ナイアガラ・ガラクタ・スプラッシュ (Splash 1 - 5)
ナイアガラ・ガラクタ・スプラッシュ (Splash 1 - 5)
Splash 1: 謹賀新年(1997.1.1)
明けましておめでとうございます。
昨年の6月9日にスタートしましたこの《アミーゴ・ガレージ》。まだ“半年”ですがこの“盛況”、これも偏に参加者の御協力・御努力の賜物と感謝しております。
まだまだ試行錯誤の段階ですが、基本的なことは出来上がりました。
一番ウレシイのは、参加メンバー諸君が続々と自分のホームページを持ち出したことです。
《直》のコミュニケーションを求めるのが一般的な“ファン心理”というもの。メールの返事書のために早起きして午前中を費やしておられるスーパー・スターもおられるとか。
我が《アミーゴ・ガレージ》の参加者は、とにかく「私を煩わせないように」「余計な気遣いをさせないように」と、殆どメールを送って来ません。(その気の使い方たるやスゴイものですね。“感謝”しています)
その代わり。
彼等は自分のホームページを立ち上げている。
そこでの“間接的”な会話は、他の人にも読めます。つまり第三者も参加出来る。基本的に“直”のコミュニケーションとは《私的》なものです。その“私的”なものを出来るだけ《公》のものにして行こう。
それが『PUB』の本来の意味合いでしょうし、それに関連した語句が“PUBLISH”です。(どちらもpublicが元。反語はprivate)
《相互交流》なることが、本当にあり得るとしたら、私的なメールの交換よりもお互いがホームページを持って“公開”し合う。これではないでしょうか。
《アミーゴ・ガレージ》は“真の”PUBを目指しています。
「メールの交換はホームページで行いましょう」なんてキャッチ・フレーズはどうでしょうネ。
よく「ゴミが増えるだけだ」と訳知り顔で語っている人をみかけますが“ゴミ”の余地のないものはツマラナイものです。“私的”な関係なら個人個人が行えばよい。インター・ネットではそれをいかに“公”に出来るかを常に考えつつ参加するものではないか。と、この半年間経験してそう感じました。
コンピュータに強い人も、また初心者も、ホームページを立ち上げるその“努力”は並々ならぬものがあったと推測します。これは冗談抜きで、本当に「ご苦労さま」といいたい。
殆どの方々は28.8のモデムを使用されているでしょう。私もこの暮れ、久々にこのスピードでアクセスして驚きました。「こんなに遅いのか!」と。
思えばインター・ネットを本格的に始めた昨4月(プロバイダには95年に加入しておりました)あまりのノロさに“速攻”ISDN導入を決意。
ホームページがアメリカ移転をした頃(7月28日)には“快適”なインター・ネット・ライフになっていたのです。
もちろんISDNでも混雑からの遅さは回避出来ませんが、でも“最低”これくらいのスピードが実現出来ないと、とても普通のインター・ネット・ライフとは呼べないと思いますヨ。
ましてや皆さん、それぞれお仕事をお持ちです。アクセス出来る《時間》は限られている。その中での連日のアクセスやホームページの立ち上げだったことを考えたら、本当に頭が下がる思いがしました。
NTTが宣伝していますが“本格的”に始まるのは《2005年》からでしょうね。結局は衛星使用も含めて《回線》の問題に尽きるようですから。
運良く長らえることが出来たなら《2008年》に私は還暦を迎えます。
昨年の“CD解説”にも書きましたが「60歳になったら“ラジオ”を始める」とはまさにこのことだったのですね。
ナイアガラのインター・ネット本格参入は“2008年”ということになりそうです。
それまでは準備期間。そういう意味ではこの半年間《アミーゴ・ガレージ》は理想的な動きを見せたといえます。
日本型社会は常に《縦》の構造で動いています。《上下》です。
ホームページのあり方にしても《本家》と“分家”という縦構造になりがちです。分家の中でも本家争いが起きたりする。「本家の動きがないから分家が動かない」というパターンにも陥りがちです。
これでは“他動型社会”と“他動人間”から脱却できません。本家がなくなると自分もなくなるのです。
またこの構造は、相手に対して《要求・要望》のオン・パレードとなり“相手を動かす”ことだけに終始します。そして、
