ボンズ対策 (2002.10.18)
いよいよ20日(日本時間)からWシリーズが始ります。今回は両チーム共“西海岸”なので開始時間がどちらのホームグラウンドであってもほぼ“同じ”というのがありがたいですね。(9時前後のようです)
当ホームページで御馴染みのスポーツ・ライター小川勝さんから次のような“見所”を教えて頂きました。
ジャイアンツは“このメンバーでWシリーズは最初で最後”という感じのベテランぞろいです。左翼バリー・ボンズ38歳、捕手ベニート・サンチアゴ37歳、中堅ケニー・ロフトン35歳、二塁ジェフ・ケント34歳、一塁J・T・スノー34歳、右翼レジー・サンダース34歳。遊撃リッチ・オーリリアも31歳。クローザーのロブ・ネンも来月で32歳。
殆どが“30歳台”なんですね。因みに今年の東京巨人軍は工藤が“39歳”(クレメンス、ランディー・ジョンソンと同年代!)、桑田・清原・江藤と三十歳台ですが他のレギュラー陣の殆どは20歳台後半です。
ついでにV10を逃した1974年を調べてみましたが、長嶋が38歳(森も同じ)、黒江36、王34、土井・末次32、柴田30、高田29。まさにSFの方のジャイアンツはこの当時の読売巨人と同じような年齢構成といえそうです。
また小川さんから「キューバからの亡命投手の1人、リバン・エルナンデスは97年にマーリンズが優勝した時のWシリーズMVP(当時22歳)でしたが、こういう大きな舞台でヤル気を出した時のこの人は凄いので楽しみです」とも聞きました。
一方のアナハイムは“若い”選手が中心のようですし、その《勢い》であのヤンキース、ツインズを“撃破”して、チームとして《初出場》ですからね。年齢構成というのも大きな見所の一つです。
『エンゼルスがボンズ対策検討』
エンゼルスは15日、19日(日本時間20日)開幕のワールドシリーズに向けた練習を本拠地エジソンフィールドで開始した。ソーシア監督、ブラック投手コーチ、投手陣は、プレーオフで4本塁打、10打点のジャイアンツ・ボンズ対策を検討。ボンズをこれまで7打数1安打、4三振、無四球、0本塁打と牛耳っている救援左腕ショーエンワイスは「ボンズの前に走者を出さないこと」を一番に挙げた。今季198四球のボンズは、四球で出た後、34得点している。しかし、敬遠(68回)されたときは3得点。敬遠の有効性も確認されたが、初戦先発が決まった左腕ワシュバーンは「怖がらないことだ。人生最大の試合になる。走者なしの場面での敬遠は好きでないし、恐れずに挑戦する」と真っ向勝負を明かした。
さて今日の本題はこの“ボンズ対策”。今年の松井でさえ四死球《120》。試合数が多いとはいえ、今年のボンズの四球数《198》という数字はハンパではないですね。その中であれだけの成績を残すんですから、これまた“ボンズ”という選手もハンパじゃない。
確かにボンズの“力量”のなせる業、と、言っていいのですが、その裏側に上記のエンジェルスのワシュバーンの“発言”がある、と私は思います。
「怖がらないことだ。人生最大の試合になる。走者なしの場面での敬遠は好きでないし、恐れずに挑戦する」
小川さんの取材によれば、明徳の監督は試合前から既に「松井は全部歩かせる」と選手の前で明言していたそうです。
ボンズはあんなに打つ。“打つ”とわかっている打者と《勝負する》から打たれる。だから“負ける”。(よって“打つ打者”とは勝負を避ける、と、《名将》などと呼ばれた監督がよく言ってましたナぁ)
もちろんアナハイム監督は(ドジャース出身の“元捕手”)ソーシアですから「ボンズの前に走者を出さないことが重要」ということは、例えばランナー2・3塁のような場合は“迷うことなく敬遠する”という意味でもあると思います。(状況を考えずに“なんでも”勝負することを《真っ向勝負》とは言いません。カブレラの56号騒動でよくこの言葉が飛び交ってましたが、意味性をよく考えて使ってもらいたいものです。“無謀(無策)”まで《真っ向》に入れるのは“間違い”です)
日本シリーズでは“長嶋”さんがよく打ちました。それに比べて王さんの成績は悪いように言われています。確かに“数字”だけを見ると事実ではあるのですが、相手チームが王さんとは勝負しなかったんですよ。
じゃ、長嶋さんとは「勝負したのか?」、と言われると《真っ向勝負》はあまりして来なかった。(あからさまに「長嶋には“長い”のがないからね」と発言していた監督はいましたけど)ではなぜ長嶋さんは結果が残せたかというと、あの人は“悪球打ち”なんです。どんなボールが来ても“食らいついて”打ってしまう。後は、私が思うに、ですが、長嶋さんは相手を“勝負”に誘い込むのがうまかったように思います。業師、でっせ、あの人。一方、王さんは《フォーム》で打つ人でしたから、悪球に手を出すと他の打席にも悪影響が出るし、結果的にはヒットに繋がらない。だから相手が勝負して来ない場合はジッと我慢してたんです。それが“数字の違い”として残ったのであって、決して選手の力量の違いではありません。(“数字”にごまかされると“真実”が見えません)
