練”」 はじめまして。ナイアガラサウンドを知ったのは最近ですが、僕もホニオリンの経験がありますので、大したものではありませんが、投稿したいと思います。
まずは、はっぴえんど『颱風』の“正午のてれびじょんの天気予報が”というところで、ある日突然“正午のテレビ、JOHNの天気予報が”と聞こえてきました。
電車の中で、聞いていたのですが、思わず、あたりを見渡してしまいまし た。もう、それ以来《JOHNの天気予報》としか聞こえず、困っています。
結構このように、聞こえた人はいるんじゃないでしょうか?
次は『君は天然色』で“夜明けまで長電話して”というところです。
このアルバムは長い間、誰が歌っているのかも知らず、テープで聞いてい たのですが、ずっと
“夜明けまでなら 電話して”
と聞こえていました。
だから次の歌詞の“受話器持つ手がしびれたね”は電話を待っていたので疲れたものだと思っていました。
しかし、受話器を置いたまま、持って電話を待つなんて、変な人だなあと思っていました。
まあ、世の中にはこんな人もいるのかぁと、CDを買って、歌詞カードを 見るまで、思い続けていました。でも、変な人でも、未練が残っている男の描写になるとは思いませんか?ならないかな?
“JOHNの”天気予報ですかぁ。「正午のテレビ」で“切れた”わけですね、文脈が。
正午のテレビ(のニュース)で(天気予報士の)JOHN(さん)の《天気予報》(を見た)、ということでしょうか。
確かに他にもそういう“方”がいた可能性も高いような気がしますが、私は《初耳》でした。
関係ないかもしれませんが“初耳”って、結構好きな言葉です。“初”という語句が好きな《典型的日本人》なのかもしれませんが。(これまた関係ありませんが、以前“DJパーティー”で《日本初・世界初》という看板を作って、ナイアガラの歴史を語りながらその看板を上げる、というオアソビをやったことがありました)
「夜明けまでなら“電話してぇ”」ですかぁ?!
それで手が“シビレタ”と。...。(-.-)
受話器も持たずに...。(ーー;)
ソレ、かなり“ミジメ”ちゃいますぅ?
か・な・りの《未練》ですなぁ。五木ひろしを遥かにこえています。
丹羽君は“待つ男”ですか。(^_^)
アルバム『ゴー・ゴー・ナイアガラ』の初版は歌詞カード“なし”だったんですね。そしてラジオで《聞き取り大会》を行いました。
今でもその時に送って頂いた葉書は保存しています。
『こんな時』と『今宵こそ』のボーカルがかなりオフにミックスされていて、この二曲が“空耳”大会となりました。
『こんな時』の“ラジオを聞いて ふと思う”という歌詞があります。
ここに寄せられた“空耳”が一番楽しく、
「ラジオを聞いて ふとんをあげて」
「ラジオを聞いて ふとんをしいて」
と全く“逆”の解釈が寄せられたことが未だに印象深く残っています。
あの歌唱法からは「ラジオを聞いて ふとんを~~~」と聞こえる可能性があります。
が、あれが“ふとん”に結び付くのは、多分“浪人生”の方々ではなかったか?と推測しました。(“ベッド”の人は、多分“ふとん”という語句は、あの歌の場合には思いつかないのではないか、と)
「ふとんを“あげて”」と聞こえた人は“万年床”の人ではなかったか、と。
「ふとんを“敷いて”」と聞こえた人は、ラジオを聞くときに(ラジ関時代は夜中だったので)いつもふとんで聞いていた人ではなかったか、と。
こちらの方がその“空耳”で“空想”しておりました。
空(そら)というより《空(くう)》というガイネンは、なかなかに“深い”味わいがあります。
言葉通りにしろ、言葉以外にしろ、それからいろいろなストーリーを思い浮かべたり作ったりするのは楽しいもので、それが《想像力》の源だと考えます。
昨今の“風潮”なら、そこまでの《未練男》も“誕生”していると容易に想像がつきます。『ミスター・ロンリー』時代も、ついにここまで、というところでしょうか。(^_^)
ホニオリン館への楽しい“投稿”、ご苦労サマでした。(初めての“投稿”は、かなり“度胸”が要ることでしょうからね)
(徒然)