自分は“動かない”。
問題は“自分”が動くことなのです。自分が動かない限りは何も起こりません。(“どう”動くか、という問題はありますが)
《アミーゴ・ガレージ》の参加者は“自分”で動きます。しかも皆さん“独自”の色があります。更に横の繋がりもある。(この行動力には驚きました。実に『うれしい予感』の第二弾『うれしい誤算』でしたヨ)
【ナイアガラ】という大きな総体のもとでは《アミーゴ・ガレージ》とて参加者の一員です。
“ナイアガラ”はそういう理想・理念のもとに行動を行って来ましたし、この《アミーゴ・ガレージ》の基本理念も同じです。
そして最後の最後の理想は、
《アミーゴ・ガレージ》がなくなったとしてもその横の関係が続くことでしょうね。(アイロニカルな表現ですが“真理”ではないでしょうか)
今年も恒例の『新春放談』(1月5・12日)で幕開けです。
第二回目には“聞きもの”も用意されています。
2月にはFM横浜出演予定。それから高田文夫編『江戸前で笑いたい』という本にコミック・ソングの原稿を書きましたが3月頃に出版予定です。
今年は『多羅尾伴内楽団』『夢で逢えたら/シリア・ポール』から20年です。これらに関連したものも“地味に”あるかもしれません。(当社比)
どちらにしても、これからのナイアガラの“動き”はこの《アミーゴ・ガレージ》を“中心”に行います。(多分「終わるまで続くと思います」(>_<))
実に私にとって好都合のメディアが現れたものです。
“長生き”して良かったと思っています。
『信長』までは後1年と7ヶ月と28日ですからね。
“地獄の旅の一里塚”である《元旦》ですが、お互いに生きているうちです。
せいぜい楽しみましょう。
以上、初めての“新年”を迎えた《アミーゴ・ガレージ》の初荷メッセージです。
本年もヨロシク!
P.S.
現在『ラッツと私』を昨年より執筆中。健太君のコラージュによる表紙は出来ているのですが本文があと少しです。近日中(当社比)にアップします。
そして後には『布谷文夫と私』『伊藤銀次と私』が予定されています。
Splash 2:『新春放談 97』(1997.1.12)
『新春放談1・2』も無事終了。これでナイアガラの“松の内”も明けた、というカンジですね。
それにしても“クマ&each”の「幸せにさよなら」はナカナカのモンだったでしょう。本人達がビックリしたんですからネ。
山下君の“老成発言”を聞いて私もあの頃を思い出しました。(番組で私が「27才」と訂正していますが山下君の発言通りあの時私は「28才」でした。再訂正致します)
確かに私はかなり“老けた”(^^;)歌い方をしていましたネ。まったくオハズカシイ限りですが、あの頃に“強く”思っていたことを思い出しました。
それは「フツーの歌ならいつでも歌える。フツーの曲ならいつでも書ける」ということでした。(その“フツー”は実は簡単なようでムズカシイんですケドね)
時期でいうならこの『トライアングル 1』のレコーディングは吉田美奈子クンの「夢で逢えたら」を作った直後です。
今となってはあの曲があの時に大ヒットしなくて良かったですね。そうでなくてもあの後“ああいうタイプ”への要望が強くなり、《音頭》への没頭はその要望を抑える意味合いもあったのです。(“要望”が強くなればなるだけ「やらない」んです。あまのじゃくですから。因みにロンバケの頃は「どうしたの?マジメになって」といわれたくらい私に対してフツーの歌の要望はなくなっていたのでした)
76年当時、「夢で逢えたら」を作詞(^_^)作曲していた。フツーの歌も歌えた。 アルバム『夢で逢えたら』では六本木ソニーを使ってロンバケ調のサウンドも出来上がっていた。
こういう状況下でナニユエに“フツー”のことをやるのを拒んだかというと“フツー”を見せると“フツー”しか要求されなくなるからなんですね。(“無視”してもいいがそういう声は意外に“ウルサイ”)
それから“見えた”ものよりも“見えない”方を選ぶ“性癖”もあります。(例え“失敗”の確率が高くても)
未だに「どうして“ああいう”ことをやるのか?」とか「なぜ“そっち”をやらないのか?」という質問が後を断たないのはそういう“性癖”が直っていないという証拠なんでしょうね。
「あのオヤジはインター・ネットに現を抜かして他のことには目もくれない」(一体何をしているんだ?)
