『《アミーゴ・ガレージ》観察日記・観察日記/その1』
白夜書房の『インター・ネット・マニア』に12月号から《アミーゴ・ガレージ》の“観察日記”なるものがスタートした。
11月号のインタビューで持ち上がったハナシだが、本当に始めたらしい。“スリリングな企画”というよりも“向こう見ずな企画”で、そのうち「やはり《期待は失望の母》であった」という〆の文句で早晩終わることになるだろうと危惧される。
どうせ“短い命”なら(^_^)こちらでもその“観察日記”とやらを“観察”して見よう!とこう考えて《観察日記・観察日記》をスタートさせる。ナイアガラ“ならでは”の企画と思われる。
8 月 11 日(日)/アクセスしたら、例の“引っ越し画面”が登場。はっぴいえんどの『さよならアメリカ、さよならにっぽん』を思いだしてしまった。
《アミーゴ・ガレージ》の日本からアメリカへの引越しは、最初シャレでクイズ形式を作ったのですが、まだまだインター・ネットに馴染んでいない人が多く“まじめに”とられすぎたので即刻やめました。能地さんも現在私と同じ所へ引越しして来ましたが「“本人が”米国に移住した」と勘違いされたとのことです。まだまだ、あの《農村にインター・ネットがやって来た》状態が日本の現実のようです。(“符牒”が通じない、ということですね)
8 月 16 日(金)/更新は<小林信彦さんと私>。内容は濃厚長大。これってもう、完璧な出版物に近い。それぞれの本の表紙写真まで入って、本当に頭が下がります。このコーナーだけが独立して“小林信彦ブックガイド”というようなタイトルでネットにのってたって不思議じゃないです。私は最近、小林さんの『素晴らしき日本野球』を古本屋で見つけて読んでいたので興味津々。あとでじっくり読むことにして「保存」。
いやはや。かなりのお誉めのお言葉、痛み入ります。以前に小林さんの本を編集された白夜の藤脇氏の苦労に比べればそう大したことではないと思うのですが、実は何を隠そう!これがワタシのHTML初作品です。
画像からレイアウトまで“一人で”やってみました。(もちろん、最後は健太君に多大なるアシスト・カルクして頂きましたが。←--安くて軽くて便利なソフトだった。123はデカイ(;_;)私は機能が少なくてもいいから“軽い”ものの方が好み)
健太君は、ご存じの通り、本人と能地さんと更に私のホームページを抱えているので、原稿の締め切り近くになると“悲鳴”から“非鳴”になって沈黙してしまうことがありりました。
それまでの素早い《更新》は、健太君の我が身を省みない“献身”によるものだったのです。「ボクは一生HTMLを書いて終わるのかもしれない...」というツブヤキが出るほど、事は深刻を極めた頃もありました。(^_^)
そこで私はヤムースタファ調に“一念発起”のマネービル!「HTMLを自分で書いて健太を救え!」と思い立ち、健太君のオフィスへ出かけて2・3時間HTMLについて“講義”を受けました。
子供の頃から「呑み込みは早い!」とおだてられて育ったワタシですから、分かるも分からないもなく“理解”。その後、能地・相茶氏と一緒に焼肉をたらふく食べたのでした。
そして自らのHTML第一作として選んだのが“小林信彦さん”だったのです。修正しながら健太君は「なんか、ほのぼのとして来ますねぇ」などという感想を述べておられましたが。
8 月 27 日(水)/何年ぶりかで『エスクァイア』誌を買う。理由はただひとつ、大瀧さんと細野さんとの対談が載っているから…。去年も同じことをした。大瀧さんのインタビューが載ってる、というだけで『月刊レコパル』という名の雑誌を生まれて初めて買ったのだった。
私は“活字がニガテ”でありまして、小説は全く読まないのです。が、小林さんが書いている、というだけで『小説新潮』なる本を生まれて初めて買った、という経験があります。(;_;)
更に小林さんがコラムを担当し始めたということで『東京新聞』を購読した時期もありました。
まさに“マニア道”、ここに極まる!てな感じがありますが、普通なら見逃したり、立ち読みで済ますものほどコレクションの価値がある、と感じてしまう人を“マニア”と呼ぶんじゃないでしょうかね。
もちろん。これらのことは“御本人”から連絡があってではなく“自分で”探すんですよ。常日頃から念頭にあれば、そう逃したりはしないもので《探そうとする意欲》こそザ・ファン!(おー、コワ)の生きがいです。
そういう意味では高橋君のこの気持ちは実に理解できるものがあります。しかし『月刊レコパル』を“一度も買ったことがなかった”とは、どういう音楽人生を歩んでこられたのか...。(;_;)
8 月 30 日(金)/早速『エスクァイア』での対談裏話的文章<エスクワイヤ日本版 10 月号『ホソノ・アワー(5)』を 1.41421356 倍楽しむ方法>がのっている。ものすごい文字量! 雑誌の本編の2倍以上はある。そして、文章のテーマは非常に深遠な世界にまで広がっている。全文を読んで、“ルール”という言葉に対する認識が変わった。
ここで伝えたかったのは“表”に出ている文章(会話でもいいし楽曲でも同じ事)の“裏”に、どれだけの事柄があるか、ということです。
「だって、そこにそう書いてあればそれ以外は我々には分かりようがない」という態度を取る人は、情報の一面しか理解し得ない。
ラジオ放送でも、1時間番組なら2時間の内容を編集している。つまり1時間はカットされている、と考えたほうがいい。(比喩ですヨ)
もっと“情報”からいろいろなことを引き出したいなら、一度“発信側”を経験すべきです。発信する側に立ってみると、文字や言葉では、考えたことのスベテを表現することがいかにムズカシイかが身にしみて分かるハズです。
コレが分かると、どんな活字でも発言でも「これは一部なんだ」という前提に立って理解するようになります。《情報を正確に把握する》にはこの態度が重要です。
一部NETに以前あった、そして多分今でもあるであろうイザコザの原因はコレです。お互いが“一部”であるものを“全部”と看做して激論する。それは結果的には“揚げ足取り”にしかならない。泥沼化する。最後には筒井康隆さんの電脳での“爆弾の絵”のような後味の悪いものとなる。
インター・ネットでも、もう起きているんだろうし、これらは“不可避”なことでしょう。しかし、我が《アミーゴ・ガレージ》は、このような時間のムダは、避けたい!
