聞き間違いが真理をついている場合もあります。
全国の“ホニオラー”が集結する場所、
それがこの『ナイアガラ・ホニオリン館』です。
聞き間違いが真理をついている場合もあります。
全国の“ホニオラー”が集結する場所、
それがこの『ナイアガラ・ホニオリン館』です。
天候のせいでしょうか、『五月雨』ネタが続いて寄せられました。しかも、一人は13時45分、もう一人は同じ日の13時50分に。お二人に直接の関係はないように思えますが...。これも“ナイアガラー”ならではのことなのでしょうか。
From: 安部恵介@かの~ぷすさん
Date: 1996.7.15
Subject: 「毎日香」
『五月雨』の「Niagara Calendar」 version の、1番の(毎日こうじゃ 気が滅入る)の部分は、何度聴いても(“毎日香”じゃ 気が滅入る)と聞こえます。 「んなもん、ジメジメしてるときに線香たいたら気も滅入るで~」とは思いませんが (^^;、気になるところではあります。 毎日香の製造元から抗議が来たなんてことはないですよね 丶(^o^;)丿
まだ来ませんが、円楽師匠に毎年お中元を送っていますから、大丈夫だと思いますヨ。(^_-)
でも、歌う時に、私もそれを“連想”して自分でおかしかった。
P.S.
かのーぷすさんって、私〈パワームービー〉のユーザーでもあるんだけど、“あの・かのーぷす”じゃないよね。(^^;)
From: 遠藤真弘@三和総研さん
Date: 1996.7.15
Subject: 「冷たい五月雨」
「五月雨」の、「わき目もふらず走る川、五月雨集めて一目散」というところで、「五月雨集めて」は「五月雨は冷てぇー」だと確信していました。
歌詞カードをよく読んでみるまで全く気づかず、正しい歌詞を知ったときは思わず笑ってしまいました。
五月雨の降りしきるなか、一目散に走って行く街の人々・・・
何も知らなかった当時は、こんな情景が葛飾北斎の絵のように浮かび上がってきたものでした :-p 。
それにしても、あまりにはっきりと「冷てぇー」と発音されているので、この空耳の経験者は結構多いのではないでしょうか?
確かに。その前の「五月雨あー」を“なかったことにする”と、「冷てぇー」と言っていますねー。
今更エラそうに言語学的なウンチクを紐解くつもりはありませんが、《日本語》は“ことほどさように”どこで切っても言葉になる、という世界でも珍しいものなのですね。英語でも“接頭・接尾”でうまく切れば言葉になるものもありますが。
しかし短い語句は無理です。例えばCATを〈CとAT〉〈CAとT〉には分解不可能です。(一つはなんとかこじつけられるでしょうが)
日本語では〈猫〉を音から“寝・子”や“値・個”にも分解・連想可能です。ニ文字ですら分解連想が可能ですから、後は“オーゾロ”でっせ。“イタダキ”でんがな。
それにしても「冷てぇー」を“つーーめてーー”という乗せ方(聞こえ方)は日本語としては斬新ですね。本来なら“つめーーてーー”か“つめてーーーー”が言語的には正しいですからね。
いやー。《ホニオリン館》、結構ヒットでしたか。
ビクター・飯田久彦さんの近影とKYONKYONの家頁へのリンク、更にSMAPディレクター・野沢君の『快盗女ねずみの唄』も足しましたのでお楽しみ下さい。
それと敢えて漢字だらけにした「五月雨」ですが、これは「五月雨を集めて早し 最上川」と「五月雨の 振り残してや 光堂」の芭蕉の句からヒントを得て作曲したものですから、葛飾北斎の連想は違っていないと思うのですが...。(それとも、雨の中でずぶ濡れになって“冷てぇー”と叫んでいるみすぼらしい大滝の姿のイメージが強力すぎて他の印象を全て消し去ってしまったとでも)
(each)
健太です。ぼくも参加しているナイアガラ・メーリング・リストへの投稿から、ごきげんなホニオリンを紹介しましょう。
From: けんいち@つくば市さん
Date: 1996.7.15
Subject: 「土曜の夜の恋人に」
ライナー読書やジャケット鑑賞が話題になってますね。
私の場合、びんぼうで音源=ラジオ、テレビという時代が長かったのと生来のずぼらな性格のせいか音から入って、文字はずっとあとから見るという習慣が付いてしまってます。
最近は、再発のGO GO NIAGARA!を繰り返し(時には夜通し)かけてますが、これまたライナーは後回し。聞き取り大会96みたいなものです。
