討議
討議
250109 宗援連シンポジウム
島薗:能登の現場に近い方々からお話を頂くことを主要なコンセプトとして構成し、お願いしてまいりました。それにふさわしいお話を伺えたかと思います。
長妻昭(衆議院議員):皆様の素晴らしい活動についてお話を伺い、誠にありがとうございます。先程のご発言の中で特に印象に残ったのは、物質的な支援の重要性に加え、宗教者としての心のケアの在り方に関心をお持ちであるという点です。布教とは異なる形で、どのように心のケアを提供するのかについて、非常に興味深く感じました。ありがとうございました。
片岡:私たちは現在、仮設住宅や幼稚園の前でサロン活動を行っています。関わり続ける中で、様々な話が出てきます。その中で信頼関係を築くことから、心のケアができるのだと思います。
稲場:一二三さんのお話で、被災された方が「秀仁さん」と駆け寄って来られる場面がありました。これまでのつながりや地域の関係性があってこそだと思います。
私も1995年の阪神淡路大震災の時に、避難所で子どものケアもいたしました。当時も「心のケア」という言葉がよく言われていました。その後、様々な宗教者の取り組みを見て感じたのは、心だけを切り取った心のケアはあり得ないということです。日頃からの信頼関係や地域における協働の取り組み、生きる歩みを共にすることが心のケアにつながるのだと思います。
また、サロン活動も大事ですが、初動の段階では食料が最重要の課題です。まずはそういった部分を支援しつつ、徐々にお茶を飲む機会を設けるなどして、サロン活動を展開し、心のケアにつながっていくことが望ましい。布教活動は行わず、平常時から地域との信頼関係を築く。そして、非常時にはまず食料を提供し、生きる歩みの伴奏者となることで、心のケアにつながっていく―被災地で宗教者の取り組みを見て、そのように感じました。
一二三:4月13日真言宗御室派仁和寺の金堂でチャリティコンサートを開催して頂きました。能登の寺院に対する支援ということで、その時に私も招かれました。要望があり、御詠歌を唱えました。御詠歌には死者を弔う意味もあり、涙を流して合掌しておられる方もいました。こうしたことを通していかなくてはならないと、その時につくづく感じました。そうした思いで唱えていくということです。
池田:宗教者は、日常的に神社や寺院、教会などで、世間話に留まらず、死や亡くなった方、魂についての深い話をすることがあります。これらの対話は、通常の会話とは異なる深みと層を持ちます。そのような関係が地域の方々との間で日常的に築かれていると、困難な状況に直面した際に、ただ一緒にいるだけで癒しや心のケアにつながることがあると感じます。
島薗:私も精神保健のDMAT(災害派遣精神医療チーム)の方々と共に活動しております。彼らが宗教者のケアの現場を目の当たりにすると、その違いに気づくことがあります。DMATは、深刻なトラウマが発生しそうな現場に迅速に対応し、ショックを受けた方々のケアを行い、その後速やかに撤収するという形を取ります。
一方で、宗教者は繰り返し現場に足を運び、話を聞き、直接触れ合う形でケアを提供します。このような継続的かつ直接的なケアが、非常に大きな意味を持つと感じています。
宍野史生(日本宗教連盟理事):本日のお話を伺い、「孤立支援」が重要なポイントであると感じました。災害時には孤立や孤独が同時に生じることが多く、都市部においては災害でなくてもこれらは重要な課題となっています。内閣府でも法案が可決され、それに基づいて施策が実施されていますが、政府の施策だけでは十分に対応しきれない部分があるのが現実です。
そのため、宗教法人、公益法人、NPO法人が協力して支援を行う必要があります。しかし、地方行政においては政教分離の原則が強調され、宗教団体による支援活動に制約がかかることがあります。説明を行っても、法律の解釈や施行において担当者の立場が異なるため、もどかしさを感じることがあります。このような状況を改善するために、皆様のご配慮をお願い申し上げます。
長妻:この会のテーマにも関連することですが、先程のお話を総合すると、私も深く共感する点がございます。それは、災害が発生した際の被災者対応だけでなく、日頃から地域とのつながりを築き、孤立や孤独の問題に対処する必要があるということです。これらの問題は、災害の有無に関わらず、常に取り組むべき課題です。
格差是正は一つの重要なキーワードであり、現在、国にも要望しているところです。校区ごとに地域のつながりを構築する取り組みを、中間支援組織も含めて一部進めています。しかし、過度な政教分離の問題も存在します。例えば、神社に避難することができないといった状況です。