そこで、世の中に登場するいかなる文章も発言も、実内容のほんの一部にすぎないのだ!ということを知って頂くために、この『ホソノ・アワー』を使わせて頂いた。
内容の詳細よりも、その“大筋”を理解して頂けるとありがたい。
ただ“一粒で何度でも美味しいナイアガラ”が私のモットー。他の味わいも感じられたというのならそれはそれでウレシイものがあります。
8 月 31 日(土)/かねてからの懸案であった“我が家におけるAMラジオの不在問題”を解決。久々にラジカセを購入した。これまでなくてもよかったが、“アミーゴ・ガレージ”の<落語番組案内>を読んで、NHK ラジオ第一に『ラジオ名人寄席』という番組があることを知り、これは録音しまくらなくてはと考えを改めた。大瀧さんが直接 NHK から取り寄せた“演目予定表”は、どんな番組ガイド雑誌よりも役に立っている。
インター・ネットに限らず“情報”の有効性というのはこういうところにあるのではないか、と私も思っています。“個人の駄文”などよりは、このような“(すぐに)利用できるもの”にこそ価値がある。
映画関連のものなどでも、《私の好きなものは》などとやられるよりも“今”見られるもののガイト。そしてそれを“共有”した上で語り合う。何よりも先に共有なくして何百の言葉を駆使しても、砂上に水を撒くことと同じ。
「興味がない」「面白くない」の殆どは“共有”がないからだと私は思います。(“盛り上がらない”は完全に共有がないことを言いますネ)
但し!“無理強い”した《共有》は本物の共有とは言えません。ここがムズカシイところです。
私が逆の立場にいたとして、「落語とはそもそも...」なんてやられるより「まずは聞いてみろ」という観点で情報を流してもらう方がいい。
私は『習うより慣れろ!』派であります。だから“習う”という姿勢の人には“慣れることが大事!”ということを知って欲しいために突き放します。(コレが分かる人は少ない、というのが実感ですが、敢えて説明はしないことにしています)
今まで、少ないながらもいろいろな人と知り合いましたが、《習う派》と《慣れる派》は確実に存在しますね。で、モノになっている人物は必ず“慣れる派”です。これは100%断言出来る。
“習う派”はカタチに囚われすぎるのと“依存心”が強い。“待ち”の姿勢ですね。一方の“慣れる派”は独立心が強く“攻撃”型です。失敗も多いのですが、ソレから学んで自己を高めていく。
なぜ《アミーゴ・ガレージ》には“音楽”に関することが少ないのか?
音楽なんて聞くもんデッセ。
そして落語も聞くもの。“そのもの”を聞かずして“そのもの”を語る心の空しさよ!(あー、忘却とは忘れさるものなり。『君の名は』全巻のオシマイ。←---痴楽調に(^_^))
お経も百回唱えると意自ずから通ず、といいます。学問に王道なし。野球に長嶋道あり。四の五の言ってないで“飛び込むこと”以外にジャンプの道なし!です。(しかし、合わないと感じたものをムリヤリやるのは体に悪いですから、すぐにやめた方がいいですヨ。別に“なくても・なくてもいいもの”だらけなんですから、世の中なんて)
9 月 23 日(月)/ここ 2 週間ほど、ほとんど更新がなく少々不安に。
『アミーゴ・ガレージ観察日記』を“更新”をテーマにすると先行きこの不安と連日同居することになるでしょうね。不定期を高らかに謳いあげているページですし、《突然消滅する宣言》まであるところですから。
ことは《観察》であるならば、テーマを“更新”に拘らずに、その“観察者”を主人公にして観察したままを書く、という思想の180度転換も一考ではないでしょうか。
『シベリア鉄道』ではないのですから“ついて行くのに疲れて”(;_;)ではオキノドク。(小林旭調に『ついておいでよ』と言った覚えはないのだが(^_-))
人間、気分的な意味でも“隷属”という概念を、無意識にでも後ろに抱えていると、“疲れます”ヨ。
老婆心ながら。
以上で《アミーゴ・ガレージ》観察日記の観察日記、第一回を終わります。高橋君、御苦労さまでした。m(..)m