日本シリーズ第三戦 (2002.10.29)
試合開始前の“ヨシノブ”選手のキビシイ顔つきを見て、巨人側に“油断”のカケラもないことが分かりました。
しかし、さすがに相手の本拠地、初回の巨人選手は少し“かたかった”ですね。チャン・ズージャ投手も初顔合わせなので打者は「最初は見て行く」という戦法を取ったようです。
何と言っても初回のピンチでの《工藤の大芝居》。あれですよ!小関のボールが当たった時、大して痛くもないのに“治療”と称して(笑)ベンチに下がりました。(“小芝居”、とも言いますが)
西武の攻撃にハズミが出来かかった時に、それを鎮めるために“敢えて”痛いフリをしてベンチに下がったのです。ああいう“芸当”も持っていますからね、工藤投手。
ベンチに下がって気持を静めた。あれが良かったのです。
更に、初回からカブレラに“勝負!”しました。ソーシア監督なら満塁策を取って(当たりの出ていない)和田勝負ということも考えたかもしれません。しかし、痩せても枯れても(痩せても枯れてもいないけど)工藤公康!最初から逃げたりはしませんでした。
結果は《1点》で終わり、逆に巨人は安心しました。(横綱栃錦は、初日に負けると逆に落ち着いて相撲を取ることが出来た、と語っていました)
それから一番“大きい”のは《逆シリーズ男》としてスッカリ有名になった?和田ベン選手を最後まで“眠らせておいた”のは明日のためにも有効でした。工藤投手はそのヘンをシッカリと分かっていて和田には丁寧に攻めていました。サスガです。(ですから最後の條辺投手の時にヒヤヒヤして見ていました。結果センター・フライでしたが危なかったですね)
ワタシは“工藤”に関しては全く心配をしておりませんでした。巨人ファンから見て、あんなに“頼もしく”見える投手は他にはいませんでしたから。この人は「やる時は“やる”」という、非常に強い勝負師魂と運を持っている人です。
所が東京ドームから“西武球場”に変るので「流れが変るのではないか」というのが大方の見方でしたが、工藤と清原にとってはドーム以上に西武球場の方が“自分のホームグラウンド”という感覚が強いのではないか、と思っておりました。
ワタシの場合でも、以前に契約があって、長年その会社のスタジオを使っていて、契約が切れてから再びそのスタジオに行っても別の場所に来たという感じがしません。(通う道路とか、駐車場とか、見慣れた景色が安心感を与えてくれます)
10年近くもその球場で、しかも“中心選手”として活躍し続けた工藤・清原にとっては、ドーム以上に《本拠地》と感じていても不思議ではありません。(「敵地で戦う」とは“不慣れ”という意味もありますからね。鈴木康、西岡、鹿取、いずれもこの球場は“他人とは思えない”場所だと思います)
その“背景”を、しっかり踏まえた巨人首脳の《先発起用》(の順番)、これが見事でした。
《先発》についてですが、思えば伊原さんは『予告先発』を提案して来ていました。ここからシリーズは“始っていた”わけですが、今日のオーダーを見ると先発が右か左でこんなに西武打線は組み替わるんですね。(スミマセン、見てないので知りませんでした)
となると、巨人側は伊原提案を“拒否”して相手側に《当て馬》を使わせたりすることも“出来た”はずなんですが、敢えて伊原提案を飲んだ!
スポーツ・マスコミはこの行為を「原はアホか!伊原の術中にはまっているぞ!」と書いていました。
伊原さん、今回は《奇策》のオン・パレードですが、まずはその第一弾の《予告先発》を相手が受けてくれた。
それで“しめしめ”と思ったかどうかは分かりませんが(仕掛けたんですからそう思ったでしょう)一方の原監督は「この戦力なので逃げも隠れもしない。正々堂々と現在の戦力でシーズン同様の戦いをする。先発は決まっているので“予告”するしないは関係ない。先発が見えただけで負けるというのならこちらの基本戦力が劣っていたということで、堂々と戦って負けるのなら、それを“勉強”と捉えて来年からに生かす」というココロだったのではないでしょうか。
結果は(予告先発を)受け入れられた時点で、受け入れた巨人側が《横綱》であることを宣言した、ということでもありました。(攻めて来い!受けて立つ!逃げはしない)
《奇策》というのは、相手が“慌ててくれるから”功を奏するものです。(前のLOGにも「原さんは何をされても“あー、そうですか”と見ていた方が、伊原さんはイヤだろう」と私は書きました)
さて、この《奇策》についてですが、各局のヒョーロンカ諸氏は非難してますねー。「小賢しい」だの「チョコザイな」とか。(谷沢さんは怒ってましたネ)
これに関して古田さんは「奇策というのは“ハイ・リスク/ハイ・リターン”である」と解説していました。二宮清純さんは「これが伊原野球であり、奇策をしない伊原は死んだも同然」と語っていました。(ワタシも同感です)