口には出していわないまでも“大方”はそう思っているでしょう。
分からないんでしょうね。
見えないから面白い。面白からやる。
“単純”なことなんですケドね。
チョト長くなりましたが「幸せにさよなら」を聞いて、20年前も“分かった時点でやめる”という性癖だったことを、我ながら再認識しました。(詳しくは項を改めて後述します)
『年賀お返事』
さて、数人の方から《年賀》を頂きました。一人一人に返事が出来ませんので“マトレス”致します。
「新春放談を聞いて“生きてらしてよかったです”」というのがありまして、“シャレ”かな?と思ったら、例の《田代コメント》のことで「もしかしたら..」と本気で心配したそうです。
とあるレコード会社の社員さんの家庭でも紅白観戦中「“大滝詠一”って誰?」とか「いつ死んだの?」と聞かれたというハナシです。
いろいろと(私の(^_^))“話題”を呼んだ『紅白』だったようですネ。
それから『新春放談』を聞いてこの《アミーゴ・ガレージ》に初めてアクセスしたという方や「ようやく“到達”したゾ!」というメールも頂きました。
山下君いうところの築地の路地裏が実現している証拠なのでしょうか。
それから「プリント・アウトして読んでいます」というメールが何通かありました。これは“我々”(仕事の関係者)もそうですが、肝心なものは画面スクロールではなくプリント・アウトして読んでいるんです。
不思議なもので、モニター画面のスクロールと《印刷活字》とでは“説得力”が違うように思えるのです。(“慣れ”なのかもしれませんが)
特に《長編》は、スクロールしているうちに前を忘れるというか、イマイチ心に引っかからないんですね。部分部分は印象に残っても到達する“深さ”が印刷された“活字”と違うように思えます。(ワタシも《言霊信仰》者なんでしょうか(;_;))
これは“誰でもこう思う”という問題ではないかもしれませんが、もし試したことのない人は一度やってみる価値はあると思いますヨ。同じ文章でも違った迫り方をしてくるかもしれませんから。
「現在ホームページを作ろうと日夜格闘しております!」というメールも何通か頂きました。今年はホームページ参加者はどれだけあるのでしょうか、タノシミです。
『ナイアガラ観光船』
ホームページ上での“会話”を活発にするために《ナイアガラ観光船》~霧の乙女号を発進します。
ただし!
取り上げられたからといって喜び過ぎないように。また、取り上げられないからといって落胆しないように。
お互い“勝手に”やっていることですから“返事”を求める種類のものではないことを肝に命じて下さい。私も“サジェスト”はしますが“リクエスト”はしませんから。(本来なら「神様は返事しない」そうですからネ(^_^))
一つ心配なのはこれが不定期感覚にプレッシャーを与えはしないか、ということです。
「あっても気にするな」とはいえ「あればあったで気になる」というのが人情というもの。
この観光船の発進でコミュニケーションのやり方に“重み”を感じたなら早期に閉鎖します。“軽い”ノリを目指しますのでどうかそのつもりでお願いします。(クドイかもしれませんが過度な期待は興ざめですからやめましょうネ)
『20周年記念』
それから山下君との『新春放談』で思いつきましたが、今年の6月に“20周年記念”としてシリア・ポール嬢の『夢で逢えたら』のリイッシューを致します。
彼の「ぼくは聞きたい!」という“一言”に動かされました。
これはたった“今”私が思いついたことで、レコード会社関係の誰も知り得ない情報です。これぞインター・ネットでんナ。
全国の“シリア・ポーラー”の方、お喜び下さい!
