2015年10月17日(土)15:00-18:30
東京大学仏教青年会ホールA・B
報告 中村瑞貴氏(浄土宗愚鈍院住職)「東日本大震災対応から防災に向けて〜仙台市中心部寺院の場合〜」
1、東日本大震災対応に関して:
①斎場読経…仙台仏教会主導で、3月17日~4月27日に実施。
供養数:身元確認者315体、身元不明者38体
②心の相談室…4月4日~30日開設。 →臨床宗教師を考える活動へと発展した。
・仙台市災害対策本部と市環境衛生局と読経支援について協議はいつか?
『平成23年度仙台仏教会定例総会報告書』では、3月15日
『東日本大震災仙台市震災記録誌』(仙台市のホームページから閲覧可)では申出の日付及び仏教会との協議の記載がない。斎場読経については宗教団体による読経等という記載で触れられている。身元不明者の供養について「本市が関与しない宗教団体の独自活動として読経が行われた」と記載されている。市側から仏教会に対して、亡くなった方の信仰がわからないため、供養・読経を考えていないという見解が示されたらしい。
・供養に際しては、マニュアルを作成し、ご遺族の受付票提出で供養希望があったことを記録に残した。火葬の総件数1,922件(3/15~4/24)のうち、353件にのみ携わったことである。
・仙台地域葬儀会館連絡協議会は仙台市と協定を結んでいた。そのため、葬祭業者の対応は詳細に記録されている。斎場のお別れに関しても情報共有がなされている。一方、仏教会は施設長に読経を申し入れ、ロビーに受付を出す許可、10分以内の供養(絶対に寺院同士のトラブルを起こさないこと)という回答を受けてからのスタートになった。
・何故一ヶ月足らずで斎場読経が終わっていったか?
非常時としての対応であり、5月1日からは通常業務に戻るので、今後は宗教者の待機は遠慮してほしいと市から要請された。身元不明者の供養に関しては、お参りの時間を仙台市衛生局の連絡を前日にすることでご供養の対応をとりたい、ということになった。。
2.東日本大震災対応に関して:市内の寺院の対応の実際(寺院の聞き取り)
①積極的な例…避難所として開放、支援物質の集積所で活用、支援者の宿泊場所の提供、ロウソク・座布団などの物資の提供。
②消極的な例…信者さんに限り施設を開放、治安の不安から施設への門を閉じたなど。
・仙台駅が震災当時混乱し、近隣小学校に避難者が殺到した。備蓄は仙台市の規定で児童生徒数が基準。それに対し、約3倍となる2,000人以上の避難者があった。
3、東日本大震災の対応から防災へ:表出した問題から考える
①寺町という特性を生かす:寺町は指定避難所より、寺院の方がたくさんある。
・仙台市の新たな防災手引きによると、市は公助、市民は家庭で一週間分の備蓄で自活できる自助を打ち出した。指定避難所が行政の区割りで高齢者等の避難を考えると十分に役目が果たせない場所がある。
・町内会による寺院へのアンケートの結果、地区避難施設(がんばる避難施設)備蓄場所の提供など、検討してみるというケースが多い。
②非常時ばかりでない寺院の抱える問題を克服する
・現住職が協力の意志をもったお寺でも次の住職にその意志が引き継げるかはわからない。
・非常時の治安の乱れなど不安要素の声があった。寺院は公益性ある施設なので、開放をしていくのが公人としての住職の考えとしてあっても、家族がどう思っているか(同じ公益的な使命感をもてるか)という問題もある。→寺院の一般家庭化
③宗教施設だからできること:寺助・教(会)助のススメ
・共助という防災の観点から、備蓄への期待や畳は安らぎの場になる。
・誰が、備蓄品などの予算をだすか?
お供物の活用で経済負担を抑える。(供えることで備える)
お供えに、缶詰やレトルトをすることで、寺に備蓄があると認知される。
仏壇備蓄として、家庭でもお供えを備蓄に応用できると檀信徒さんに勧めてみる。
・誰が、避難施設の運営をするか?
いっぷく避難場所…避難場所から指定避難所までの間で心身ともにホッとする場所。
避難場所としての時限設定開設ならば、避難施設を運営するほど寺側の負担はない。
④お寺が行政、地域、支援者、被災者と協働していく
(質疑応答)
Q. 供養票が配慮不足という発言に関して
A. 身元がわかって棺がくるとき、泥だらけの服装、番号が書かれている棺で遺影も何もない。供養票に名前書いてくださいというのは、被災者の精神状況を鑑みれば、配慮不足だった。肉親を亡くしたことを認められない心境などもあっただろうに、私は遺族の方の気持ちに立ちきれなかった。
Q. 読経ボランティア活動の中で、合計で353体とあったが、もっと遺体があったのかどうか。遺族の方の読経ボランティアへの期待はどのくらいか。
A. 初期の段階では、不徹底でしたが、葬儀社経由などで伝わりはじめ、やっと353という数になった。仙台市では、自然死か災害死を、お坊さん側に伝えられなかったので、災害で亡くなられた方の半分くらいが、希望されてご供養を受けたという形だったと思う。
Q. 行政のやりとりの中で教訓を得たことなど教えていただけないか
A. 自己批判として、もっと、共に動くという姿勢を僧侶が持たなければならない。寺が閉じられた空間すぎる。別段情報を得ようという努力もなく、地域とのつながりも薄かった。地域ともっと密接であるべき。町内会との協定なども考えられる。業者さんとの協定でも同じく考えられる。