日本のカイセツ者は《ハイ・リスク》なプレーに関して(結果が悪いと)非常に非難しますね。(これについてはW・シリーズの『ベルの暴走』でも触れました)
“予告先発”をしよう!というところから既にギャンブルをしていたのは、今年の巨人はそうでもしないと西武に勝ち目がない、ということを表明していたことになりますし、事実“そう”思っていたからそういう行動を取ったのですね。
西武“側”に立っているヒョーロンカはナンダカンダと言ってますが、《流れ》なんかじゃどうにもならんのですよ。
ハナシは逸れて《流れ論》についてチョイと触れますが、“流れ”というものは、
「《流れ》というものが“ある”と思っている人達に支えられている幻想」
です。“ある”という人には、“ある”んです。
ワタシは「ある」とか「ない」とかの論争は無意味だと考えています。(もちろん“ない”とは考えておりません)ただ、勝負というのは《流れ》“だけ”で決まるような“ヤワ”なものではない、ということです。(“流れ”で決まるような試合は“ヤワ”なゲームです。メジャーには“TOUGH”ゲームという言い方があり“ギリギリの勝負”を意味しています)
勝負は(選手の)
《力量と運》
です。(音楽でいうなら“流れ”は《宣伝》と置き換えてもいいですね。力量は“才能”。《運》は同じです。「流れ論」が好きな人が多いように、音楽界でも「宣伝」だけでモノを語る人が増加しているように見えます。野球も音楽も、いろいろなものが“複合”されているので、たった“一つ”の原因で大きなことが起きるということはないのです。《大衆》という見えないものが相手である分、音楽で「ヒットを打つ」のはタイヘンでっせ)
「西武は緻密野球」などとムカシのハナシを持ち出して語る人もいますが、どうみても「辻・平野・秋山・石毛・清原・デストラーデ・田辺」とは“選手”が違っています。(大きく劣っている、ということではありません)指導者が同じでも選手が“違って”は全く“同じ”というわけには行かないでしょう。(大ヒット・プロデューサーでも「選手が違えば」同じようには行きません。それと同じです)
同様に、75年以降の巨人に「巨人は強い」などと決まり切ったように言っていたのも“間違い”です。確かにそれ以前は“強かった”。しかし75年から去年までは“絶対の強さ”という形容がなされるほどのものではありませんでした。ただ、“今シリーズ”の巨人は《投好守》、史上最強です。シリーズの一戦目にそう思いました。これは“ズルイ”と(笑)。今までカネだの何だのと非難されて来ましたが、全然それを有効に機能させるにまでは至っていなかったのです。90年代に10連覇でもしたのなら非難も甘んじて受けましょう。ここ10年では3回しかシリーズに出場していない。そんなものが“絶対の強さ”と呼べるはずはないのです。でも“今”は違います!どんな批判でも受けましょう!それほど“強い”のです)
“運”という漢字は“しんにゅう”に《軍(いくさ)》と書きます。簡単に“天から降って来るもの”ではない、と、漢字が語っています。
75年と言えば《長嶋茂雄》さんが監督になった年でした。その年は“最下位”。ここから30年以上!“弱い巨人”を見て来ました。(V9、第二期黄金時代、水原時代、“強かった”ですよ、巨人は。それに比べれば75年以降は“ヤワ”な巨人でした)
今年の《原巨人》は、この30年間の“リベンジ”なんです。V9の時、甲子園のファンは、不甲斐ない阪神選手にではなく、相手の巨人選手に暴行を働きました。「アンタは強過ぎる!強過ぎる!」という“涙の”抗議でした。ワタシも近鉄ファンの時に“西武”という球団に対して“似たような”感情が生まれて、「あ、アンチ巨人って、このようなフラストレーションを抱えているんだぁ」と思ったものでした。ですから、そのような“気持”は分かります。
でもこの30年間は“憎たらしい”ほど強くはありませんでした。(“ヤワ”かったですよ、かなり)
ということで、ここで《四連勝》しないと“憎たらしい巨人”は復活しないのです!(「DAMN YANKEES」という映画があります。“憎たらしいヤンキース”。洋の東西を問わず、“強い”チームは憎まれるのです)
ここで“四連勝”すると、75年からの《長嶋茂雄時代》の完全幕引きとなり、新時代の到来となります。(優勝が続く、という意味ではありませんよ。チームの体質の変化の問題です。一言でいうなら《大人のチーム》に戻って欲しい、ということですね。比喩的な言い回しですが、75年からはずーっと子供っぽさを感じていましたから。川上・水原・三原・藤本の時のような“オトナ”のチームに戻ってください)
長かったねぇ、長嶋時代。(個人的には楽しかったですよ。後楽園に日参したり、“命がけで”宮崎まで行ったりとかね)
でも、どこかで“終わり”ましょうよ!ケジメがつかない。長嶋サンの栄誉と栄光は不滅のものと確定していますから、ここから“新時代”に突入しましょう!