(“新語”だぞ“新語”→ノージ)
更に更に、昨年から企画段階にありました布谷文夫のアルバム『悲しき夏バテ』に“ナイアガラ作品”をボーナス・トラックに加えた『布谷文夫 in ナイアガラ/アミーゴ伝説』(仮題)もリリースしようかと考えております。(当社比)
そろそろ彼等のリイッシューの時間のタイムがやって来たようです。
『干支周期説』
干支の一回りは12年。ベルウッドの『ファースト』中袋の私は約1才半。手に持っているのはクリスマス・プレゼントのハーモニカです。毎日童謡を歌う子供から“こぶ取りじいさん”“パック”へと。そして野球と相撲の日々。将来は落語家か新聞記者。(幼・少年期)
二回り目は61年から72年。(誕生日が7月28日なのでこういう計算)エルビス・スペクター・4シーズンズ・BB5・ビートルズと“ポップス漬け”。後半の69年には〈はっぴいえんど〉で音楽活動を始める。(青年期)
三回り目は73年から84年。ここは『サイダー』から『イーチ・タイム』まで。まさに(音楽的な)人生の黄金期でした。(壮年期)
四回り目は85年から96年。小林旭の「熱き心に」でスタートしたのが象徴的でしたね。それから“運命の”『分母分子論』の発表。(老年期)
この『分母分子論』に関しては殆ど“誰も気づいていない”世界ですからね。まさにこれがこの時代の《私の新作》だったんですケド...。
クレイジー・キャッツ、トニー谷、フランキー堺、三木トリロー、橋幸夫、東京ビートルズ。改訂版の『普動説』からNHK-FM『日本ポップス伝』、そして朝日でのエルビス論と1/23日発売予定の『江戸前で笑いたい』に於るコミック・ソング論。ここでは“歴史検証”を行いました。
これが《私の48年間の歩み》です。
となると!
この97年から五回り目となるんですね。(実質的には今年の誕生日からですケド)
しかも《老年期》が終わったのです。
ということは?
もう前も後ろも、右も左も、新しいも古いも、老いも若きも、生きるも死ぬも。
もう“どうでもよい”ところの《NON-FRAMEの時代》を迎えたということです。
今までも、そしてこれからの行動にも、1個1個にはそれなりの“縁”があります。
が“縦”列の縁だけで捉えては本体を見失います。
縦横無尽
“縦”だけではなく《横》も《斜め》も座標軸として考えて下さい。(更には《次元》までも)
今までのフレームを外さないと見失うことが多くなると思います。
これからは《還暦前の一暴れ》です。
P.S.
昨年の紅白コメントは、人生の四回り目が終わって一旦“死んだ”ことを象徴していたのカモよ(^_^)。「次を生きる」には一旦死なないといけないからネ。田代君には非常にありがたくしかも深い意味合いでの“幕引き”をして頂いたのかもしれません。“感謝”します。
この《アミーゴ・ガレージ》が“霊界通信”であることは知っている人は知っている。老年期の次がある、ということはフツーならあり得ない生きて実現する死後の世界ということ(^_-)。
これをまとめて吉例の一句に。
『これからは 還暦前の一暴れ 生きて実現 死後の世界を』
(徒然)
Splash 3:『新刊2冊』(1997.2.2)
まずは『江戸前で笑いたい』(筑摩書房)。
高田文夫センセに声をかけられて“うっかり”(^_^)誘いに乗ってしまったらこうなってしまったのでした。
他にはNHK落語番組でお馴染みの玉置宏さん(勉強になりました)や鴨下信一さん、山藤章二さん、吉川潮さんなどの“お歴々”の間に挟まっての若輩の末席汚し。チョイと“無謀”とも思いましたが、そろそろこのヘンでノロシを上げておかないとこれから“他の事”に集中するためコチラの方面は少し“お休み”になるので敢えて挑戦してみたのです。(私、もうすぐ50歳ですが、あのような方々の中に入るとまだ“若輩”なんですナ、これが)
でもね、こういうパターンって“好き”なんですヨ。
年上や年季をいいことに、年下やくみし易い人間を集めて“お山の大将”になる愚を自ら戒めるためにも、時々先達の中に入って揉まれるのは私にとって貴重な体験なんです。(ものを分かっていない人間というのは、こういうパターンが分からないんですナ。「そんなことをしていないでコッチをやれ」などというセリフは、殆どモノの分かっていない人間が吐く言葉なんですね。人生に“余計”なものなんてないのですヨ、チャゲ・飛鳥ではありませんが。“余計”だというのなら「(この世の)全てが余計なもの」でしょう。“他人”が判断すべき筋合いのものではないのです。《しあわせ》なるものも、他人が判断するものではないという意味で、似たようなものではないでしょうか?)
