左徒然のズビズバ館
左徒然のズビズバ館
徒然:ラルフ (1996.8.12)
北大の“霧の中のトニー谷”さんから、面白いメイルを頂いたので紹介します。
教育テレビで「ラルフ」というアメリカのホーム・コメディが放送されているのですが、その週の放送が「エルビスは生きている」というタイトルで、近所に引っ越してきた人を主人公がエルビスと思いこんでしまうというストーリーだったそうです。
そのなかでバディー・ホリーがストーリーの展開と落ちに重要な役割を果たしていたということです。
バディーホリーが言及されたシーンを具体的に説明すると、
a. 引っ越してきた人をエルビスだと言い張る主人公(ラルフ)に父親があきれた口調で「ああ、そうかいそうかい。じゃジェリー・ルイスやバディーホリーはいつ引っ越してくるんだい。」と皮肉っぽく尋ねると、主人公は
"That'll be the day." (そのうちにね)と答えた。
b.{落ちの部分}別の人が、引っ越してきた人をバディーホリーであると言い張っていたのに対して、主人公の、
"That's impossible.He runs a music shop in Phennix." (そんなの嘘だよ。バディはフェニックスにある音楽店の店長だぜ)
という勘違いの上乗せで話が終わった。
バディー・ホリーの“題名落ち”は面白いですね。これを日本に置き換えると、
「三橋美智也が昨日泊まりに来た」「そんなワケないだろう」「だって帰りしなに“達者でな”って言ってったぜ」
てなカンジでしょうか。勘違いの上乗せは落語の“粗忽もの”のパターンですね。(三橋さんもB・ホリーも50年代中期の人です)
それにしても『エルビスは生きている』ネタはアメリカ人は大好きなようで、もはや日本に於る『ジンギスカンは生き延びた義経だった』ネタと同じランクに位置していると言えます。
徒然:千葉すず讃歌 (1996.7.28)
巷では“金だ銀だ”と大騒ぎの毎日です。『ニュース・ステーション』に出た千葉すず選手は「日本人はメダル・キチガイだぁ」と堂々と放送禁止用語を怒鳴っていました。(久米さんは慌てずに“聞かなかったこと”にしていましたが)
TBSのシンクロ・小谷実可子さん。CXではバドミントンの陣内貴美子さん。スケートの伊藤みどりさん。各社は“女性スポーツ・キャスター”の確保に懸命です。 ソフト・ボールにカワイイ人がいるとか。
その中でも、この千葉すずさん。その容姿・風貌から今までも一番人気でしたが、この“発言”で更に期待度は高まりました。ヒョットすると“女性・辛口スポーツ・コメンテーター”の登場となるかもしれません。
ま、動いているのはTV界だけではないと思いますが。(私のカンでは“竹書房”関係も動いていると思います。え?大したカンじゃなくて、誰でもそれくらいは読める?東スポ読み過ぎてんじゃないのって?そうカモしんない)
泉麻人さんの『B級ネット天国』に対するコメントで書き忘れましたが、このインターネットへの係わり方が70年代の〈フォーク対ニュー・ミュージック系〉の構造と見たのはサスガですね。
私の場合のインターネットへの係わり方ですが、実は数年前より知人数人でインナー・ネット(^^)をやっておりました。日常のたわいもない話から芸能・スポーツ、はたまた政治に至るまで、徒然なるままに意見の交換や感想大会を行なっていたのです。
『大相撲ナイアガラ場所』は若貴が入幕した頃から始めたものです。もちろん萩原健太君も能地祐子さんも参加者でした。能地さんをエルヴィスに誘った『エルビス入門講座』や『長嶋監督復帰に見る巨人軍お家騒動の歴史』『野茂クレイジーの日々』(野茂は鈴木啓示監督とは絶対に合わないこと。巨人・千葉のニック・ネームである“バッファローズ”を近鉄球団は捨てたがっているだろう、等を予言しました。いよいよ来年から変えるみたいですね、公募してますから)
つまり、その“インナー・ネット”をインターネットに移植しただけのことなんです。“怒涛のアップ”などとウレシイのか迷惑なのか(^^)そんな形容を一部でされているようですが、今までのものをそのままアップすれば今日にでも100MBぐらいの家頁はラクに出来上がるだけのネタはあります。(HTMLを健太氏の手ほどきで覚えましたが、これからはコレですね。JAVAまでは書けませんが、ナイアガラ言語のDAJAを開発中です。覚えたい人は布谷文夫の『深南部牛追唄』を研究して下さい)
徒然:『YUKIO』の謎 (1996.7.15)
この“替歌”には参りましたネー。
そもそも。和歌や連歌などの《本歌取り》という形式があるように、古くから我が国には“替歌文化”があります。文化・風俗の替歌と言えるのが“川柳”ですね。これは流行=現在をテーマにしています。
私も今まで随分“替歌”を作って参りました。
ラッツ&スターの“幻のデビュー作”である「スモーキン・ブギ」替歌の「禁煙音頭」。更にはピンク・レディーの「渚のシンドバッド」の替歌である「河原の石川五右衛門」は、ナイアガラーなら知らない人はいないでしょう。
「Let's Ondo Again」も「呆阿津怒哀声音頭」も一種の替歌です。
まだ公表されていないものには「金曜日のウソつき」の「正月のもちつき」。(「木曜日のキツツキ」から始めた“つき・シリーズ”でした)「快盗ルビー」の「快盗女ねずみの唄」。「探偵物語」には「泥棒物語」。「風立ちぬ」では「風邪引きぬ」。珍しいものには小林信彦さん作の、ロシヤ政府から“退嬰的”とされ発禁処分となった「君は天然色」の替歌、「君は黄金(こがね)色」というのがあります。プロダクションの“女社長”がギャラ交渉で〈このギャラじゃ 安すぎる 色をつけてくれーーー〉というものでした。(近々《小林信彦さんと私》をアップの予定です)