今日の試合の中では清原さんがホームランを打ちましたが、カウントは《0ー3》でした。「なんで真ん中投げるんだ!」とヒョーロンカ諸氏は言っていますが、もしあれが凡フライになっていたらどうでしょう。「チャン投手は苦しんでいるんだから何もノー・スリーから打つことはない。これでは西武の“流れ”を加速させる」なんて言うでしょう。清原側にすると結構“リスキー”な挑戦でしたヨ。
「流れを変えろ!」と言います。“好結果”を出せ!ということでしょう。ならば《リスク》に“挑戦”しないと!
この清原選手のホームランは、さほど大きなリスクとは言えませんが“リスキー”ではありました。(巨人側もリスクへの挑戦は多くはありませんがやってますよ。好結果が出ているので、リスキーさを指摘する人は少ないですが。巨人のミスも出ていますが、ミスが一つもない試合なんて世の中にはありません。そのミスを西武側がつけなかったのは、それだけ追い込まれていると感じているということで、巨人側の《圧力》が強いということです。「普段は冷静な」とか「いつもは出来ているプレー」とか言っても、実際に“出来ていない”ということは、“普段”とは違った状況である、ということです)
西武側から言うと、「チャン投手の交代が早過ぎる」とか「なんで右打者なのに左の三井なんだ!」とか、いろいろ言ってますが全部“結果論”です。シリーズ開始前からギャンブル(リスクへの挑戦)をしているのですが、好結果になっていないだけのことです。勝負は“どちらか”なんですよ。勝ち、か、負け。二つに“一つ”。
細かいことを言わないとショーバイにならないのがカイセツ者でしょうが、要するに「(今の)巨人は“強い”」んですよ。細かく言ったらキリがない。いくら“こちら”が全力を出しても、相手がそれ以上なら負けるんです。相手のあるスポーツなんですから。
また、「こちらの実力が出し切れていない」とか言いますが、相手が「出さないようにした」んですヨ。
和田ベンちゃんが「全然打たない」のは、巨人投手が「全部抑えた」のです。片側だけからモノを言ってもはじまらんでしょう。(ホントにヒョーロンカって“結果論”ばかりエラそうに語ってますね。ケーザイ評論家なるものもさ、「不良債権早く処理しろ」とか言っておいて、今度は「竹中じゃダメだ」とか、一体「どーしろ」って言うんだろうか・・・。ラクそうだねぇ、批判“ばかり”というのは)
明日の西口投手は結構緊張するタイプじゃありません?一方の高橋尚は「人前でケツ出すヤツ」ですからネ。(笑)
あ、最後の方で松井カズオにホームランを打たれていましたが、あれは高橋尚にとって(阿部にとって)好材料となったのではないでしょうか。(それを踏まえての配球だったのでは?)
カブレラにも“打たせて”(と言っては語弊がありますが)調べましたし、カズオ選手にも同じ調査をしたのではないでしょうか。点差が開いていたので。(しかしライト方向への打球もあんなに飛ぶんですね、カズオ選手。さすがに“メジャー級”です)
とにかくですね、《和田ベン》ちゃんを“このまま”寝かせておくこと!
これが“最大の”ポイントですね。
(ヤクルトって、92年に7戦目で負けてからそれ以降、日本シリーズは四連勝してるんですね!《逆シリーズ男》を作ることと見分け方が的確である古田理論の正しさの証明である、と言えるでしょう。さすがにあの羽生名人から「相当強い」と言われた人だけのことはあります。今回全員をみたわけではありませんが、テレビに出て来た人で“古田さん”だけでしたね、納得のいくハナシが聞けたのは。現役選手であることと少ない時間ということで言い難いこともあったでしょうから“全部”を言い切ってはいませんでしたが、それでも発言は全部納得の行くものでした。この人が信頼出来るのは「勝負って、いろいろあるんですけど、結局“どっちか”なんですよぉ」と言うところです。結果論を極力回避しようというココロを感じます)
(それから、巨人側では一度も“河原”を見せてないですが、初めて対戦する打者は打ち難いと思いますよ。それにしても、両チームの“抑え”が一度も出て来ていないという風変わりなシリーズになっています。後は“江藤のサード守備”は不安ですから“元木”を最初からサードに使いたいですね。斉藤宣はさすがに“あがって”います。ファースト守備は多少不安のある江藤なのか、斉藤で行くのか?西口なので斉藤でしょうか?巨人選手は“最終戦”として思いっきりやって欲しいですね。30年間のうっぷん晴らしをさせて下さい。テレビ・ラジオでは「面白くない、面白くない」のオンパレードですが、巨人ファンには笑いが止まらん展開どすえ)