「土曜の夜の恋人に」は
バーコードずれは深夜にいいよ
と聞こえてたのですが76年にバーコードはないだろうと思ってたところ、そうか、
ババ子連れの深夜営業
か、とよろこんでました(^^;;。それにしても大瀧さん、ババ子連れでDJしてたのかなあ、奥さんは留守番だったのかなあ、と思いつつ先程ようやくライナーを読んで、目が点になりました。
馬場こずえさんごめんなさい。
師匠も大ウケでした。“笑うに泣けない”とのコメントもいただいておりますが、やはりここは恒例の“一句”。けんいちさん、心してどうぞ。
ババ・子連れ カミサン留守番 今日もまた
マイク向かいて 深夜営業
(伴内)
(kenta)
From: 霧の中のトニー谷さん
Date: 1996.8.10
Subject: 「ワルシャワの夜は更けて」
僕は大滝さんの中で最も好きな曲の一つに「さらばシベリア鉄道」があるのですが、この曲の入っている35DH-1のCDを僕は最初中古で手に入れました。それには歌詞カードが付いてなかったので4年間ロングバケイションは歌詞を見ずに毎日聴いてたことになります。
さらばシベリア鉄道の「スタンプにはロシア語の小さな文字」のくだりを「スタンープにワルシャワ語のちーさなもーじ」とワルシャワ語という言語があってその文字で書いてあると信じて疑いませんでした。
しかも4年も自分で自分を洗脳し続けた結果、カラオケでロシア語と画面に表示されているにもかかわらず“ワルシャワ語”と大声で叫び、挙げ句の果てには丁寧に他人にまで「これはワルシャワ語と読んで歌うんだよ」と教えてもいたのです。
しかし、ある時、ふとワルシャワ語という言葉があるのだろうか?と我に返ったのです。
それからこの歌を歌うときは少し、ロシアの“ロ”のでる前に心で一拍置くようにしています。
“ワルシャワ弁”はあるかもしれませんネ。(^_^)
“シベリア”という4文字の語呂から“ワルシャワ”が出て来たのかもしれませんが、ワルシャワ語のスタンプで〈シベリア鉄道〉だと、もしこれが第二次大戦中なら、ユダヤ難民の秘密文書と看做される危険性がありますネ。(^_^)
トニーさんは何か“ワルシャワ”という土地か言葉にナニガシかの連想を呼ぶ素地があるのでは?
「ドラマの根源は思い込み」です。日常が平板でドラマが起きないのは“思い込み”が足りないからですね。(もっとも、思い込みの多い“日常”は、疲れるだけですが)
細野さんとの〈エスクワイヤ対談〉で、二人とも最近聞いている音楽はインストものが多い、と話しています。
言葉がないものの方がより多くのものを考えられる。(歌詞があると、どうしてもそれに引きずられる)歌詞カードがない方が歌を自由に捉えられる。女性がいない時ほど女性を考える。(“女人禁制”とは、そういう意味もあります(^_-)。一方女性の方は、男性がいないと男性を考えないで済む、ではないでしょうか(^_^))
都市で聞こえるのは“騒音”。(文化的に)何もないところところと思われている“自然”には(表面上は)音のないところに見えますが、都市の数百倍の種類の音に溢れています。
もっとも、最近キャンプが流行しているとのことですが、都会から山の中にやって来た人が「カエルの声がウルサくて眠れない」とキャンプ場の管理人に苦情を述べるケースがたまにあるそうです。(“実話”ですヨ)
そういう世の中なのなら、こんなことを言っても“空念仏”なのでしょうが、ま、“聞く心”がない人には何も聞こえないのは自然でも 都会でも同じです。
つまり、“空耳”の人ほど“聞く心”に溢れているのですね。歌詞を見ながら“忠実”に聞く人は、聞いているのではなく、聞かされているだけです。
《空耳のススメ》とは自分(自由)のススメのことです。
トニーさんは北大生とのことですが、何か最近、大学生と異常に波長が合うワタシです。(^_^)以前にも話しましたが、はっぴいえんど時代からファン層の中心は大学生でした。
考えて見ると、大学生の置かれている立場。つまり社会的な“モラトリアム状態”がワタシの気分にピッタリなのではないか、と思います。世の中との関り合い方が気楽で無責任。もはや子供ではないが、まだ大人とも言い切れない。これが“軽い”《アミーゴ・ガレージ》のノリに合うのでしょう。
(each)