プレーオフでのジータやボンズは打ちまくりました。明らかに“危ない”場合はいかにメジャーでも勝負を避けますが、ワシュバーンのような「走者なしの場面での敬遠は好きでないし、恐れずに挑戦する」という投手が向こうでは多いし、監督はそれを“容認”している。(正確には「せざるを得ない」、ですね。なぜなら《客》が要求しているから、です。森監督が西武時代に野茂・清原の勝負について、「ヤツらは試合を度外視して二人だけでやっとるからな・・・」と“批判的”なコメントを出してましたが、ワタシは“だから”現場に見に行っていたんですけどね)
今年の終盤の巨人・阪神戦、東京ドームでの試合でしたが、粘る阪神側は高橋にデッドボール、松井に四球と、“危なそうな”選手には明らかに勝負を避ける戦法に出ました。そして“最後”はナント《川中》の(プロ入り初の)サヨナラ・ホームラン!という結果で終る、という試合がありました。
私はこの試合を見て「日本野球が失ったダイナミズム」というものを感じました。
村山実が、最終回に長嶋と勝負を“避けた”なら、あの(阪神ファンが“ファウル”だと思っている)天覧試合でのサヨナラ・ホームランは生まれていませんでした。あれが延長戦に入って、長嶋ではなく“坂崎”あたりのサヨナラ・ホームランだったら、ここまでの(プロ野球の)語り草になったでしょうか。(例に出した坂崎選手には申し訳ないけど)
これまた例に出す“川中”選手には申し訳ないけど、新聞の“見出し”が作りずらいですヤン!阪神に限らず、「巨人に負けたくない」は分かりますよ。あるいは「松井に“だけ”は打たせたくない」とか。でも、“相手の本拠地”の場合はハラを括りましょうよ。(甲子園では、長嶋も村山には大振りの三振をしましたし、王も江夏のボールを空振りしました。掛布・バースと二連続ホームランされても次の岡田にも“勝負”しましたよ。“勝負”したからあの語り草となった《三連続》が生まれたのです)
勝負したって必ず打たれるというものでもないのに・・・。(もし打たれたとしても、翌日は「松井、サヨナラ!」とか「ヨシノブ、決めた!」とか、見出しがラクです。重ね重ね川中クンには悪いですが、その方が新聞は売れますし、テレビでのアナウンサーの興奮度も違って来ます。見出しのためにワザと打たれろ!とは言いません。でも“勝負”してくれないと、何も起きないし、逆にどうでもいいことが起きてしまう)
アナハイムが明徳監督さんなら「ボンズは全部歩かす!」と語っているかもしれない・・・。(それが“勝つ”ためだ!と・・・)
「高校野球とプロとは違う」、という意見もあるでしょう。しかし、高校野球は言ってみれば“名誉”の戦いですが、プロ野球は負けたら明日の食いぶちが失われる危険性があるわけですからそっちの方が“切実”なハズですけどね。(ま、それだけ《名誉》の方が“重い”、という御意見もあるでしょうケド・・・)
やっぱり《勝負する》という背景にあるのは「見ている人がいる」ということですよね。もし孤島でたった二人だけの決闘なら、誰も見てないわけですからどんな戦法を取ろうと自由ですが(この場合でも“美学”を持つ人はいるでしょう)公衆の面前であることと、その中には“未来”を作る重要な構成員である《子供》がいるんですよ。
私は『“あからさま”な勝負の回避』は、自らの“未来”を閉じてしまっている行為、と見ます。
第一“楽しくない”でしょうが!
なんで楽しくもないものを、カネ払ったり、貴重な時間を費やしてまでつき合わなくちゃならないのか。
メジャーにも《敬遠》はある!しかし、弱腰や“卑怯な”敬遠は少ないぞ!
松井君!!!メジャーの方が楽しいぜ。別の“苦しみ”も多くなるけど、“本当に”野球をやっている気分になるし、子供頃、田圃でやってた頃を思い出すと思うよ。「あ!“これ”が《野球》だったよなぁ」と、間違いなく実感すると思う。
その国でも《連続五敬遠》されるような選手になったら、それはノーベル賞モンだよ。
P.S.
それと“面前”以外で《勝負》について思うことは、またまたエンジェルス・ワシュバーン投手の発言で、
「怖がらないことだ。人生最大の試合になる。恐れずに挑戦する」
ワタシもまだ死んだ経験がないので正確なことは分からないのですが、この投手は多分死ぬ間際に「オレは“あの”ボンズとの対戦では逃げなかった。勝負した!」という実感が脳裏を過るんじゃないでしょうか。
《人生最大》の試合、と自ら言ってるんですからね。
「人生最大の勝負」を“避けた”人って、「オレは避けたぞ!」と人生の最後に強くは思わんでしょう、いくらなんでも。(悔恨として「あの時オレは勝負を避けたんだよなぁ・・・」と思うことはあるとしてもね)
自分の人生と、相手も人生も、大切にしましょう。
“結果(数字)”よりも《実感》を!
「生きてる!」って、“そこ”にしかない。(あの「いざ、 勝負!!!」の瞬間って、気持がいいんだよねぇ。ホント、 “結果”なんてどっちでもいい)