これは島薗先生の専門分野ですが、フランスと日本は厳格な政教分離を行っている国であり、その結果、宗教リテラシーが低く、教育においても宗教教育が十分に行われていないため、カルトが蔓延しやすい状況にあります。
この問題は災害対応に限らず、広範な課題として国全体で捉え、対策を講じる必要があると考えています。今後とも、皆様のご理解とご協力を賜りますようお願いいたします。
島薗:これに関連して、臨床宗教師の活動は当初、病院での支援が主でしたが、次第に傾聴カフェへと移行してきました。本日もカフェやサロンという言葉が度々登場しましたが、これこそが宗教者の支援の強みであると言えるでしょう。政府は中央でできることを優先して考える傾向がありますが、住民が感じている重要なことを十分に汲み取れないことがあります。
しかし、そこには重要な事柄が存在します。それを伝えることができるのは、日常的にその場にいて、地域とのつながりを築いている宗教者だからこそです。大きな役割を果たしているのだと思います。この点については、いくつかの質問を頂いております。
中井:私たちは、最初から地元の方々と共に歩んできました。外部支援団体として、「よそ者」だからこそできることもあれば、難しい部分もあります。そのため、まず地元の方二人を雇用し、共に業務や事業を広げていくことにしました。彼らのおかげで、区長さんとのつながりが生まれ、各種支援が広がる足がかりとなりました。
私たちは、黒子のような存在として、できるだけ地元の方々を前面に出すことを大切にしています。セントラルキッチン事業をはじめ、その他の活動においても、地元の方々が主体となるよう支援し、今後も地元で活躍していただけるようお手伝いをしています。一年の滞在期間中に、住民とのつながりが非常に深まりました。
外部支援団体として、地元の方々と共に歩むことを大切にし、今後も継続して支援を続けていきたいと考えています。
島薗:コミュニティ施設や公民館などの場所を支援活動に利用する際、宗教者が関わっていくことには、政教分離の問題が絡み、困難な部分があるようです。
稲場:宗教者が公的施設を利用する際に問題が生じることは、さまざまな場面で指摘されています。実際、多くの事例が存在し、政教分離の誤った解釈により使用を禁じられたことがあるという声も聞かれます。しかし、平常時から地域とのつながりがあれば、「ぜひご利用ください」となることが多いと思います。逆に、宗教者の方々が「使用できない」と思い込んで遠慮してしまうことも問題です。
被災者のための活動であることを強調すれば、行政や社会福祉協議会などからも「ありがたい」と言っていただけることが多く、問題はあまり生じないのではないかと考えます。
それに関連して、先程からコミュニティや平常時の孤独・孤立、災害時の話がありましたが、結局は人と人とのつながりが欠如しているために、困難な状況が生じている。これをつなげることがコミュニティの役割であり、現代の日本社会はコミュニティの考え方を変えていく必要があると感じます。
従来型の地域共同体は、神社やお寺などの地縁によるつながりから成り立っています。能登地方ではそのような例が見られます。一方で、教会などの参加型アソシエーションによるコミュニティも存在します。さらに、ネット上のSNSを通じたつながりによるコミュニティもあります。この3つのコミュニティの形態は、現代社会において重要な役割を果たしています。すなわち、地縁ネットワークによるコミュニティ、参加型アソシエーションのコミュニティ、そしてSNSを介したネットコミュニティです。
従来型の地域コミュニティであるお寺や神社だけでは対応が難しいため、アソシエーション型のコミュニティも取り入れることが重要です。これが「関係人口」の考え方です。先程シャンティさんが「よそ者」とおっしゃっていましたが、地域のお寺の方々と協力することで、コミュニティはより強固になります。関係人口を増やし、つながりを築くことが大切です。
また、畠山さんが述べられたように、FacebookなどのSNSを利用することで、がっちりとしたコミュニティではないにせよ、人と人がつながり、自分たちが忘れられていないという感覚を持つことができます。今後もこのようなコミュニティを作り続けることが重要です。これらを組み合わせて、孤立や孤独を防ぐ人のつながりを構築することは、宗教者の皆さんが非常に得意としてきたことではないかと思います。
島薗:畠山さんの例にあった「講」についてですが、これが茶話会となる場合、門徒以外の方々も参加する可能性があるのでしょうか。基本的には、門徒の集まりであり、浄土真宗のお寺の関係者が中心となるかと思いますが。
御手洗隆明(宗援連世話人):真宗のお講は、江戸時代にまで遡る歴史を持ち、宗派を超えて存在していました。例えば、禅宗や他の神社の氏子であっても参加することがありました。