さてこの『YUKIO』です。この替歌は“良く来ている”のです。ナイアガラーではないでしょうが“ナイアガラーの心”に似たものを持った人物の作です。
以下は“著作権御免の非合法歌”と見てアップします。
鳩が飛ぶ 船が出る ついでに邦夫が舞い上がる
竹小も より戻す スーパー師弟も舞い上がる
YUKIO 党首の武村おいたまま
YUKIO ボートで空を飛ぶ
鳩が飛ぶ 船が出る 中曽根・梶山ほくそ笑む
小泉も 山拓も おまけに加藤も焦り出す
YUKIO 解散なんかは待てないと
YUKIO むりやり空を飛ぶ
このような内容を“音で聞き、目で見る”ためには、今では〈ニュース・ペーパー+金谷ひでゆき+嘉門達夫〉を思想的+形態的+演出的に組み合わせないと実現しないものなのかもしれませんが、昭和30年代ではこの程度の“揶揄(諷刺)”は日常茶飯事でした。
それにしてもウマク出来ています。作者は“音楽知識”と“政治知識”の〈バランス〉がうまく取れている人物ですね。
〈スーパー師弟〉とは強引な持って行きようですが、これは“音楽”優先のココロの現れで、政治諷刺に傾き過ぎるとこの部分は違ったものになっていたでしょう。(“シティー”は古い人が発音すると“シテー”になりますから、実に細かい“演出”です。植木+三波共演の「新二十一世紀音頭」で“マルチ・メディア”を三波先生は“マルチ・メデア”と発音されております)
さて。作者は誰か?は気になるところです。
誰が“書いた”のかは分かりません。しかし、これを書いて、文句を言われない人間は一人だけいます。
それはこの原詞である『TOKIO』の“作者”です。彼は“著作権侵害”の恐れのない唯一の人物です。(私も自分で詞を書いたものの替歌は心置きなく出来ます)
ウーム。埋蔵金探しやブラック・バス釣りだけではなく“作詞活動”もまだ地下活動していたのか?(彼が“書いた”とは一言も書いていないので四十五♪四十五♪)
ズビズバ 1: 野球『ヤクルト・アトムズ』 (1996.7.2)
先日のヤクルト-阪神戦での乱闘劇で、審判が“ヤクルト・スワローズ”を《ヤクルト・アトムズ》と“言い間違えた”のですが、これに対して川島セ・リーグ会長は“罰金・30万円”を科したそうです。
理由は「ヤクルト球団やファンの名誉や感情を傷つけた」からなんだそうで。
結構“大笑い”ですな、この仕業は。
私が審判なら“国鉄スワローズ”と言い間違える可能性がありますが、これだと罰金は“50万円”ぐらいでしょうか。
このニュースを読み上げたCX八木アナは「言い間違えて罰金なら、私の給料なくなっちゃいますね」などとコメントされておられました。
NHKの紅白歌合戦で“都(はるみ)”を“美空”と言い間違えてクビになったアナウンサーさんもおられました。
ことほどさように、このお国は“言い間違い”にキビシイようで。
しかし我が“ナイアガラ”は逆で、〈言い間違い〉〈聞き間違い〉こそ意義がある。その理由や根源を知る事が何かに繋がるハズだ、というのが基本姿勢です。田中審判や生方アナには十分な入会資格がありますヨ。
《ナイアガラ一口メモ》
日本のプロ野球経営者は“鉄道会社”が多いのですが、それは野球そのものが〈大学〉→〈実業団〉→プロという発展の仕方をしたからです。プロ野球が出来た当時、プロよりも強かったのは“国鉄”です。何しろ全国にクラブがあるのと、当時は石炭でしたから腕っ節の強い人が多く集まっていたのです。
プロに参加した電鉄会社は阪神・南海・近鉄・西鉄・東急・阪急(これは純然たる鉄道会社ではありませんが)そして日本国有鉄道の“国鉄”。
この国鉄が参加したのは昭和25年(1950)の“ニリーグ制”スタート時からです。この時に《スワローズ》を名乗りましたが、この愛称は当時の国鉄の売り物であった“特急つばめ号”の宣伝を兼ねていました。(〈つばめ・はと〉という特急は当時、東京-大阪間を8時間という“驚異的な”スピードで走るようになったのです)
ところがスポンサーは国ですから、選手獲得が民間のように大金をつぎ込めない。従って“万年ビリ”というのが国鉄スワローズの宿命でした。そして国鉄の経営難が深刻化し、ついに経営権を産経新聞に売り渡した、というワケです。(65年)
その時につけられた愛称が《アトムズ》でしたが、これは手塚治虫さんの《鉄腕アトム》をキャラクターに使うというプロ野球としては斬新なアイディアでした。(後に西武がライオンズを買った時もキャラクターは手塚さんのものでしたね)
69年末、サンケイからヤクルトに名称が変わった時、新名称をどうするかで話題となり、結局国鉄時代の“スワローズ”に“戻した”と記憶しています。(“スワロー”を“飲む”と引っかけたようです)すぐに“スワローズ”だったのか?最初は“アトムズ”だったのか?ハッキリとした記憶はありません。
ですから〈ヤクルト・アトムズ〉という名称は一応書類上か、あるいは69年の経営権譲渡時、あるいは新名称決定までの期間に存在したのかもしれませんが、田中審判も随分オモシロイ名前を引っ張り出して来たものです。(しかし、この言い間違いで“傷ついた人”がいるのならそれもオモシロイ人物ですが、この程度で傷つけられる“名誉”とは一体どんなもんザンショね)
(*1996.7.15 追記:こちらをご参照ください)