これはいつかまとめる予定であるところの《分母・分子論》《普動説》を下敷きにした『日本ポップス伝』のコミック・ソングのパートを先に“抜萃”したものなのです。(本編はもっと沢山取り上げます)
一つ岸井明の項で歴史的な間違いがありました。この人は“戦後のジャズ・ブーム”の人ではなく大活躍していたのは“戦前”だったそうです。(因みに「スーちゃん」の副題は“スイート・スー”です)
やはり得意分野でないとミスが出ますね。(;_;)
この岸井明を入れるのをどうしようか、実は迷ったのですが“将来のために”入れてみました。(予想通りミスりましたが、これで次に出る完全版はミスらなくて済みますので、取り上げて正解でした)
字数の制限があり、説明不足のパートが“多々”あります。
特に『森繁』さんのコーナーは、敢えて説明を少なくしたこともありますが、将来的にはここだけで一冊になるほどのデータ分量があるのです。
ここへの反論・疑問は多いことは“敢えて”承知の上で書きました。ま、将来出る本を楽しみにしていて下さい。(“森繁が演歌の元”なんて今まで誰もいってませんし、この見出しだけでは「何だソレ」というものですからね。説明すると“長い”んですよ、コレが。新しいところではカラオケ、古いところでは明治の民権運動、更に古くは祭りや寄り合い等々、全部説明してその共通項を吟味すると“森繁”さんが全てに当てはまる、というものです。中山晋平さんも古賀政男さんも、ひばりさんも都はるみさんも北島さんも一つ・二つ当てはまらないものが必ずあるんです。ま、《演歌》なるものの『概念規定の問題』といってしまえばソレでオシマイのものでもあるんですが、結構面白い読み物デッセ。あと10年待ってネ(^_^)。“すぐ”だから。“その前”にやらなきゃならないことがあるんでネ)
それ以外は、短時間で書いたワリには良く出来ていると我ながら思いますヨ。
発注を受けたのは昨年の夏。軽く引き受けたのですが一向にその返事が来ない。「企画がなくなったのだろうな」と思ってそのままにしていたら突然10月末頃に「どうなりました?」とFAXが。
それから書きはじめたのですがナント例の“落合・清原問題”が勃発。両方書かなければいけないのでタイヘンでしたヨ。細かいデータもチェックせずに“記憶”で書きました。(野球のハナシはデータを調べましたケド)
てなワケで、ナイアガラ・コミック・ソング、つまりは“ナイアガラ・ソング”を深く知るためには足しになると思いますヨ。ついでに日本歌謡史の一つの流れも理解出来るようになっています。
更に朝日に書いた『エルヴィス論』と繋がったものであることを理解出来れば、エルヴィスがコミック・ソングという範疇で捉えられるならSMAPが現代のあきれた・ぼういずであることぐらい、想像力の飛躍がなくても簡単に理解出来ることだと思います。
ナント!発売1週間で“二刷”が決定したそうです。(高田サン、やりましたネ(^_^))
因みに二刷からは岸井明の項は“戦前”と訂正して頂けるそうなのでミスのある《初版》は高値が出るカモよ。
続いてナイアガラに“直接”関係あるものではありませんが、内容に於いて私のコミック・ソング論を補填して頂けるアリガタイ本が同時期に出版されました。
それが小林信彦さんの『現代〈死語〉ノート』(岩波新書)です。(岩波書店の新刊案内のリンク)
今までに“死語”を扱った本は山ほどありますが、これほど“時代がクッキリと見える”本は初めてです。
ナイアガラーと小林信彦ファンを兼ねている人がいることはこの《アミーゴ・ガレージ》では有名なことですが、今までのものが少しムズカシイと感じた方にも今回の本はダイジョウブ。読み物として資料として“必読&必携”です。
“死語”となったものの殆どはいわゆる“流行語”でした。そして流行語とコミック・ソングとは切っても切れない関係にあります。
私のコミック・ソング論と小林さんの“死語”の本、合わせて読むとタノシミが倍増します。
Splash 4:『FM横浜出演』(1997.2.2)
来る2月7日(金曜日)、19時30分よりFM横浜に生出演致します。
“生”は一昨年の1月にLFの「ラジオ・ビバリー昼ズ」に出演して以来2年ぶりです。
内容は“我が心のリバプール”。
1960年代の中期、同じ楽曲を、方や本場のイギリスで、方や東洋の島国・日本で、“同時に”聞いていたピーター・バラカンさんと大瀧詠一が実際はどう聞いたのかを比較・確認するという、今までにありそでなさそなウッフン企画。(古い!)