地域によって異なりますが、真宗の基本的なあり方として、開かれたお講がある場合、地域の人々が自然に参加することができます。私の九州の山奥のお寺では、本講が開かれる際、門徒でない子どもたちが集まり、食事を共にしていました。お寺とはそのような場所です。
島薗:大分県の事例ですが、石川県にも通じる点があると思います。珠洲神社の14メートルのキリコを見た際、お祭りに出るときに大きく「南無阿弥陀仏」と書かれていました。このような柔軟な対応が可能な世界だと感じています。
金澤豊(仏教伝道協会):私自身、東日本大震災の支援活動に携わった経験がありますが、支援のタイミングに関わらず、本当に困っている人々のもとへ行くことが重要だと感じています。このことを各所でお話しさせていただきましたが、改めて無力感を覚えました。外部支援者としての気持ちはあっても、実際には手も足も出ないことが多いのです。寄付はできても、それ以外の支援は難しいという状況が続いています。
仮設住宅への入居が進み、公費による解体も進行している中で、宗教者の支援はどのように展開していくのでしょうか。
片岡:現在、まだ安定期には至っていませんが、私たちは七尾市で民間ボランティアセンターと連携しています。主な活動は、公費解体前の家の片付けであり、七尾市内にはまだ200件のニーズが残っています。まずはそれに対応することから始めており、平日に人手が不足している状況で、できるだけ多くのボランティアを募集して派遣することが重要な課題となっています。しかし、現状では少し遅れていると感じています。
その後の心のケアが宗教者にとって重要な役割を果たすと考えています。特に仮設住宅では、住民が異なる地域から集まっているため、コミュニティを形成することが難しい状況でした。当初は、集会所がないことも問題となりました。住民が家に引きこもりがちになる等の課題もあります。このような状況で、一緒にコミュニティを作り、つながりを築くことが非常に重要だと考えています。
島薗:東日本大震災の際と異なる点として、仮設住宅に集会所が設置されず、自治会の形成が難しいことが挙げられます。これは能登の方々の気風を反映しているのかもしれません。金澤さんは、集会所に来られない方々のために戸別訪問を行っていました。今後、孤立する人々への支援をどのように進めていくべきでしょうか。
稲場:今回の能登半島地震の被災地では、土地不足や仮設住宅への入居を優先する必要があったため、集会所や談話室の設置が後回しにされました。その結果、集会所や談話室がないことに対する不満の声が上がりました。NGOや宗教者の方々が「みんなが集える場所がないのは問題だ」と訴えたことで、後から仮設住宅に集会所や談話室を設置する動きが増えました。これは非常に良いことだと思います。
では、これらの施設をどのように活用すべきでしょうか。被災者の中には、集会所や談話室を利用するのが難しいと感じる人もいます。阪神淡路大震災から30年が経過した現在でも、おなじ集落や地域の人々が一緒に仮設住宅に入居することが実現されていないため、誰がどこに住んでいるのか分からない状況が続いています。自治会組織を作る人もいません。
一例として、西日本豪雨の際、岡山県真備町では宗教者と大学が連携し、まずは集会所をみんなで使いましょうと呼びかけました。健康体操や保健師の訪問、宗教者によるサロン活動などを通じて、仮設住宅の住民が顔を合わせて話す機会を作りました。そうすることで、自治会長を引き受ける人も現れました。
老若男女が関わることで、中高年の男性も巻き込むことができました。宗教者が「あなたはこれが得意だから次はこれをやってみて」と関わりを作っていくことが重要です。輪島もこれからその段階に進む必要があります。
島薗:一二三さんは市議会議員として、住民からの苦情や難題に対応する中で、多くのご苦労をされていることと思いますが。
一二三:現地に足を運ぶと、多くの話を聞くことがあります。それも致し方ないことだと思っています。270戸の仮設住宅に私も入りましたが、名簿を求めても個人情報の関係で断られました。そのため、どこに誰がいるのか分からない状況です。様々な問題が次々と発生し、行政の対応が後回しになることもあります。
島薗:行政が対応しにくい場面において、宗教者は住民に近い存在として応答できる側面があります。しかし、宗教という性質上、関わりにくい面も存在します。畠山さん、お講には門徒さんだけでなく、一般の方も参加されていますか?
畠山:直接確認はできておりませんが、門徒以外の方も参加されているようです。
島薗: 元々お講はそうであったと御手洗さんもおっしゃっていました。現在、最も困難なことや課題は何でしょうか?