3年前の94年3月16日、TBSラジオで放送した『ビートルズ・スペシャル・コレクション』の続編です。(この放送、聞きのがした人多いんじゃないかナ)
FM横浜は93年10月8日、“ハマラジ開局記念スペシャル”以来4年ぶりです。(あの時はアシスタントが光岡ディオンちゃん、ゲストが佐野史郎さん・永井美奈子さん・高田文夫さん・萩原健太さんと“豪華”でしたねぇ)
ディレクターはTBS時代の「ゴー!ゴー!ナイアガラ」スタッフ、“シャララ・カンパニー”佐藤輝夫さんです。(梅木マリ命の“みっちゃん”こと光原さんもFM横浜におられます)
スージーさんも“応援”にかけつけるとの由。
楽しい放送になりそうです。
お聞き逃しのないように。
P.S.
放送エリア以外の人はオキノドクですが、誰か“活字おこしボランティア”が挙手してくれるといいのですが。(全文はムリでも概要や感想を書いて頂くのがヨイかもしれませんネ)
Splash 5:『我が心のリバプール』(1997.2.8)
ホストとしての“初の生放送”、事故もなく無事終了致しました。
【業務連絡】をかけた横浜国大の“ヤツ”さんをはじめ他の常連の方々、メールでの参加、ご苦労様でした。
番組の冒頭でアドレスを読み上げたのに最初の20分間ぐらい1通もこなかったので“つい”業務連絡をしてしまったのでした。(途中からは連続して到着するようになり大盛況となりました。言ってみるモンですネ。最初はアドレスが分かり難かったのでしょうか?)
番組内容は前回も申し上げた通り3年前の94年3月16日、TBSラジオで放送した『ビートルズ・スペシャル・コレクション』の続編です。
この時は55年の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」から「抱きしめたい」までの米・英・日の音楽状況を比較検討、年代を追って代表曲を選曲しカッチリと構成したものでした。
今回はその“続編”としてビートルズ登場からの2・3年間をランダムに選曲し、ピーターさんをお迎えして当時の英国の“生の”状況をお聞きしようという企画でした。(ですから前回のような日本・米国との“均等”比較にはなりませんでした)
今回、前回のようにキッチリとした構成にしなかった理由は簡単で“生放送”であり、しかも途中に別枠が数回入る中断がある、という番組編成だったからです。
これが“録音”で、中断が一切ないならば、最初からシッカリと構成します。(前回の放送を聞いた方ならこのへんの事情はお分かりでしょう。一昨年の『日本ポップス伝』然りで、私の放送でこのようにランダムな構成は非常に珍しいものです)
つまり今回はリハーサルと最初から決めていたのです。
この“内容”に関しての《完全版》は『日本ポップス伝』の中のリバプール編として作ります。
一つお断りしておきたいのは、今回のピーターさんは前回よりも“個人”に寄っていたということです。歴史的な事実より個人の体験を主に語られた。(もちろんそれが番組の一つの意図ではありました)
彼は“彼の嗜好”を述べたのであって、別に英国人が全員あのような解釈であった、というワケではありませんから誤解のないように願います。(FAXにそのように解釈しているような文面を見受けたので)
更に日本人が本国とは違った解釈や受け取り方をしたからといってピーターさんは“個人的に”違うんじゃないかと思うところはあっても別に“批判”しているのではありません。
“彼は”ハーマンズ・ハーミッツが“嫌い”だ、といっているだけで、別にそれを日本人が選らんだこと自体を批判しているのではない。
ここを“勘違い”しないようにネ。
私の“態度”に関しても、別に「日本人が英国と違うものを選んだからおかしい」といっているのではありません。そういう“事実があった”とだけいっているのです。