畠山:各個人が抱える問題はそれぞれ異なります。私たちは有志として活動しており、NPOや専門職員ではありません。自身の仕事や生活と両立しながら活動を行っています。震災直後は仕事がなく、活動しやすい状況でしたが、仕事が再開すると次第に忙しくなってきました。一人の人間ができることには限界があります。遠方から支援してくださる方々も同様です。活動の比較をするのではなく、緩やかに連携し、継続的に関わり続けることを心がけています。いま、門前で打ち合わせを行ってきたところです。
島薗:創価学会の浅井様より、「宗教色を出すか出さないかについて、どのような点に留意すべきでしょうか?」とのご質問をいただきました。また、曹洞宗の新川様より、「まちづくり協議会の現状と課題についてご教示ください」とのご質問をいただきました。
中井:浅井様の宗教色を出すか出さないかについての質問ですが、基本的には公益社団法人として活動しており、僧侶としての支援というよりはシャンティとして活動しています。しかし、国内災害に関わるようになってからは、僧侶であることを明示した方が円滑に進むこともあるのが現実です。例えば、仏壇の被害が多かったため、その仏壇の前で手を合わせることで心が安らぐ方がいたり、他の人には話せない身内の不幸を語ってくださる方がいたり、それに寄り添うことができたりします。
門前町においては、17年前にシャンティがここで支援を行った経緯もあり、総持寺祖院の門前町ということもあるので曹洞宗の僧侶であることの信頼が厚かったです。17年前には石川県曹洞宗青年会が毎週行茶活動を行っており、今回も全国曹洞宗青年会を通して全国の曹洞宗青年会が「おぼうさんカフェ」として活動しています。
新川様のご質問についてですが、まちづくりに関しては現在、都市計画家協会が禅の里交流館に事務所を設置し、毎週土曜日に声を集めるワークショップを開催しています。これからが本番です。総持寺祖院が国の重要文化財に指定されたことや、商店街とお寺を復興の中心に据えるという方針はこれまでと大きく変わらないと思います。商店街には仮設商店街が完成し、通りの建物はほとんどが公費で解体されている状況です。
何もなくなってしまいました。仮設商店街からどれだけの人が自分のお店を再開するかは分かりません。その仮設商店街の話、奥能登全体で観光を打ち出していくなど、これから声を集めていく段階です。まちづくりは本当に長い時間を要するものだと感じています。専門家が関わらなければならない分野だと痛感しています。
島薗:グリーフケアを学んでいる方からのご質問です。「宗教団体に深く関わっていない個々人が、私たちにできることは何でしょうか?」今回、ボランティアに参加することが非常に困難でした。池田様も神社の神職でありながら、本願寺のボランティアに参加したり、カトリックのボランティアに応募されていましたが、一般の方々は何をすべきか分からない状況でした。
浄土宗の東好章様からのご意見です。首都圏の機能麻痺を考慮すると、首都圏の一極集中に対する政府の計画には限界があります。一般市民が一人一人しっかりと自分を守ることが重要です。宗教者の支援と一般市民の支援をどのように関係づけていくかが課題となります。
池田:片岡さんに質問です。カリタスのFacebookに頻繁に情報をアップされていますね。12月上旬に一般ボランティアの募集要項を拝見しました。東日本大震災の時に原町のベースでお世話になったことを思い出します。キリスト教関係者ではない私にも、シスターたちがとてもフレンドリーに接してくださり、過ごしやすく素晴らしい環境でした。今回はさらに一般の方々が参加しやすい印象を受けました。どのような方々が応募され、どのような活動をされているのか教えていただけますか。
片岡:東日本大震災のボランティアに参加してくださった方々の中には、再度訪れてくださる方が多い印象です。原町、南三陸、大船渡での活動では、参加者の大半が全国から集まった教会の信徒でしたが、信徒でない方も2~3割ほどいらっしゃいます。活動内容はその時々のニーズに応じて、サロン活動や七尾での公費解体前の家の片付けなどを行っています。
島薗:今回の特徴の一つとして、社会福祉協議会や役所、ボランティアセンター、支援組織がうまく機能しない部分を宗教者や宗教団体が補完しています。珠洲では、天理教珠洲ひのきしんセンターに全国から天理教の信徒が支援に訪れ、一般の方々も天理教のボランティア募集を通じて手伝いに来られる例が多く見られました。輪島の重蔵神社でも同様に、様々な方々が支援活動を行っています。非宗教的なボランティア団体も大いに関与しているようです。
今回は公的機関が十分に機能しない状況があり、ボランティア活動を抑制せざるを得ない面もありました。その点について、今後の支援のあり方も含めて、一般の方々がどのように関わっていくべきかについてご意見をお聞かせください。
一二三:現地に来られない方々がどのように支援を行うかについて、先月福岡で開催された真言宗の集まりで話し合いました。能登に直接行かなくてもできる支援として、輪島の朝市の商品を各店舗に置いて販売する取り組みがありました。商品は完売し、「能登を忘れない」というメッセージを送っていただいたことが非常に嬉しかったです。出張朝市や復興朝市として商品を購入し、持ち帰って福岡で皆さんに買っていただきました。また、能登の状況を写真展示し、義援金も募って下さいました。本当にありがたかったです。
石川県外に出ると、地震のことが忘れられているように感じます。
島薗:宿泊施設が不足していたことが大きな問題でしたが、今後徐々に改善されていくと思います。忘れないことが非常に重要であり、そのためにも宗援連はこうした活動を通じて宗教者同士の連携を大切にし、宗教者の活動が意義を持っていることを理解してもらう必要があります。長くこの困難な時代を共有し続けることも重要な役割だと思います。
これをもちまして、このシンポジウムを終了させていただきます。
以上