よってハーマンズ・ハーミッツを一つの象徴としてリバプール・サウンドの日英比較が語られるのは視点として全くズレたものになりますので、ここも誤解のないように願います。
とにかく、この放送は“リハーサル”です。内容に関して本格的にウンヌンしたい方は私の《完全版》を聞いてからにして下さい。
前回のTBSの時に感じたことですが、「もし私も英国に生まれていたらハーマンズ・ハーミッツやフレディー&ドリーマーズのレコードは買っていなかったかもしれないな」ということです。(私はハーマンもアニマルズもシングル所有率はコンプリートに近い)
例えば60年代中期の《GS時代》。私の“好きだった”グループはスパイダースやダイナマイツ、モップス、ビーバース。
間違ってもタイガースやテンプターズ、オックスのレコードは買いませんでした。(といって別段キライということではなかったのですがネ。私は番組でも言いましたがキライな音楽はありません。英国・南北米、ヨーロッパ、アフリカ、中近東・アジア、ロシアに南極や北極、そして宇宙と、場所がどこでも音楽の内容が高尚だろうがくだらなかろうが、苦しみでも楽しみでも、白人でも黒人でも、キライなものはないのです。→「どうでもいい」のカモしれない)
ひょっとして私にとってのダイナマイツはピーターさんにとってのスペンサー・デイビス・グループでありモップスはアニマルズであったのかもしれない。
私にとってのタイガースやオックスはピーターさんのハーマンやフレディーだったのかもしれない。
テナことを感じました。
“ネイティヴ”とは面白いもので、言語の違いだけでなく、その“嗜好”にも大きく関わっているんですね。
ピーターさんとの対談はこれで二度目ですが、前回同様私が思っていることは、いかに大学で日本語を専攻し、来日して20数年が過ぎているとはいえ、ネイティヴ言語以外で語るのは大変だろうなぁということです。
自分が“逆”の立場になった時のことを考えると容易に想像がつきます。私が英国に行って日本の歌謡曲のことを聞かれたとしてもピーターさんの10分の1も英語では語れない。それを考えるとピーターさんの努力は並み大抵のものではないと推測されます。
本来ならピーターさんが英語で、私が日本語で、というのが一番“フェア”なのでしょうが。
多分彼は頭の中で、英語で発想したものをトランスレートしていると思います。(英語で考えたものを日本語にしているということは、彼は“通訳”を兼ねているということですね。一人二役をこなしているということです)
我々は日本語で発想して日本語で語っている。(発想と発言のタイム・ラグがない)
番組は全て日本語で行われましたので日本ネイティヴが圧倒的に“有利”な状況下で行われたのです。
来日外人の方に対する場合、ピーターさんに限らず、それの考慮・配慮なしに会話を行うべきではない、と私は考えます。(いかに相手が“流暢”な日本語であっても、です)
これは決して相手を甘く見るという排斥主義的なものではありません。発言される“言葉”そのものではなく、彼の言わんとする内実を受け取ろうとする心が大切だということです。(全く日本人と“同じ”ように接する方が相手の日本語の修得率は高くなる、という説が“有効”であることを認めた上で)
ということで、3時間という長丁場ということもあり、ピーターさんはかなりお疲れになったと思います。
この場を借りまして感謝致します。本当にありがとうございました。
またコーナーごとに静かなテンポに戻してくれたアシスタントの加藤美樹さんもオツカレさまでした。(家に帰ってグッタリしたと思いますヨ)
エンジニア君、アシ君、佐藤輝夫ディレクター、光っちゃん、オツカレさんでした。
これが今回のスタッフ全員の記念写真です。
更に“詳しい”模様は《観光船》で。